パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

百人一首の英詩訳

2009年04月08日 22時02分16秒 | 
どうもページが前に進まないアダム・スミスの
「道徳感情論」
なにかスピードアップのキッカケを作ろうと
先日書店を覗いて
ついつい買ってしまったのが全然関係ない方面の
「英詩訳 百人一首」香り立つやまとごころ
マックミラン・ピーター著 佐々田雅子訳 集英社新書

考えてみると百人一首で使われている日本語は
意味の分からないところもあり
一種の外国語みたいなものだから
読めることは読めても内容の不明な点もあった

実際にこの英詩にしたものを読んで
なるほどそういう意味だったのか!
と気づいた句も少なからずあったのは少し情けないが
仕方ないかな

だがこの英詩
あまり出来のよくない句が(?)英詩になると
ワンランクアップするようのものもある(と思う)

例えば
これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関

So this is a place!
The crowds,
coming
going
meeting
parting
friends,
starngers,
known,
unknown-
The Osaka Barrier

これなどは元の句よりも
行き来する姿が思い浮かべることが出来し
しかも詩情にあふれているように思える

だが
君がため春の野に出でて若菜摘む差が衣手に雪は降りつつ

For you,
I went out to the fields
to pick the first sprig greens-
all the while on my sleeves
a light snow falling

この英詩は
解説では最も優れた名訳とあったが
自分では あまりにも説明的過ぎて
それが幼稚に思えて賛成できかねる

ま、こんなことは個人個人の趣味の範囲だから
どうでもいいことかもしれない

それにしても改めて感じるのは
古い日本語はやわらかく深いということ
(と言って今から古文を学ぼうとは思わないが)
こうしてみると昔が今よりも劣っているとは
文化的な面では言えないかな、、、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする