琵琶湖の中には道がある。
といっても人が通う道ではない。
数十万年前に琵琶湖がこの地に形成されてから、春夏秋冬、絶えることなく流れつづける水の道である。
古代の人々は、大きな琵琶湖の自然を恐れ、愛し、敬いをもって接してきたことだろう。
そのことは、湖底に埋もれた縄文時代の遺跡や、竹生島に奉られているヒンズー神を起源とする弁財天、人々の口の端に語り伝えられる琵琶湖の悲話などからも伺える。
いずれも湖と人の長い交わりの歴史から生まれてきたものだ。
水の道への入り口は、500本をこえる大小の河川である。
それぞれ異なった流域を経て入り口に到達する水は、微妙な違いがあり、決して同じ水ではない。
水が道を流れる時、少しずつ、異なった水がブレンドされて、琵琶湖の水が生まれてくる。
現代の水質分析では誤差の範囲に入るとも思われる、ちょっとした水の違いは、そこに生きる小さな生物たちを多様なものにしている。
琵琶湖を流れる水の道は、プランクトンという小さな生き物たちの通り道でもある。
春、水がぬるむ頃、琵琶湖の道は徐々にその姿をあらわす(図1)。
小さな渦がそこかしこに形成され、やがて大きな渦となる。
そして、湖岸を右に見るように、ゆっくりと動き始める。
環流の形成である。
水の道はエネルギーの流れでもある。
春の日差しで温まった水は、冬に冷やされた水の上を滑るように流れる。
太陽の恵みで加速された環流は、風の後押しも受けて少しずつ成長していく。
大きな独楽のように回転しながら。
この頃、ウログレナ・アメリカーナという黄色鞭毛藻類による淡水赤潮も始まる。
夏、小さな渦と大きな渦のせめぎあいが終わって、琵琶湖を流れる水の道筋がほぼ決まってくる。
例えば、姉川から流れ出る水は、毎秒30cmくらいの速さで西に向かい、左回りの大きな円を描いて回転しながら中心に向かう。
第一環流である。水平方向の圧力勾配が、地球の転向力と釣り合って流れるので、地衡流とも呼ばれる。
琵琶湖が大きい所以の巨大な渦である。
地球の自転という、とほうもなく大きな運動が、琵琶湖の中に美しい三つの渦を作り出す。
太陽のエネルギーと、地球の自転と、琵琶湖の大きさが関わりあって創り出す自然の芸術である。
秋、環流は少しずつその勢いを失う。
水平方向の水の流れが、深さ方向の混合に取って代わられる。
この頃、琵琶湖では、藍藻を主体とする秋のブルームが見られる。
水の流れに乗って浮遊するプランクトンたち。
古代から現代にいたるまで水の道は同じような盛衰を繰り返しているが、その道を辿るプランクトンたちは時代ごとに主役の座を交代している。
冬、水平に流れる渦の道は消えていく。
一方、湖面や湖岸で冷やされた水が、下へ下へと潜り込んでいく。
全循環の始まりだ。
酸素をたくさん含んだ表面の水が、湖底に移動する。
一年1回、湖底付近の水が湖面近くの水と入れ替わる。
それに伴って、湖底付近にいた珪藻が下から上へ輸送され湖全体に広がってくる。
上から下、下から上への水の道。
悠久とした琵琶湖の自然が、プランクトンたちを育み魚たちを守ってきた。
琵琶湖を流れる水の道は、多様な生物たちの営みを作り出す道でもある。
琵琶湖の中には道がある。
それは季節ごとに装い変え、水や生物が移動する道である。
河川や水路から流入する水は、複雑な経路を辿って琵琶湖を抜けやがて瀬田川へ達する。
この湖から出て行く道はただひとつ。
とても単純な水の出口。
でも、ここへ至るまでの琵琶湖の中には迷路が広がる。
琵琶湖の水が完全に交換するには、15年近くの月日を要するという。
ゆっくりとした時間をかけ、高い場所から低い場所へと流れる間に、多くの生命を育みつづける水。
出口を抜けた水は瀬田川を下り、淀川を抜け瀬と淀みを繰り返しながら、やがて京阪神の飲料水となる。
琵琶湖を流れる水の道を、いつか辿ってみたいと思うのは私たちだけだろうか。
といっても人が通う道ではない。
数十万年前に琵琶湖がこの地に形成されてから、春夏秋冬、絶えることなく流れつづける水の道である。
古代の人々は、大きな琵琶湖の自然を恐れ、愛し、敬いをもって接してきたことだろう。
そのことは、湖底に埋もれた縄文時代の遺跡や、竹生島に奉られているヒンズー神を起源とする弁財天、人々の口の端に語り伝えられる琵琶湖の悲話などからも伺える。
いずれも湖と人の長い交わりの歴史から生まれてきたものだ。
水の道への入り口は、500本をこえる大小の河川である。
それぞれ異なった流域を経て入り口に到達する水は、微妙な違いがあり、決して同じ水ではない。
水が道を流れる時、少しずつ、異なった水がブレンドされて、琵琶湖の水が生まれてくる。
現代の水質分析では誤差の範囲に入るとも思われる、ちょっとした水の違いは、そこに生きる小さな生物たちを多様なものにしている。
琵琶湖を流れる水の道は、プランクトンという小さな生き物たちの通り道でもある。
春、水がぬるむ頃、琵琶湖の道は徐々にその姿をあらわす(図1)。
小さな渦がそこかしこに形成され、やがて大きな渦となる。
そして、湖岸を右に見るように、ゆっくりと動き始める。
環流の形成である。
水の道はエネルギーの流れでもある。
春の日差しで温まった水は、冬に冷やされた水の上を滑るように流れる。
太陽の恵みで加速された環流は、風の後押しも受けて少しずつ成長していく。
大きな独楽のように回転しながら。
この頃、ウログレナ・アメリカーナという黄色鞭毛藻類による淡水赤潮も始まる。
夏、小さな渦と大きな渦のせめぎあいが終わって、琵琶湖を流れる水の道筋がほぼ決まってくる。
例えば、姉川から流れ出る水は、毎秒30cmくらいの速さで西に向かい、左回りの大きな円を描いて回転しながら中心に向かう。
第一環流である。水平方向の圧力勾配が、地球の転向力と釣り合って流れるので、地衡流とも呼ばれる。
琵琶湖が大きい所以の巨大な渦である。
地球の自転という、とほうもなく大きな運動が、琵琶湖の中に美しい三つの渦を作り出す。
太陽のエネルギーと、地球の自転と、琵琶湖の大きさが関わりあって創り出す自然の芸術である。
秋、環流は少しずつその勢いを失う。
水平方向の水の流れが、深さ方向の混合に取って代わられる。
この頃、琵琶湖では、藍藻を主体とする秋のブルームが見られる。
水の流れに乗って浮遊するプランクトンたち。
古代から現代にいたるまで水の道は同じような盛衰を繰り返しているが、その道を辿るプランクトンたちは時代ごとに主役の座を交代している。
冬、水平に流れる渦の道は消えていく。
一方、湖面や湖岸で冷やされた水が、下へ下へと潜り込んでいく。
全循環の始まりだ。
酸素をたくさん含んだ表面の水が、湖底に移動する。
一年1回、湖底付近の水が湖面近くの水と入れ替わる。
それに伴って、湖底付近にいた珪藻が下から上へ輸送され湖全体に広がってくる。
上から下、下から上への水の道。
悠久とした琵琶湖の自然が、プランクトンたちを育み魚たちを守ってきた。
琵琶湖を流れる水の道は、多様な生物たちの営みを作り出す道でもある。
琵琶湖の中には道がある。
それは季節ごとに装い変え、水や生物が移動する道である。
河川や水路から流入する水は、複雑な経路を辿って琵琶湖を抜けやがて瀬田川へ達する。
この湖から出て行く道はただひとつ。
とても単純な水の出口。
でも、ここへ至るまでの琵琶湖の中には迷路が広がる。
琵琶湖の水が完全に交換するには、15年近くの月日を要するという。
ゆっくりとした時間をかけ、高い場所から低い場所へと流れる間に、多くの生命を育みつづける水。
出口を抜けた水は瀬田川を下り、淀川を抜け瀬と淀みを繰り返しながら、やがて京阪神の飲料水となる。
琵琶湖を流れる水の道を、いつか辿ってみたいと思うのは私たちだけだろうか。