パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

何故、それらは反映されないか(2つの選挙において)

2021年04月26日 09時36分10秒 | あれこれ考えること

「#だまっとれんなら 投票に行こう」というハッシュタグがツイッター上に現れた
広島の河合案里の参議院補欠選の対しての良識ある方々の必死の訴えだ
この他に「#投票場はこちら」といったハッシュタグも現れた
この選挙はいろんな意味で興味があった

昨日(4/25)その選挙が行われた
結果は政治とカネの問題を声を大にした野党候補が当選を果たした
だが問題は投票率が低かったことだ
その気分を現したツイートにこんなのがある(フリーランスライターの方の投稿)

あんな事件が起きて広島が全国的に注目された。恥ずかしい」  広島のタクシー運転手はそう言った。
選挙における買収は、民主主義を根幹から揺るがすものだ。広島県民として恥ずかしく思う気持ちはよくわかる。
しかし、私はその後に続く言葉を聞いて驚いた。 「じゃけぇ、今回は選挙に行かん」

広島県人ではないのでリアルな当事者の感覚はわからない
だが、それは違うのではないかと分別くさく思う

同日、地元愛知県の名古屋では市長選が行われた
リコール署名の不正が大量にでたあとの選挙で、リコール運動の中心人物だった河村氏に対する逆風は
当然予想されたが、結果は自民党が推した候補を破り当選した
メディアの「不正署名のことは考慮したか?」の問に
「イエス」と答えた人は多かったが、それは結果には反映されていない
(それだけが判断基準では無いだろうが)

この2つの出来事では、名古屋の方はなんとなく想像がつく(独断と偏見で)
この地区は全く自民党が圧倒的に強いわけじゃない
そんななか選挙が行われると「河村さんも嫌だけど、自民党の人も嫌!」
最近の自民党の情けない状況や、政権を運営している党としての責任感の欠如などは
有権者はこんな思いをしたのでないか

結局のところ、消去法で河村さんは選ばれたように思えてしまう
もちろん良い悪いは別にして河村さんは抜群の知名度がある
その知名度の差が勝敗を分けたとする分析もある
だが、こうして広島と名古屋の選挙を眺めると、誰かに頼る代表制民主主義は
とてもデリケートなものだと実感する

広島で消去法でも野党候補に投票したくないとする(自民党支持者)
それ故に投票しないという選択だが、彼らは「自民党を守るためにお灸をすえる」
という選択はしないのだろうか
この事件の反省を踏まえて、次の時期までに気持ちの面でも制度の面でもきちっとさせる
そうしたことが必要とは考えないのだろうか

広範な知識や行動力がなくても、庶民にできることはあると思う
それは政治家や政党を育てるということで、政治家は陳情や請願などのお願いの対象としてだけでなく
最悪の事態を防ぐため(の手段として)多様な意見のぶつかり合いを求める制度としての民主主義を
努力して守ることだと思う

そのためには、自分の投票がどのような影響を与えることになるか、、との想像することだと思う
庶民が意識的にバランスを採るとかお灸を据える、、というのは案外大事なことと思われるが
現実は、その時その時の勝ち負けに振り回されているし、結果的に少数者による支配が進んでいる

上から目線ではなく、実感として「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」とは思う

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