パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

覚えられない(わからない)という実感

2020年06月21日 16時03分20秒 | 子どもたちのこと

言葉とかモノを覚えるとは、どういうものだろう?
と、外国人をルーツにもつ子どもたちの勉強の手伝いをすると
いつも不思議に思う

脳の中のある一部分に新しくニューロンが伸びて、微弱な電気が
流れるようになる、、、みたいな説明を見たような気がするが
同じ勉強をしても人によってニューロンの伸び方は違いそうだし
ある部分の微弱な電気を計測しても、その内容が同じと確かめる方法はない

どのように記憶されるかは結局のところわからないが
どうすれば、覚えられるかについては、人は経験則からなんとなく分かる
例えば、ひたすら繰り返し書く、あるいは口に出す、読む

これらは火・木曜日の手伝いのときにも、子どもたちにトライさせる
何事も個人差があって、日本語の会話に困らない子もいれば
本当に心配になってしまう子もいる

こういう子には、なんで覚えられないのだろう、、と思ったりするが
子どもたちの「わからない!」という実感は、自分らでも経験できる
例えば、ドイツ語なりを今になって復習し身につけようと思っても
基礎となる単語(男性・女性・中性)とか、前置詞は繰り返し読んだり
口に出したり書いても、そのときは覚えたつもりでも記憶に留まっていかない
それでもドイツ語なら少しは良いかもしれないが、彼らの話すホルトガル語を
今から覚えようとすると、全くのお手上げだ
数字を覚えるだけでも大変だ

彼らが日本語がわからない!というのはこういうことなんだろうな
と想像する
歳を重ねていろいろ覚えられなくなっているからこそ
彼らの気持ちも分かる、、、ということかもしれない

彼らと自分とで、よーいドン!で新しい知識の獲得競争をすると
きっと自分は負ける(可能性大)
自分らが勝てるのは今までの蓄積のおかげ
同時に、この無意識の蓄積もずいぶん多いものだと気づいたりする

昨年、七夕の短冊に「ちびっこが おりこうさんに なりますように!」
と願いをかけたが、少しづつでもそうなってほしい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする