昨日の「紫式部日記異聞」の舞台で一番印象に残ったことは
実は舞台のことではなくて、劇中に出てきた「とりかへばや物語」の言葉だ
舞台では藤原道長が自らの出世を目論んで一条帝に送り込んだ娘の彰子に
帝が退屈しないように面白い物語を携えさせようとする
道長は日本中にある物語を集め選ぶのだが、その中に
「竹取物語」「伊勢物語」などと並んで紹介されたのが「とりかへばや物語」
この物語のポイントをショートコント風に演じられるが
物語は男の子と女の子の二人の子供がいて
男の子は女性的なものが好きな傾向、反対に女の子は男の子の好きなものが好き
という設定で、今でいうトランスジェンダーを扱っていた
この舞台を見るまでは「とりかへばや物語」は全く知らなかったので
昔でもこういうことがあったのか!とか、平安人の想像力に驚きを覚える
(今の時代だからこそ、この舞台でもこのテーマを扱ったと思われる)
家に帰ると記憶が薄れてしまう前に「とりかへばや物語」と検査して
その物語の顛末をチャチャと調べてみる
すると物語は発想が面白いだけでなく、当時の人間関係を表していて
その視点からの価値もあるようだった
思い起こしてみると平安時代とか昔の話は結構ぶっ飛んだものも多い
「竹取物語」は月の住人が月に帰るというSFだし
「浦島太郎」はタイムマシンの物語で
いずれも科学という概念のない時代の想像の産物だ
人の自由な発想の物語
どの時代も「物語」という感情を揺さぶる形式のものは
本当に起きたことよりも大きな力を持つのかもしれないと実感する
そういえば歴史の英語 Historyは「彼(his)」の「話(story)」
からできているらしい
でもユダヤ人を迫害する根拠となった「シオン賢者の議定書」
とかは全くの偽書、人は物語の使い方をよく考えないと
危なっかしいかもしれない