パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

長い連休でも社会が成り立っているドイツ(何故なんだろう)

2019年05月07日 08時25分42秒 | あれこれ考えること

長い連休が終わった
今年のラ・フォル・ジュルネはプログラムに好みのものがなかったのでパス
どこかに行かなくてはならないという年齢でもないし、その脅迫感もない
それどころか出かけた先の混雑を思うと、外出の意欲は全く起きない
結局、菖蒲湯に入って柏餅を食べて、家に飾った五月人形をバックに
ちびっこの写真を撮って、、、あとはダラダラと過ごした

この連休に知り合いがドイツ旅行にでかけた
その様子がFBに投稿されていたが、ライン下り、ハイデルベルク、ローテンブルク、ノイシュヴァンシュタイン城
ミュンヘンのビールなど定番のコーズを楽しんだようだ
現役の仕事人は少々料金がのしてもこの時期に行くしか無いのかもしれない

連休の最終日、TV番組では10連休をどう思うかと街角インタビューを行っていた
その中では「長すぎて疲れた」「連休の長さは5日位で良い」の答えが多かった
みんながみんな連休をエンジョイできたわけではないし、その社会的背景も考慮するところは
多分にあるが、それでもこの比較的長い連休について少し思うことがあった

ドイツはウアラウプという長い休みがある
誰かが休むと別の人が困るなどという日本的な心配ごとは全く無いようで
担当の人間がいないと知ると、「ウアラウプだから仕方ない、お互い様」
と考えるようにしているらしい
またドイツ人はウアラウプの過ごし方を前もってあれこれ考えることが楽しみなようだ

ドイツ人みんながみんなウアラウプを満喫できているわけではないし
職を外国人移住者に奪われつつあるようなところもあるようだが
それでも、連続して2週間ほど休むウアラウプが当たり前のように社会に存在し
それで仕事が回っていき、経済も労働生産率も高いままでいることは
日本人は「何故それが可能なのか?」とよく考えたほうが良いのかもしれない

日本で当たり前に思われている「一生仕事」というのはある分野の人にとってはそのとおりだが
そうでない人たちには、苦役でしかない
労働・仕事・活動と区分して人は何を目指すべきか、、との考察をしたのがハンナ・アーレント
これは読んでいないので理解が違っているかもしれないが、何となく言わんとすることはわかる気がする
労働を、それはある種与えられたもの、指示されたものをこなすことにより時間を費やす
そうして時間を潰すことは、自分自身で自分の時間を追求するよりは精神的に楽なのではないか

何かを自分で考えるより、上から命令されて、言われた以上のことを行う
これが日本人の安心できる暮らし方・メンタリティなのかもしれないと思う
水戸黄門で印籠を見せると無条件に「はは~」と跪いて、善悪の判断を自己放棄して水戸黄門さんに委ねてしまう
勧善懲悪でこれは良いのだが、それでも権威に対して無条件に従って、それで良しとするところは
なんだかな、、、とへそ曲がりは思ったりする

きっと自分で考えて自分の責任で何かを行う、、というのは思いの外難しいのだろう
だからこそ連休中のスポットはみんなが行くところに行って安心する
(自分で考えているようで実はコントロールされているのかも)

ということで、どこにも行かなかった出不精な人間のヒガミ
ところで、連休中は出かけなかったが、当日(15日)の天気予報を見て計画中の場所が一箇所ある
この行事を見て、年初からのマイブームは一段落のつもりだが、、、



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