パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

フルトヴェングラーの「運命」(1947年)

2015年10月19日 20時13分58秒 | 音楽

秋になるとブラームス
それもクラリネット五重奏曲が
聴きたくなるのはどうも自分だけではなさそうで
先日偶然見かけたあるブログにもそんなことが載っていた

でも今日はブラームスではなくベートーヴェンの話
それも超有名曲 交響曲第5番 運命

運命か、、ちょっとな、、
と敬遠したくなることがある
エロイカなら大らかで若さに溢れのびのびとして
豊富な旋律に満ちて楽しめるが
運命は精神の状態が出来ていないと余りにも雄弁すぎて
避けたくなる

でも、たまにはいいか!
と引っ張りだしたのが
デモの時に東京のディスクユニオンで購入した
 中古レコードの「フルトヴェングラーの遺産」からの一枚
1947年 5月 ベルリンでの演奏 

針を落とすまでは正直そんなに気乗りではなかった
しかし、あのダッダッダッダーンのモットーが図太く奏されるやいなや
何か普通と違う感じが一気に部屋に漂う
それでスピーカーに向かって座り直して
昔はごく普通にやっていた集中しての聴き方に変えた

なるほどフルトヴェングラーが冒頭はモットーで
主題ではない(だったかな?)みたいなことを言ってたのを
思い出した

テンポの伸び縮み、強弱の変化が激しいとされる演奏だが
聴いている最中は気にならなかった
むしろそれは必然のように思える
録音はよくないはずなのに、何故かフレーズから次のフレーズに
楽器が移っていくのがよく聴こえる
それのティンパニがただのリズム楽器というよりは音階楽器
その効果が半端じゃない
そして休符の効果的なこと(第9のある場面を思い出す)

レコードは1.2楽章がA面、3.4楽章はB面
気乗りしなかったらA面だけでいいや!と思っていたが
先を急ぐ様にB面に続く

この指揮に付き合っているベルリン・フィルは大変だろうな
と思うより、こんなに目一杯真剣に集中を要求されて
しかもまるで自発的な行為のような演奏をしているのは
やってる当人たちは面白くて(充実感がいっぱいで)たまらないだろうな
フトそんな気がした

イメージとしては第4楽章はもっと同じことの繰り返しが多いように
思っていたが、何のことはないすべてが必然の流れのように
そして走りだしたら止まらないライブの熱気につつまれている

すげー!
聴き終わった時につい出てしまった言葉
それ以外に言いようがない
すげー!
同じフルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンの第7番の交響曲を
聴いた時も、やはりすげー!と出てくるが
とにかく何かが違う

煽りに煽って気分的にハイになって興奮しているのとは違う
もっと別の なにか貴重な人生体験をしたような
ある一場面一場面をしっかり覚えているような
あとに残る演奏

この印象は強烈なのでしばらくフルトヴェングラーの運命は
聴かないでもいいかな!という気さえする
気軽に聴いて、集中しきれずにがっかりするくらいなら
今の記憶を大切にしたいと考えてしまう

しかし、ホント、すげー!

 

コメント
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