パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

話すということ

2020年06月25日 09時44分08秒 | 子どもたちのこと

火木の外国にルーツのある子どもたちの勉強の手伝いをしていると
その場その場でいろんなことに気づいたり考えたりする
一番の目的は日本語の上達(大きくなったら他の知識の習得)なのだが
その方法について何が効果的なのか、、と自分なりに考えてしまう

日本語を覚えるためには、定番として
まずは聞くことから始まる(読み聞かせ)
次に、読むに進む
声に出して読んだら、今度は書く
こんな当たり前のステップだが、時々何か肝心なことが欠けていないか
と思えてしまう

「話す」ことは重視されなくて良いのかな、、
それが、ちょっとした疑問だ

残念なことに日本語がうまく扱えない子どもたちは、
音読や漢字の書き取りの宿題を与えられる
それをちゃんとできるか見守るのが役割になっているが
その宿題をやってるなかで、こちらが気づいたことを聞こうとすると
彼らはこちらに上手く伝えることができない
筋道だって話すことができない以前に、自分の伝えたい言葉が何なのかが出てこない

この感覚は実はよく分かる
ドイツに何十年ぶりに旅行しようとしたときに、やっつけでドイツ語のおさらいを行った
NHKのラジオのドイツ語講座を聞いて、テキストを購入して、聞く、読む、書いて覚える
という作業を行った
そうしてドイツに出かけたが、現地で猛烈に感じたのは聞き取れないとか
単語が出てこないというより「何も話せない」という現実だった

まずは話そうとする内容に必要な単語が出てこない
次に文法的なものが思い浮かばない

この実体験は印象に残っているので、言葉を覚えるには「話す」という行為が
相当に重要な位置を占めるのではないのかな、、と思うのだった

聞く、読む、書く、は受動的な行為で「話す」は能動的な行為
頭が必死になって働くのは、
「どうやって説明したら良いかを必死に考えている」話す行為の方ではないか
これは子どもたちの様子を観てるとよく分かる
「オレが、えーと、、(イライラしながら必死に何かを考えて・探して)、、」
とにかく伝えようと集中する
彼の頭の中では、必要だが出てこない言葉(単語)が何だったかを自覚する
そして辻褄の合うような説明をするには、、と試行錯誤する

これは書いたり読んだりするよりは頭を使いそう
でも、書いたり読んだりするよりは子供にとっては苦痛ではない気がする
(もっとも話の内容によりけりだろうけど)

なので最近は、低学年の子にはいろいろ質問をして答えてもらうようにしている
ありがたいことに、話すことのトライには彼は面倒臭がらずについてきてくれる

時間がいつか解決する事かもしれない
(覚えるということは人がみんな時間をかけて身につけることなので)
でも、明らかにハンデキャップのある彼らが、
言葉の不自由なためやけくそにならないようにするのは
上手い上達法があれば良いな、、といつも思う




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