パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

大きすぎるのは、疲れてしまう。

2006年05月06日 19時58分08秒 | Weblog
当然のことなのだが東京は人が多い。
それも半端じゃない。
久しぶりに出かけると、駅で人にぶつからないように歩くのに
こちらが立ち止ったり、視線をあちらこちらに
運ばなければならず、結構疲れてしまう。

それに、駅自体も大きくて
中央口、西口、東口、・・・口等といろいろあって
以前訪れた風景を探してもさっぱり見つからず
焦ってしまったりする。

今回もやはり同じだった。
(田舎もんの自分は、何日も此処では暮らせないなあ)

音楽祭を終えて、さて、帰路につこうと東京駅を歩いていると
「そうだ、京都へいこう」
のポスターが目に入った。

毎年、秋やら冬、あるいは夏に京都に行ってるせいではなく
また、ポスターの写真が木造の建造物だったせいでもなく
「なんか落ち着くな」
と感じたのだった。


新幹線が横浜を過ぎる頃(?)になると
風景は一気に暗くなってきた。
毎日がお祭りのような、東京都心の賑わいはもう見えず、
のんびりとしていると
「そうだ、サイズが違うのだ」
頭に浮かんだ。

京都の建物はそれほど大きくない。
寺院にしても、奈良よりも小さなものがあるという。

一方、東京の建物は、デカイ!
必要以上に(?)デカイ!
利便性、効率を求めると必然的に大きな建造物を
作り出すことになった、
と言えるのだろうが、
そのために、人は少しストレスを感じてしまうのではないか。

ヒューマンサイズ
人には、心地よく感じられるサイズがあるのではないだろうか?

人は巨大なものには畏敬の念や憧れを持つかもしれない
しかし、それだけだ
そこに住みたいとか造りたいとか、みんながみんな、思うだろうか?
少なくとも自分は、パスしたい。

つまりは貧乏性が身に付いてしまっている生活からの
発想に過ぎないかもしれないが
いろんなものが手に届く範囲(サイズ)にある充足感は
覇気のない小市民の自分(?)には気持ちよいものだ。

思えば、年々大きなものより小さなものに関心が深くなっている。
ということは、やっぱり歳ってことかな?
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