パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「サルビアの花」

2020年07月17日 08時23分43秒 | 徒然なるままに

昨日の晩ごはんのメニューを思い出すのはボケ防止には良いようだ
幸い昨日と一昨日のそれは思い出すことができる
ボケ防止のこのブログ、昨日・一昨日とサボったので少し落ち着かない
それで思い出しながら昨日のことを

久しぶりに太陽が見えた早朝のウォーキング
道路を横断するカエルの数は、昨日は5匹だった
何事もなくいつものように過ぎていったが、信号待ちをしてると
ポケットにいれたスマホから突然音楽がなり始めた
何事が起きたのか?
何かの加減でアプリのスイッチが入ってしまったのか?
慌てて確認するが音楽のアプリは作動していない

信号が変わっのでそれ以上の追求はやめ横断優先とし
音楽は鳴るがままにしておいた
(後でわかったがYoutubeが作動していた)
急に流れていたのは「サルビアの花」もとまろの歌だった
この「サルビアの花」はとても記憶に残っている曲で
学生時代の下宿先で洗濯をしながらロイ・ジェームスの
不二家歌謡ベストテンを聞いていたシーンをいつも思い出す
競作が多い歌だったが圧倒的にもとまろの歌が好きだった
女の子二人のハモり方、声の質、女の子が「僕」というときの感じ方など
男が歌うよりしっくりした感じを持っていた

歩いていると気になったのは「転げながら、転げながら」の歌詞の部分で
「転げ、な、が、ら、転げ、な、が、ら」ともとまろの歌では
スタッカート気味に歌われているところが本当に石が跳ねながら転がっているようで、
歌の解釈と表現はこういうことだな!と感じたりした

井上陽水も「サルビアの花」を歌っているが、そこでは「転げながら」の部分は
普通につなげて歌っている
ただ井上陽水も普通のカバーはしない
彼の歌で気になった部分は「ぼく」という歌詞の音程がもとまろとは違う
もとまろは「く」の音のほうが高い音程だが、
陽水の方は普通に使用される「ぼく」のように「く」の音のほうが低い音程だ
意味的には陽水のほうが正しいような気がするが、音楽としてはもとまろの方が好きだな

あともとまろでは「扉を開けて出てきた君は、、偽りの花嫁」
となっているところが陽水では「扉が開いて出てきた君は」となっている
花嫁が自分で開けることは無いと思われるので、陽水のほうが意味的には正しそうだけど
自分で扉を開けて出てくる、、という方が、
この花よめの性格をしっかり表現しているような気がする

ということで、「サルビアの花」はもとまろの歌が思い出もあって好きということ
でも、なんで急にスマホから流れてきたのかは、、不思議

もとまろ サルビアの花


 

 


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