スケートの羽生も野球のイチローもサッカーの本田も自分の言葉で話す
聞き様によっては尖った内容も少なくないが、安易な常識的な考えではなく
経験から生み出された実感から生み出されている
日本でよく使われる言葉に「心技体」がある
戦いに際してその優先順位がこのようにあることも
多くの人が受け取っているかもしれない
大相撲などは最後の最後は心の持ち方だ!
とまで言い切ってしまう人もいて
それはそれなりの説得力を持っている
サッカーに関係する人の中に
この「心技体」の優先順位を疑ってかかる必要がある
と、実感を込めて語る人がでてきた
今回のワールドカップの善戦を踏まえ
それでも先に進められななかった現実は
結局のところ、個のレベルアップをするしかないと
実際に戦ってきた選手は身にしみて感じているようだ
日本人の好きな犠牲心とか協力してものにあたる姿勢は
一つの特徴ではあるが、それを万能とする考えは
現実的ではないかもしれない
一所懸命戦うということは、みんなが同じことをするという意味ではない
みんながプレスをかけてボールを奪い取るとか、守るとか
以前の例では走りまくって感動を生んだ中山や岡崎や
今回の前田とかは心を動かされやすい
ところがアルゼンチンのメッシは心配するほど歩いている
近くにボール保持者がいるならプレスをかけろよ!
と言いたくなるほどだ
(いつも驚きを覚えるのは、それで良しとしているチームの方だ)
だが彼は急にスイッチが入ると、誰もがなし得ないことをやってのける
そしてそれは、サボっているように見える時間があってのこそだ
これが日本で出来るだろうか?(心情的に)
日本のより高いレベルでの戦いはどうしても身体との勝負となる
クロアチア戦でも身長の差をつかれたし
ロシア大会のベルギー戦も身長差を生かされた
それに対抗するには身長を伸ばす、、ということは物理的にできないので
それに対抗する身体の使い方の技術が必要になってくる
人の自信はどこから来るか、、といえば、
おそらく技術の高さが大きな要因だと思われるが
その技術も戦いに負けない身体が必要となる
つまりはちゃんとした身体があって、それを活かす技術があって
そこから生まれる心の強さでもって戦うというのが
現実的な対処法ではないのか、、
と精神論を語りたがる日本の風潮に問題提起をしている
日露戦争だったか第二次世界大戦のときも
精神論で物事がうまくいくと幅をきかした例がある
勝負事(スポーツの世界)の最後の最後はそうかも知れないが
その前段階での体と技はもっと重要視されるべきだと思う
その技術についてだが、日本人の足元の技術は高いと言われる
でも本当にそうなのだろうか?
機敏さを生かした動きはその様に見えるかもしれないが
ワールドカップで見た他の強豪国のパスの正確さと比較すると
決してレベルが高いとは言えなかった
そしてシュート技術もまだまだ差があった
(クロアチア戦では鎌田は左足で打つべきシュートがあった)
今回の大会の収穫は成績よりも、ドイツ、スペインと真剣勝負ができたことだと思う
戦った選手が直で何を感じ取ることができたか
その印象とか身体に刻まれた経験は、とても大きなことだと思う
残念ながらそれは口で伝えられるものではなく内的なものだ
この経験や印象を、次に伝え普段の練習目標に設定することが大事だと思う
次回の戦いは、FWが今回の前田の様に疲れきるまで走って防御する
方法はとってほしくない
つまりは、点取り屋を早いうちに育成してほしいと思う
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