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Yum Yum Yummy !!

私とBisouとマリモのうまうまノート

いろいろ。

2018-09-09 | 日記

ご無沙汰しました。
先月。僅かな時間とはいえ同じ釜の飯を食わせて頂いた 
私からは ずっとずっと雲の上の料理界の星とも言える
ロブション氏が亡くなられ 私は自分の料理人生も
振り返ることが多かった。 
喪に服すわけでは無いけれど 何となくブログに投稿するのは
気持ちが後ろ向きで 暫くの間のお休みをすることにした。

でも その間に全く料理をしなかった訳でもないし
料理の写真を撮らなかった訳でもないのだけど
それを楽しい文章にしてブログにUPする気にはなれなかった。

TOPの写真は夏場のうまうま。😋
フレッシュなトマトとモッツァレラで作った冷製パスタ。
他にも色々 作って食べたけれど それは又 いずれか。

そうこうして1ヶ月が経とうとしていた9月6日の未明、
午前3時8分。 予想外のことが起きてしまいました。

私の住む地域は 震度5強の揺れ。
2時頃 ベッドに潜り込んで眠りに落ちそうになっている時に
ビズがトイレに入って 大っきいのを産み落としている気配を
感じつつ、でも もう眠くて起き上がる気力がなくて
「いいや、明日の朝 お片づけしようっと・・・」と思いつつ
アッと言う間に眠りの国の魔法にかかった。

で。何事もなく朝を迎える筈だった。・・・けれど
そうは行かなかった。
いきなり ドンッ❗️と下から突き上げるような強い揺れに
眠りの国から引き戻された。
「うん❓ビズが飛び乗ったにしては すごい揺れ・・・」と
思っているうちにガタガタガタガタガタ・・・・・と部屋中が
音を立てて酷い揺れが続いた。
長く感じたけれど 割と短い時間。でも その一瞬の間に
先ずは「ビズー❗️」と叫んだ。それから「地震だ❗️
地震だけど 寝室はベッドに倒れて来るような物は何も
置いていないから ここで起き上がるより布団に包まって
酷い揺れが収まるのを待つ方が安全」・・・と考えてベッドの上で
ただ、ただ、身を丸くして、でもベッドの上の天井の電灯が
落ちて来ないだろうか❓、、、と思っていたら ふわ〜んと緩やかに
勝手にクローゼットの扉が開いた。

いよいよ揺れが酷くなり「おおおおおおおおおーっ」と雄叫びしか
挙げられなくなっていた。

その次の瞬間。クローゼット横に立てていた姿見ミラーが
パターッと静かに倒れた。 割れた❓、、、と思った頃
やっと揺れが収まった。 鏡は割れていなかった。
寝室の中は被害なし。ビズが居ない。
たぶん。寝る時は一緒に寝ていたけれど そのあと、最近の
お気に入りの寝場所になっているソファーに移動して
そこで寝ていたに違いない。

寝室の入り口床に置いていた ビズの水入れのお水はビチョビチョに
周りに水を飛び散らせていたけれど ひっくり返ってはいなかった。

リビングに行くと やっぱり部屋の彼方此方に置いたビズの水入れから
水がビシャビシャと溢れまくって床が水浸し。
ビズを探す。 「ビス❗️ビズ❗️」と呼びながらソファーの後ろ側、
壁との隙間を覗く👀 

怯えた顔で小さく丸くなって固まっていた。
「ビズ。大丈夫だよ。 こっちにおいで。」と呼ぶと子猫のような
ピャーと言う声で鳴きながら小走りに足元まで来たので
抱っこは嫌いなビズだけど 抱き上げて寝室に連れて行った。

それから もう1回、リビングの戻って部屋の中を見回す。

マリモの祭壇の1番奥に置いた 1番大きな写真5枚入りの
写真フレームが 何故か祭壇の手前の物を飛び越えてリビング床へ
吹っ飛んでいた。

祭壇の花瓶は倒れて飛んでいるし 祭壇の上もグチャグチャ。

床も祭壇周辺も水がビシャビシャ。

「そうだ、TVつけてニュース見なきゃ」とTVを点け、
これからも続くであろう余震と 揺り返しで 再び物の落下が
あるかも知れないので祭壇から 写真フレームや他の物を
取り除いて テーブル下の床に 下向きに伏せて退避。

震度5強の揺れを初体験して 寝ぼけていたのと相まって
ボーッとしていたけれど 今頃になって強くなってきて
膝が震え始めた。
食器棚を確認。 グラスやガラスコップの棚は棚板から
前にはみ出して 落ちるギリギリの所で辛うじて止まっていた。
他の食器の棚も 食器類は前進して止まっていたので押し戻した。

急いで雑巾を手に 床を拭いて ほぼ、床を拭き終わって
その雑巾を台所シンクで絞っている時、電気がフワ〜ッと
一瞬 暗くなってから また元の明るさに戻った。
「ヤバッ❗️きっと停電する‼️」と咄嗟に思ったので
手元にあるヤカン、鍋、空のペットボトルに手当たり次第に
水を入れた。 最後のペットボトルに水が一杯になる瞬間
TVも含め 全部の電気が消え 部屋が真っ暗になって停電した。

急いでお風呂場へ行って バスタブにお水を貯めようとしたけれど
もうお水はチョロチョロしか出なかった。
それでも 水は有ると無いのとでは大違いなので そのまま
風呂場の蛇口コックを捻って バスタブ内の蛇口下に洗面器を
置いて 僅かな水も最後まで貯めた。

それから真っ暗な中、スマホのライトを頼りに ビズのトイレを
掃除し、ペットシーツとトイレマットも交換した。
トイレ掃除なんて、、、と思うかも知れないけれど さっきの
怯えた顔のビズを見たら これから どの位か分からないけれど
暫くは停電と断水状態が続く訳で 普段と違う状態で生活の様子が
変わってしまって 更なるストレスは与えたくなかった。

トイレ掃除を終えて 真っ暗な中、他にどうする訳にも行かないので
ベッドで寝ることにして ベッドの所へ行くとビズが寄ってきた。
抱っこ嫌いのビズだけど 抱っこすると途端に喉が小さくゴロゴロ
なり始めた。 そのままビズを抱っこして寝たけれど眠れず朝が来た。

5時を過ぎて少し明るくなったので 周囲の様子も知りたくて
着替えて外に出た。 すぐ側の24時間営業のスーパーは
「緊急事態により休業」の張り紙が。

水は貯めたし 幾らかの飲料のストックもあるし食料には
心配はなかったけれど コンビニの様子を見に歩いた。


ガラスが割れた店もあって 信号は全消灯。
1軒目のローソンは休み、セイコーマートも休み、
セブンイレブンは暗い店舗内で 蠢く人の影が見えたので
行ってみると 既にお水はなく、2Lの飲料も無くなっていて
床は便が割れてグチャグチャ、500mlのお茶が数十本、
残っていたので 3本、お茶を買った。nanacoは使えた。 

お茶3本を手に町内の様子を見て歩いた。
ピンポンマムやダリアのような まんまるいヒマワリ🌻が
咲いていた。こう言う まんまるい花をみると やっぱり
うちの子たちを思い浮かべてしまうので 私の心をキュッと
握られる感じ。怖い思いをし、そしてその被害が これから
始まりそうな様子で心細かったけれど 少し元気をもらった。 



私は小学校を卒業するまでは関西育ち。父方の親戚縁者は
関西圏に住んでいるので阪神大震災の時にも震災後、その現場を
目の当たりにすることもあったし 又、自分でも震災ボランティアに
行ったりもしているので 災害の後の体験はあったけれど。

よもや自分が被害を受ける立場になるとは考えてもみなかった。

規模は小さいけれど被災者になってしまった・・・・。
うちの周囲はハザードマップで見ていたが液状化する可能性の
ある地域になっていた。

町内を徘徊して見て歩いたけれど とりあえず大丈夫そう。

避難所、近いのだけど行った方が良いのだろうか❓とも
考えたけれど ビズを連れて行けなさそう。
いゃいゃ。連れて行けたとしても ビズには慣れない場所で
ストレスフル。家も壊れていないし避難所には行かないことにした。

食料は。370Lの冷蔵庫に 丁度、お友達から届いた梨やら
他の果物、作り置きの食材など満員御礼、
冷凍庫も満員御礼なので このまま丸1日くらいは中のものが
お互いがお互いの保冷剤となって冷えた状態を維持しそう、、と
考えて 扉を開ける時には できるだけ短時間で済むようにして
過ごすことにした。

給水所は我が家から徒歩7〜8分。10Lタンクに給水して
抱えて帰る途中、馴染みの八百屋さんがお店を開けてくれていたので
子供の頃からの大好物、青切みかんを買って帰った。


そんな被災1日目。
近所の大型スーパーは入店するのに大行列が出来ていて
入店するまで3時間も4時間もかかりそうな列で
「食料もあるし お水もあるから」と並ぶことはしなかった。
ご飯は 冷蔵庫のものを使って 本当は他のメニューになる筈だった
今シーズンの初物 秋鮭を使ってエノキと秋鮭のホイル焼きと
仕込んであったシメサバに自家製ガリを添えたもの、紫キャベツの
マリネで 停電しても断水でも 美味しい晩餐となった。


 
折角なので 被災も楽しく美味しく乗り切ってやると決めた。

被災2日目のスタートは冷凍庫に切ってストックした
パプリカやインゲンと 冷蔵庫のキャベツ、人参、セロリと
トマト缶で いつもの定番 野菜スープから。



被災1日目の晩。真っ暗で 出歩く人も無く 静かな街の様子に
ちょっと寂しくて心細くて そして少し恐怖を感じたけれど
見上げた空は 素晴らしく美しく星がいつも以上に沢山、
瞬いていて印象的でした。そして その星空を見て少しホッとした。

被災2日目はスマホに充電しに行ったり、万が一の断水長期戦に
備えるべく再び給水所へ行ったり。

冷凍ストックしていた梅は 今の梅シロップを飲みきって
冬になってから 次のシロップを仕込む予定だったけれど
解凍されてダメにするなら 殺菌状態が不十分で
上手に漬けられないかもしれないけれど ダメ元で
梅シロップの仕込みもしました。



明るいうちに晩ご飯を作って食べるのも決めて
早めご飯に冷凍庫の舞茸を 少量の油で天ぷらにしてみた。
 

そうして被災2日目の晩は キャンドルに火を灯し、
「さぁ〜て。今日は何をして 真っ暗な夜を過ごそうか❓
スマホの充電は使いたくないし 今夜は近くの公園まで
オヤツでも持って 星を見に行こうかな❓」と考えていたら
パチパチッと いきなり電気が復旧しました。

9月7日午後6時33分。

電気が復旧した、、、ということは 断水も解消しているのか❓
トイレも流したいけれど トイレから流すとエアポンプ状態で
逆流したり 排水溝が詰まってしまうから まずは家中の
蛇口コックを捻ってまわり 蛇口から汚れた水が出なくなるまで
ジャージャー。




そんな風にして もっと長くかかるかと思った被災者生活は
39時間25分で終わりを迎えた。

短い時間だったけれど あの強い揺れの後、停電に断水という
状況下で暮らしたのは いろいろ考えることも感じることも
多かったし 自分の逞しさも感じて良い時間になりました。
、、、もう体験したくはないけど 良い経験。

まだ震源地に近い地域は 酷い被害状況下にあるし
お亡くなりになった方も多い。
札幌だって まだ大きな余震が来ないと決まった訳では
ないので 注意しながら生活しなくてはならないけれど
南富良野の水害の災害ボランティアに参加してから
丁度2年。 また災害ボランティアに行こうかな・・・・ 

 


お城の想い出

2018-08-07 | 日記

2018年8月6日。
フレンチの巨匠 ジョエル・ロブション 氏が天に旅立たれた。

いつだったか「癌を患われている」とチラと聞いていたけれど
やはり癌であったらしく スイスのジュネーブでお亡くなりに
なったとニュースがと伝えていた。

私には神々しく雲の上の上の方。
コルドンで学び、アシスタントを経て 恵比寿ガーデンプレイスに
新しくオープンする 彼のお城で働けることになった時の
夢のような出来事に足元がフワフワしている気がしたのを思い出す。

世界的に有名で 有能なフランス料理の巨匠。
恵比寿のお城は上階ではドレスコードもあって 素晴らしい空間、
下界はカジュアルなタイプのレストランになっていた。

コックだけで50名を越す大所帯。
日本で初めての彼のお城のオープンということもあって
オープンから2〜3ヶ月、本当に忙しく 毎日、始発電車で
出勤したら 終電で帰宅するのが当たり前になるような感じだった。

普段は日本人のシェフが総料理長として 全てを統括していて
私が配属されたカジュアルなレストラン部門には若き2番シェフが
居て 彼が統括していた。

2番シェフはチョット(いゃ かなり)意地悪な人で 
要領の悪いタイプや 大人しい性格の人間は気に入らないらしく
何かと意地悪な仕打ちをする人だった。

私も色々、仕打ちを受けた。
コルドンで学び、アシスタントから ロクな修行をせずに
修行を大幅カットして入ってきた女子で おまけに製菓部の
シェフパティシエは コルドンで共に働いていたシェフだった為に
お隣のシェフとは 仲良しなのが気に入らなかったらしい。

嫌がらせは 仏語上級者ではない私には聞き取れない程の
早口で 仏語の指示を捲し立てるように言われるとか
かなり下働のような仕事を申し付けられたり 
サボ(職場で履く 木製底のつっかけ)でギュゥゥと足を
踏まれるとかetc・・・ 

そんな毎日を送っていて でも私の周りの彼以外の人は
結構 みんな親切で何とか乗り越えていた日々。
その時、ご一緒したコックの中には後に札幌のJRタワーホテル
ミクニのシェフになった彼もいて 今思うと 凄い人達に
助けられていたんだなぁ、、、と懐かしくなる。

そんな ある日。本国からいよいよ、ロブション氏が
お城にやって来た。

最初は上階のレストランで 皆の仕事を見て
その後、私のいるカジュアルレストランの厨房にやって来た。

ちょうど、何かのことで2番シェフに チョットした意地悪を
された後で 厨房内の雰囲気も硬くなっていた時。

Bigシェフは敏感だった。
私の仕事は50名以上のコックの中では ごくごく小さく
幾らでも替えの効くような歯車だったけれど それでも
そんな小さな歯車さえ 動きが悪ければ全体の動きが
悪くなるのはロブション氏の本意ではなかったのであろう。

各部門を確認して 各所のコックに直に指示を出して
いよいよ私のいるサラダやアミューズを仕上げる部門にも来て
私たち3人のコックにも アレコレと指示を出してくださった。

もう、その指示を頂くだけでも 有難くて神々しかったけれど
仕上げた皿を「très bien❗️(トレビアン)」とOK
言葉をかけて頂けたのは 毎日、仕事よりも2番シェフの
仕打ちが辛くなっていて逃げ出したくなっていた私には
神の救いの手のようだった。

私がロブション氏に接触できたのは この時が最初で最後。
勿論、私は他のシェフにも コック達にもロブション氏より
遥かに沢山、お世話になり、助けられ困難な道を歩めたので
感謝の気持ちは その方々の方が強いけれど。

でも やっぱりロブション氏は私の恩師の一人。
短い、僅かな期間であっても彼の名の下で働けたことは
私の宝物の時間でした。

シェフ❗️本当にありがとうございました❗️ 


文化教室

2018-08-05 | 日記

6月に申し込んでいた【ひょうたんライト講座】に行ってきました❗️
「ひょうたんライト」と言うものを知って 約2年。
今までに何度か、今日のひょうたんライト講座の講師の先生の
講座が開かれているのを 後で知ったり、他の予定で受講が
出来なかったり機会を逃していたので 2年越しの希望が叶いました。

札幌の観光名所の1つ、時計台は只今 修復工事中で その姿を
直接望めませんが 誰が考えたアイディアなのか⁉️、、時計台の
絵が描かれたシートがかかっていて これは別の意味で面白く
道行く観光客も「面白いねー」と写真を撮っていました。

そんな時計台脇を通り抜けて講座へ❗️
お道具の使い方や 表現方法のレクチャーを受け、
自分で下絵を描いてきたものをもとに 半田コテで穴を
開けて行きます。



丸い穴を開けるのは思っていたより簡単だけど
カッターを使って 切り込みを入れて作る模様が予想外の
難しさ

お友達同士で申し込みされた様子の 私のお隣の方々は
講座中、ずぅーっと大きな声でお喋りしていて ちょっとだけ
騒がしくて迷惑だったけれど 私の場合、集中し始めると
カニを食べる時みたいに黙り込んで 淡々と作業をして
しまうので 下絵をもとに微妙にデザインを変えつつ
模様を描いて制作終了。





私のは向かって右から2番目。

人が違うとデザインも色々で面白い〜〜。



家に持ち帰って 電気を消してライトを点灯してパチリ



先生作の ひょうたんライトも1つ購入して
並べてみました。
やっぱり先生のは美しい〜〜♬



天井に映り込む光の模様も とても美しくて。
ビズはキラキラ光る光の出る ひょうたんも気になるし
天井や壁に映し出される光の模様も気になってキョロキョロ。



幻想的な写真になりました。

ライトの付いていない ひょうたんライトの表面をジィーーーッと
眺めるのは ブツブツ空いた黒い穴の集合体に見える時があって
ちょっと気持ち悪い時もあるけれど ライトが灯って壁や天井に
映る模様が綺麗だし 作る作業も絵柄を考えるのも楽しくて
何だか これはハマりそうな予感です・・・。

 


集合〜!

2018-07-12 | 日記

フラワーカーペットが終わってしまってリハビリ再開。
右足首靭帯損傷で「ギプスじゃないんだから動かしちゃダメだよ」と
バンデージぐるぐる巻きだった時期を過ぎて バンデージを
外したものの やっぱり まだふくらはぎから下はドーンと
重たくて足の向きによっては「イタタタタ」と声が出た。

そんな時期も過ぎて 痛み止めを飲めば痛みは軽減される中、
この半月はフラワーカーペットの制作をしていたけれど。

それも終わったので本格的にリハビリ再開。
毎日、「宿題」として 幾つかのストレッチと筋力向上の為の
「爪先立ち」をしています。

だけど。右足、硬い。
足首の動きが硬くて正座はできません。
足もまだ なんだかブゥーッと腫れていて左足より太い。
で。リハビリの担当の先生が 毎回、30分近く足の筋や腱を
細かく解してくれるけれど それも時々「イタタ」となる。

それで 関節1つずつをコキコキ、クネクネ、ウニュウニュと
解して 時々 トントンとチョット力を入れて筋を伸ばす。
ずぅーっと座ったままで動かなくて 立ち上がった時の
足や腰やお尻の筋肉や筋がキュゥ〜となる感じと似ていて
伸びなくて硬くなった筋も腱も 靭帯を痛めて固定して
動かさずに知る間に固まって 筋力も落ちてしあったのだから
仕方ないことらしいけど。 

リハビリの後は右足が ズーンと重くなって腫れも少し多くて
ふくらはぎから下の足が痛くなる。
痛いの、仕方ないんだって。分かるけど時々、悲しくなる。

正座も出来ないし、階段を降りる時も辛いし 右足だけ
ブゥッと腫れぼったい足で重いし 自転車に乗れないし
不便な上に痛い

ほんとに足の腫れ、引くの?
痛みもなくなる日が来るのかね?
正座もできるように戻るんだろうか?
・・・こんなことを考えてボンヤリしていたら 家の中の
【手をかけなきゃダメな子】の様子をちゃんと見ないと
ダメだったことに気づいて ちょっと みんな集合〜❗️

今年の梅干しは5Kg止まりかなぁ。良い梅にもう、出会えないかなぁ。
とりあえず赤紫蘇入りにした3Kgはご機嫌よし。
赤紫蘇を入れなかった 白梅干し予備軍は片方の1Kgが
少しおヘソを曲げてしまって(放置プレイに💢で)梅酢が
濁ってしまったので 急遽、去年の赤梅酢と赤紫蘇に
中の梅だけを拾い出して 赤梅干し予備軍へ転向。



ぬか床ぬか子さんも 少しだけご機嫌斜め。
一旦、他のボウルに取り出して 容器を洗ってから
新しい糠を足して実山椒と生姜と赤唐辛子を入れて
胡瓜を漬けてご機嫌伺い。

梅シロップは快調。
まだ あと2Kgは冷凍庫に梅があるので 順次、梅シロップを
漬けながら過ごしましょう。

そうそう。1番 手強いのは毛むくじゃらのお嬢ちゃんが居ました。
この子は 少しでも 放ったらかしにすると どこまでも私を
追って家の中を付いてくる、「トイレに入るよ❗️」「ママちゃん、
お腹 撫でて欲しいよ〜❗️」「ニャにか食べたいニャ〜❗️」と
いろんな鳴き方でアピールしてくる。

相手をできずにいたら「グッすん 寂しいニャ〜」と
垂れ目、上目遣いになって 寝室のベッドの脇で丸くなって
遠巻きに こちらを見つめてる。

そうなのだ。この子は我が家に来た日から 放ったらかしに弱い。
いゃ。ビズが一人ぼっちに弱いんじゃなくて きっと私を
一人ぼっちに刺せないよう設定されて やって来たから
私と一緒じゃないとダメなのだよね。

一人でいて寂しいのと二人でいて寂しいの、
そりゃ二人でいるのに寂しい方が寂しさ度は高いもんね。

ちょっとお留守番ばかりだったし ビズにもっと
手をかけてやらなきゃね。

どの子も大事大事。

(そして実は 本当は大事だったのに 大事にして
あげなかったからか もう ずーっと使っていた母のお下がりの
雨傘をフラワーカーペット終了日に失くしてしまい 大後悔中

大切なものって 見失いがちだ。気を引き締めなきゃね。
   


切り替えなければ。

2018-07-08 | 日記

札幌 北3条広場(赤プラ)のフラワーカーペット制作が
6月21日と22日。公開最終日の撤去が24日夕刻。

その後 頂いた札幌ステラプレイスの9階にオープンする
ステラ9そらのひろば】フラワーカーペット制作リーダーの
お仕事は7月5日の1日で花むしり+花絵制作予定でしたが 
生憎の雨で5日と6日の2日間に制作が跨りました。

そらのひろばOPENの翌日、メンテナンスまでは私の
仕事内容には含まれていませんでしたが 作ったらお終い、
・・・とはチョット切り離せないし 制作者としては
自分たちの携わったアートが どのように変化しているのかも
気になるところ。

但し。メンテナンスは札幌のイベンターさんがバイトを雇って
そのバイト数名が行うことになっているので 無償だったとしても
私が出しゃばるのも厚かましい邪魔者になってしまうので
今回のお話を下さった東京からの制作スタッフさんが
いる間の“お手伝い”として チョロッと。

そんなお手伝いを終えて帰宅して インスタに写真を
UPしたついでに 他のPostを探してみたら。



制作している私たちは自分自身で 見ることのない、遥か高い場所から
制作風景を撮影してくださった方がいらっしゃいました。(写真、頂いて
きちゃった・・・)

ワタクシ、下絵中央より少し下のあたりで 屈みこんで
ちょうど細文字の「ステラ9」を描き終わり、太くて丸っこい
「2018.7.6」の「0」を描いている最中でした

私が1年で1番楽しみにして 時間を絶対的に割くことにしている
フラワーカーペットのイベントが今年は1つではなく2つもあって
この数日間は 本当に楽しい時間でした。

終わってしまって(ステラ9のフラワーカーペットは
明日いっぱい展示中) 今はプチ抜け殻です・・・・

ちょっとお外ご飯比率が高くなって 野菜大好き、普段は野菜が
メインの私には 野菜不足でストレスだったので ゆっくり
野菜料理してスイッチ、切り換えなきゃ。