パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「20世紀とはなんだったのか」西洋の没落とグローバリズム

2015年10月02日 09時37分27秒 | 

時々、どうでもいいことを考える
生物学の本をかじっていると、世界というのは
生き延びることが最優先であり、
そこには良いも悪いといった判断の入り込む余地などない
そして生き延びるかどうかは単なる確率論に過ぎず
人間が考える予定調和のような世界は単に幻想に過ぎない

これはもしかしたら人間世界でも言えるのではないか
現実に世界を仕切っているのはある種の生命力にあふれた
塀の上を歩いても平気な人たち
生物としての人間の優先事項が生き延びることとしたら
概念的に良いこと悪いことを決めること自体
(多分宗教的な基準や形而上学的な基準)
正当なことだろうか

そもそも良い悪いの判断基準が現実に存在するのか

また、ある日は、人には完全な客観などという視点は
存在しないのではないかと考えたりする
一見相対する立場の意見を公平に聞いたとしても
多くの場合、話す人、語る人へのシンパシーは
その人を見た時点で作られてしまうのではないか
客観的と言いつつも自分の心がなびく方向の意見を
より多く受け入れる
この最初の印象に対する感覚は人間に備わったものというより
受け継いだもの、環境で身につけたものでそれぞれ違う
しかし、世界は客観的な立場が存在することを前提に
いろいろ成り立っている

こんな実際の生活にはなんら関係のないことを
思ったり考えたりする

そこで最近手にした本

「20世紀とはなんだったのか」西洋の没落とグローバリズム 佐伯啓思 著
この本を読んでスッキリした

世の中には優れた才能のある人物はいるもので
佐伯啓思氏は人間が考えてきたことの変遷を、とてもわかりやすく解説する
確か以前読んだ「人間は進歩してきたのか-現代文明論」も
信じられないくらいわかりやすく解説してあり、
読み終えた時点で自分が賢くなった気さえした
この人のわかりやすさは、同じくわかり易い説明の能力に長けた
池上彰さんに匹敵する

で、何がすっきりしたかと言えば
最初にあげたぐだぐだ考えたこと
もともとの判断基準となるものが存在しうるのか
という点
もちろん厳密な意味では違ってくるが、
導かれているとりあえずの結論は似通っている
判断基準がないとする立場はニーチェのニヒリズムと一緒
あまり好きでない、なにか怒ってばかりのトーンのニーチェも
こういうことを言うのなら納得してもいいなどと思ったりする

ここから話はより先の段階に行ってそれなりに興味深いが
自分の筆力を超えているので別の問題に転じると
2番めのグデグデ考えたことは、認識論に通じるようだ

デカルトの「我思うゆえに我あり」といった究極の段階ですら
人は厳密には部外者として認識できるのか
そこから人はあれこれ考えてハイデガーの「存在と無」で
説明される概念に至る
これは他人に説明できないから本当に理解しているとは言えないが
自分の貧弱な頭でも何となく分かる

こんな風にこの本「20世紀とはなんだったのか」西洋の没落とグローバリズムは
各ページに、現在の社会における注目すべきテーマが紹介される
民主主義のこと大衆社会のこと、、、
読み飛ばすのがもったい、と思いながら 先に行きたくて
ついつい必要以上に速いスピードで読もうとしている
それでも、気になるページは折を入れて、後から読み返すことができるように
しているが、その折をいれたページの多いこと

本当にこの本は面白い
もう一度最初から読み返す価値がある
そして、できることなら、特に政治屋さんたちに
自分たちの知識のベースとして読み終えてもらいたい
と思ったりする

 





 

コメント
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