Yum Yum Yummy !!

私とBisouとマリモのうまうまノート

2020-10-15 | 日記
ご無沙汰しております。
時々、様子を見に ほったらかしになったブログを覗きに
いらしてくださった方、どうもありがとうございます。

9月18日の夜、父が亡くなりました。

数年前から肺気腫を患い、去年の秋には ある日 突然、立つことが
出来なくなり車椅子の生活になり、座っての生活が少しずつ辛くなり
今年に入ってからはベッドでの生活になっていました。

1日 ベッド上で生活し始めると 運動不足にもなるし外へ出て
景色を見たり農作業をしていた頃のような刺激もなくなり
認知症状も出始め、父の頭の中で広がる世界と 今の現実の世界を
フワリフワリと行ったり来たりしながらも 意識のハッキリしている時は
頭もシャッキリ、昔のことや最近あった出来事、美味しいものを
食べた話、私の生活の心配など 色々 気にかけたりして同居の人間を
通して話しをしたり やり取りをしていました。

それでも徐々に肺の機能は低下して体力も落ち、短い期間の入院の
回数も増え始めました。

夏の終わり、今年の夏は特に暑くて注意していたものの熱中症の
症状が出て入院をしました。
病院で点滴から栄養を摂り 自宅で過ごすより医療的なケアも
適切なので容態は安定して退院。

でもレントゲンの写真では肺は真っ白。他の数値データも悪くて
“ いつ何があっても ” な状況ではあったけれど これはもう、
その人の生命力と言うのでしょう 医者も驚く元気さでした。

退院から少しした9月14日。父の誕生日。

私の住む町から父の住む町へは普段なら直行バスが出ていましたが
コロナ禍で運行休止。
JRも途中までしかないので 途中からはバス。
今は車を所有していない私はレンタカーも考えましたが
行きは良いとしても 帰り道、慣れない海岸沿いの1本道を
どんな精神状態かも分からない状態で運転する自信は無く、
JRとバスで行くか JRの最寄り駅まで父の同居人に迎えに来てもらうか。

JRも普段は途中の駅で1回の乗り換えがあるので 何時に家を出て
どの時間帯のどの列車に乗れば 時間ロスが少なく効率的な移動が
出来るのか調べてみると 9月14日は『臨時特急』が期間限定で
運行しており その運航日の最終日と分かりました。

3両編成で自由席は1両。平日だし自由席で移動できるかな、、、と
思いつつ前日、緑の窓口に行くと「指定席は残り1席、人気列車なので
自由席で確実にご乗車頂けるとは・・・」と言われ残り1席の指定席を
確保しました。

誤嚥性肺炎の過去もあり 退院後 そんなに経ってもいないので
久しぶりに父が好きだったビーフコンソメを 肉をミンチするところから
全部、丁寧に丁寧に 少しでも栄養が摂れるよう美味しく飲めるように・・・と
作ったスープをペットボトルに詰め、果物好きの父が少しでも食べる気持ちに
なるように果物のゼリーを幾つも持って行きました。

到着してすぐ、ベッドで寝ている父の顔を覗き込み、「お父さん、来たよ〜」と
声をかけると それはそれは驚いて 目をまん丸にして
まるでムンクの『叫び』のような顔をしてビックリ。

そして その後 私の滞在中は本当に上機嫌で 寝たきりのベッドの上で
すっかり骨と皮だけのような弱々しい身体になっているのに両腕を
宙に上げて踊りを踊るように手をヒラリヒラリと動かしたり 
グー✊パー✋したり お誕生日のケーキも食べ、スープも飲み、
私が子供の頃の話をするのをニコニコ聞いたり 私が父の足の裏を
コチョコチョッと くすぐるイタズラにも ヒャッ(>_<)と声を上げて
素早く脚をひっこめたり・・・本当に元気そうに見えました。

帰り際、「また来るからね、待っててね」「お父さんお得意の
もぅアカン、もぅダメや、、、はアカンよ。少しでも食べて
少しでも元気にならんとアカンよ。」と話して帰りました。

帰宅後、父が食べられるもの、私が作れそうなもの、毎日の食事が
少しでも楽しみになるように、、と市販のレトルト嚥下食や
補助食品をネット注文したり 私が作れそうなものの材料を集めたり
大急ぎでした。

次に訪問する時のこともアレコレ考え、交通手段や所要時間も
調べて 初物の「あかね」りんご🍎を食べやすくコンポートにして
小分けパックして 一緒に父の好きなアイスクリームや苺🍓の
冷凍も 「とりあえず少しでも早く」と宅配便で送りました📦

なのに。
宅配便が届く前の晩、私が訪問した4日後、父は逝ってしまいました。

初物りんご🍎のコンポート、間に合わなかった。
アイスも冷凍いちご🍓も食べずにいっちゃった。
「また来るから待っててね」って約束したのに。
なーんにも出来なかった💧

ごめんね、お父さん。

我が家は色々 事情があり 父は私が中学生の頃から単身赴任状態で
同じ家で生活した時間は私の人生の前半、早いうちの時間だけでしたが
私は小さな子供の頃から父親似のお父さん子だったので
小さな頃は本当に父と過ごした時間の記憶が沢山。


流石に この写真 ↑ は覚えていないけれど。 これは祖父宅で。


4歳頃、宮崎の埴輪公園で。 これはお気に入りの写真。
ハニワが ちょっと面白くて可愛くて好きになったキッカケ。
はに丸とひんべえみたいだな。


これは父と家からサイクリングに行った時のもの。
お弁当は母の作った私の大好物「梅干おにぎり🍙と 
きゅうりのぬか漬けを1本のまま」
私の写真もあるけど2人で行ったので 父のこの写真は
多分、私が撮ったんだよね・・・?(それは覚えてないんだけど)


これは まだ北海道民ではなかった頃の北海道旅行で。


これも まだ北海道民になるより ずっとずっと大昔。

写真があるものも 写真なんか無いけれど私の記憶にハッキリと残る記憶も
本当に本当に沢山、いつもいつも父と過ごしたこと、父にしてもらったこと、
いっぱいです。 

私は子供の頃、身体が弱くて頻繁に高熱を出したり 視力も良くなくて
極度の遠視で遠近感がなく階段を度々 踏み外して階段から転げ落ちたり
本当に親としては心配で手のかかる子供でした。

今でも熱を出すと夢の中で思い出す景色は真っ暗になった夜、熱で
身体が怠くて父の背中に負ぶさり時々 視界に入る白熱街灯の明かりを
虚ろに見ながら 家から近い掛かり付け医へ行った時のこと。

階段がある場所(駅とか)は父の腕におサル🐒のようにブラ〜ンと
ぶら下がって降りたこと。

奈良公園で遊んだこと。
奈良公園のお馴染みのお茶屋さんでわらび餅を食べたこと。

半田付けの方法も教わったし 風邪気味の時にはルゴールで喉の奥を
焼かれてオエッとなったこと。

人生最初に卵焼きの作り方を教わったのも父。
わらび餅の作り方やコツを教わったのも父。

宿題の漢字の書き取りが済まなくて 途中で眠くなってコックリコックリ
船を漕ぎながら ミミズが這うような字になるのを根気強く横で
見守ってくれたことも

母が入院して毎日 寂しくて泣いているのを懸命に明るい気持ちに
させようとダジャレ連発して笑わせてくれたことも

自転車に乗る練習も 水泳の練習も バク転の練習も全部全部。

腹の立つことも 理解し合えなかったこともあるけれど
兄弟の中で私だけポツンと歳が離れて一人っ子のような紅一点で
甘やかし放題に甘やかし家族からは非難轟々だったけれど
出来の良い2人の兄とは違って 何をやってもナカナカ出来ず
要領は悪いし人一倍 集中力もなくて努力も怠り成績表には
アヒル(2のこと)が隊列をなして行進していても決して私を
否定せず 「まぁ何とかなるやろ。1個ずつ やったらええねん」と
励ましてくれ 私がやりたいと思うことには「やってみたらええねん」と
何でもやらせてくれた父。

他人に比べて何でも劣るダメダメな我が子をガツンと叱らず
いつも慌てて失敗する私に「慌てない、慌てない、一休み。一休み」と
背中を押してくれました。
コンプレックスいっぱいで 途中で諦めそうになったり挫けてしまう私を
いつも。本当にいつも。一生。励ましてくれました。

最後の誕生日、あんなに痩せて見るからに弱って残りの人生も
少ないことを誰もが感じるような状態になっていても父と過ごした
時間中、私は父から「大丈夫、大丈夫。」と背中をポンポンとされた
子供の頃と同じように元気をもらいました。父は私を迷子にしない灯でした。

もうずっと離れて生活していたし、今だって離れて暮らしているのと
変わりない状況と思えばそうなのだけど。

やっぱり寂しい。そして やっぱり悲しい。
猫と比べては父が「なんやそれ」と言いそうだけど
私が愛してやまない毛皮娘1号マリモが逝ってしまった時とは
悲しみの現れ方が違って 自分が思ってもみない感じだった。

マリモがいなくなった時は わぁーっと悲しみの大波が押し寄せて
大波の中に一気にのまれ兎に角 息もできない悲しさと寂しさで
24時間いっぱいだった。

父との別れは じわじわと ひたひたと忍び寄ってくる。
24時間息ができないような感じではないけれど じわじわ、
じわじわと纏わり付いて ふとした瞬間にザブンと大波が来る。

今日は四七日。4週間かぁ。先月の今日はまだ同じこの世界に
居てくれたのにな。 もう1回、温かい手で手、握って欲しかった。
名前、呼んで欲しかったな。

18日は日曜日かぁ。 初めての月命日ってことになるのかー。

お別れは秋の初め。
今日、市内の山には初冠雪。もう冬の初め。寂しいね。

お父さん。 柿、好きだったよね。今年ね、奈良の柿、すっごく甘くて
美味しいよ。食べずにいっちゃって 勿体ない。

お父さんと過ごした時間、楽しかったよ。
ありがとうございました。 ダメダメな娘でごめんね。


最近の いろいろ。

2020-06-26 | 日記

思わずポチッとしてしまった。

まぁ ちょうど今まで愛用のエコバッグ複数が
そろそろクタクタのお疲れ状態になって来ているので
7月からのレジ袋有料化で更にエコバッグ登場回数も
増えそうだし サイズを色々、揃えようかと思って
ネットで良さそうなものを探していた時に偶然、私の目に
飛び込んできたからなのだけど。

だってね。白黒猫ちゃんがお絵かきしている絵の中に。

私の最愛の毛皮娘1号マリモと そーーーっくりな子がっ‼️
この絵の子の名前は「ジジ」ちゃんと言うらしい。

でも。似ているだけでも スコティッシュの白黒ハチワレちゃんが
モデルになっている商品なんて そんなに頻繁には出会えない💦
・・・ので 慌ててポチッと☝️

アッと言う間にお家🏠に到着。
実物を見ても やっぱり可愛い😊
大きくて使いやすそうだけど 可愛くて使えないや💧
汚すの嫌だもん。

そんな風に時々 マリモやビズを思い浮かべる猫モノに
出会うと我が家🏠に迎えてしまうけど「お小遣い」の
範囲でね

24日は12年前 マリモが煙になって空に昇った日でした。
私が住む街にしては その日の気温は平年より高くて
湿気も少しあって ちょっと湿り気のある暑さでした。

お昼に実家の近所のお花屋さんで花を沢山 買って
ブラシもコームも嫌いで自分の抜け毛にまで怒っていた
マリモにお別れ前に 新しく引越す虹の橋🌈でマリモが
『初めまして』の挨拶の時に 仏頂面でも“身綺麗な女の子”が
やって来たと受け入れてもらえるように 「マリモ。
ごめんね、ブラシ嫌いだったのにさ。」と言いながら
こちらの世界の最後の治療で乱れた毛並みを直して午後4時前、
火葬場からのお迎えの車で火葬場に向かいました。

お昼まで曇っていた空は火葬場に向かう少し前から晴れ渡って
とても良い天気でした。
お別れをして こちらの世で使っていたお洋服を脱いで
煙になって 真っ直ぐ空へ昇って行きました。

火葬場から燃えるように熱くて今までより ずっとスリムに
軽くなったマリモを抱いて実家マンションの前まで来た時
ちょうど真西から強いオレンジ色の光が眩しかった・・・

こんな風に今も鮮明な記憶。
毎年、同じ日の同じ時間に「今日は寒いねー🍃」とか
「今日はあの日よりは涼しいけど 良い天気だね」とか
独り言みたいにマリモに話しています・・・。
そして時々、そんな私の独り言に「ウニャニャニャ❓」と
返事する毛皮娘2号ビズに救われています。

湿っぽくなっちゃいました💧
でもチャント暮らしてます。


良さそうな新生姜と実山椒に出会ったので

新生姜は2020年のガリ1号に。
実山椒は塩茹でして冷凍ストック。
むふふ。これで煮魚も 佃煮も ちりめん山椒も大丈夫👌

だけど。毎年の梅仕事は今年はダメかも😢
南高梅には出会うのだけど梅干しは去年、いつもの倍ほど
漬けたので(今年、こんな事態になると予想していたわけ
ではないけど)今年はお休み。
梅シロップも多めに作ったのがあるから 最悪、仕込めなくても
大丈夫。

でも。今年は真っ青な青梅で甘露煮と甘酢漬けを
漬けたかったのだけど・・・真っ青な硬い青梅に出会いません。
多分、物流とか乱れちゃったから青梅は出回らず 南高梅だけ、
なんとかやっと流通しているのかも。
(南高梅もいつもの年より出回る量が少ない)ちょっとガックリ。

それでもまぁ 普通に作って食べてますよ。

アスパラのタルティーヌとか。


花椒を効かせた 揚げなす🍆南蛮とか。


私の好きな青っぽいサラダ。アスパラやらスナップエンドウやら
サヤインゲンやら 甘〜いモロッコインゲンを新玉ねぎドレッシングで。


包丁を研いだらキレッキレに切れ味復活して 嬉しくなって
スライスと千切りいっぱいして ポテトチップスとコーン🌽も一緒に
かき揚げにして揚げ物いっぱいとか。



ニュージーランド産の「ダズルりんご🍎」をコンポートにしたり。

それでも世の中「自粛太り」とか言っている中で
私の場合は「これ以上痩せないように」ワシワシ食べなきゃ、、で
結構 大変。

さぁ 今日は何を食べようか❓❓❓・・・・な最近です。




ひとむかし。

2020-06-23 | 日記

忘れたくないけれど 思い出すのは少し苦しさもある、
でも やっぱり大事で忘れたくない、忘れないあの日から
12年が過ぎました。

マリモ 虹の橋年齢12歳になりました。
もう私と一緒に暮らした時間より お空暮らしが長くなりました。



毎年、マリモの2つめのお誕生日(虹の橋誕生日)は
お別れの時に持たせた花と同じ種類の花を用意するように
しています。
今年はブルーから紫っぽくグラデーションしながら
ピンク系と白をポイントに。

毎年 沢山のお花を用意し、彼女の好物も用意します。
今年は私にとって お別れの日の悲しさを紛らわすイベント
Sapporo Flower Carpetもコロナ禍で中止になってしまったので
花のお手入れをする時間もあるしアレンジメントではなく
花束を注文していました。

沢山の花に囲まれるマリモの写真を見ていたら
お空に送った日、花の中に埋もれ、スヤスヤ眠るようだった
マリモと姿が重なり胸の奥がキュッとなりました。

悲しみは時間薬が治してくれると思っていたけれど
どうやら私には その薬の効き目はあまりないようです💧

長く闘病する訳でもなく 或る日突然、具合が悪くなって
アッと言う間に症状が進んで気がついた時から27時間で
お空へ行ってしまい、その死因も特定が出来ないままだったので
私の中で折り合いがついていないんだろうなぁ・・・。

それでもマリモという私にとって人生で最大の宝物に
出会えて そこから繋がった新しいお友達との出会いや
繋がりは今も大切な宝物。

今もマリモのことを思えていてくださる方々に感謝🙏

でも そんなありがたい存在の中でも マリモが虹の橋に
旅立った日を今も忘れず覚えていてくださるお友達がいます。

私の彼女のお家の三毛のスコティッシュちゃんが大好きで
忘れられない猫さん。
マリモが虹の橋に旅立って数年後、その子も虹の橋の住人に
なりましたが 虹の橋のお誕生日がマリモと近く、毎年
お互いの猫の虹の橋誕生日に贈り物をしあうお付き合いになりました。

今年。彼女から贈られたものが届きました。


見て見て😊
なんと❗️
前々から欲しいなぁ、、、と思っていたローリングピン。

これを見つけた時に私を思い浮かべてくれたそう。
私も毎年、贈り物を探しながら彼女や彼女の猫が浮かんだものを
チョイスして贈ることにしているけれど 同じように
私やマリモ、ビズを思い浮かべて選ばれた贈り物は
やっぱり幸せなパワーがいっぱい。
ママちゃん。 これはニャンですかニャ⁉️
食べられニャイものですかニャ❓


大きさは こ〜んな感じですニャよ❤️

とても とても素敵な贈り物。大切に使います。
きっと この先、ずぅーっと このローリングピンを
使う度、贈ってくださった彼女や彼女の家族やニャンズを
思い浮かべて幸せな気持ちで心が満たされるでしょう。

可愛い猫のレリーフが出たクッキー、上手に焼きたいなぁ。



プリン。

2020-06-07 | Yummy!

プリン 作った。
我が家のプリンは昔ながらのしっかりタイプが基本。
(私はトロトロ系のプリンは少々苦手)
苦手な理由は大抵が生クリームが入ってカスタードの
部分が私にとっては余分にネバーッとするように
思えるから。

今回は生クリームを全体の1/8ほど入れて いつもなら
大きい型で焼いて 切り分けて食べるのを小さいプリン🍮に。

もう1日の大半の時間を自分の頭の中の世界の
住人になってしまった父は食べる量も減って
痩せてしまったらしいので 「昔から父が好きだった
プリン🍮なら食べられるかなー・・・」と思ったから。

容器が色々なのは新しく使ってみる容器の性質を
確認するための試し焼きも兼ねたり、思った以上に
大量にできたアパレイユ(プリン液)が残ったので
自分用に。

自分用のオヤツがメインではないので 細心の注意を
はらって かなり低めの温度で じーっくり。

自分用のはカラメルありと カラメルなし。
試食も兼ねているので カラメルありも なしも同時に
お皿に出して カラメルなしにはメープルシロップを。

生クリーム入りで低温焼きしたので 滑らかで
シルキーな舌触りに仕上がった

カラメルなしのプリンはメープルシロップを
かけたのが大正解。
カラメルよりも甘さが軽やかでサッパリしていて
生クリーム入りの重みのあるカスタードに
合っていた😊
でも。見た目、やっぱりカラメル部分の茶色がないと
変な感じだね😅



カメラ嫌いの毛皮嬢。
今日は手鏡を片手に 光を味方につけたら
久しぶりに 綺麗に撮れた💓

父よ。プリン🍮食べてね。


半年ぶりの近況。

2020-06-04 | 日記

ご無沙汰しました。
本当に。

ずっと。編集画面を開くこともなく
半年も放置になりました。

その間に世界中が大変なことになってしまい
オリンピックも延期、他のイベントも悉く中止や延期。

テレワーク時代が いきなりやって来ました。

私自身は まぁ そんなに不調と言う訳でもないですが
この半年の間に そこそこ色々なことが。

昨年後半、両親が次々 不調に陥り 私自身は何も
しないけれど それはそれで気をもむ状態でした。

その後、私自身の住居に関してもチョコチョコと不具合や
事件があって 安住の我が家が安住ではなくなって
何だか落ち着かない状態になりました。

それでも多少の我慢と少しのストレスさえ「見ない」
「考えない」ようにすれば『ま、なんとかなるさ!』
・・・・だったのですが。

今年になって状況は少々 曇り空な方向へ💧

車椅子生活になった父は 寝たり起きたりの状態になり
更に認知症症状が出始めました。
だんだん意思の疎通がとれなくなりました。

去年の夏までは耳が遠いけれど それでも電話で話が
出来たし 結構シッカリしていて・・・

でも。今はもう ちょっと違う世界に行ってしまった人のよう。
私のことを思い出すこともあるようだけれど
1日の大半の時間、父は父の頭の中の世界の住人で
時々ふわっと 今、この世の時空へ戻ってきて
そして又 ふわっと自分の世界に戻るよう。

去年の今頃は 色々 話せたのに。

私にとっての父は 子供の頃、お父さん子だった私には
何でも出来て 手先も器用だし楽天的で明るく頼りになる
存在でした。
もちろん。困ったことや「なんで⁉️」と理解できないことや
ちょっと許せないこともあって 音信不通期間もあったけれど
それでも私が落ち込んで精神的に弱った時に父と話すと
気持ちが楽になったり 少し明るく考えられたり。

でも。もう そんな風に色々話して気持ちが救われることは
なくなっちゃった😢 
もう あの頃の父には会えないの、、、、だな・・・・💧💧💧
そんな風になる前に もっと話せば良かった。
もっと顔を見に行けば良かった。もっとシッカリして
色々してあげれば良かった。
後悔しても取り戻せないけど。

母は手術後、一人暮らしは難しい状況で体調も不安定で
高齢者向け住宅に入居したけれど 今度はコロナ禍の所為で
自宅に戻るどころか外出禁止の状態に。
お陰様で母は皆様のお世話を受けて 体調は安定、
今のところ頭もシッカリしていて 耳も聞こえるので
電話で話すことも出来るし メールすればメールも返せるけれど
でも。きっと もう あまり ゆっくりしていられないのかも。

私自身も体調の落差が大きくなりました。
これが歳をとるということなのか❓
最近、夕方になったら目が見えん💦 所謂アレ、ですな。
シニアなお目目のろうがーん。

でもって困りごとが もう1つ。
私の愛用MacBookちゃんも高齢化してきて どうもお疲れモード。
色んなことが出来なくなったり 時間がかかります💧
で。ついついブログから 遠くなる・・・・
  ↑言い訳。

だけど音信不通になると 一部、心配させてしまうので
ブログよりInstaglamの写真だけの投稿になっておりました。

だってさ。気持ち 本当は暗〜くて落ち込んでるのに
ブログ、明るい文章で書けないんだもん。

毛皮のお嬢さん、ビズは元気です😊

だけど気になることが。ビズ嬢もシニアなお年頃。
あっという間に人間年齢60歳を越えたので
そろそろ老いじたく❓
「なにが」という決定的な問題点はないけれど
何とな〜く変なような❓ あまりゲロリアンに
ならない子だったのに 最近、時々ゲロリアン。

食べ過ぎてゲロリアーンなら分かるけれど
毛玉も食べ物もなくて ちょびっとゲロリアンな時が
気になる・・・・
調子が悪そうとか元気がない、、と言うことはないけれど
やっぱり心配です。

そんな近況の我が家です。

ご無沙汰中の うまうま写真と ちょいビズの
抜粋Pic📷、どどーん・・・とUP致します。

因みにTOPのケーキは 先月のMy Birthday cake🎂
緊急事態宣言が出て 外出自粛の真っ只中。
お外の美味しいケーキを買いに行くわけにもいかず
それほど食べたい訳でもなかったのだけど気持ちも
沈むし凹んだ気持ちをcheerUPするために自作。

1月は 台湾カステラを作ってキャンドルケーキに。



2月はウルイやロマネスコを ちょっとレストランの一皿風に。


3月はシンプルなトマトと新玉ねぎのサラダ。



ほらね、ビズも元気😊

4月は某レシピサイトに久々の新作レシピを幾つかUP。


自分デザートも 外出自粛期間を楽しむべくカラフルに。


お誕生日にはケーキも買いに行けなかったのに まだまだ
自粛期間が続く5月は お寿司だってお外ご飯風に。


ママちゃん。食べ物ばっかりニャね。


そうそう。だって暇なんだもん。
作るの楽しいし 食べたらウマウマ😋


作る→食べる。


そしてまた作る→食べる。


そしてまたまた 作る→食べる。


そして気が付いたら 2020年。半年終わってた❗️
もうすぐ梅仕事の季節。
今年は・・・どうしようか悩み中。

とりあえず去年の梅干しで梅炊き込みご飯


例年なら今頃は中旬に開催のフラワーカーペットに向け
打ち合わせがあったりして その時にお土産にするお菓子を
作ったり フラワーカーペットの制作日のお楽しみ用の
お菓子を仕込んだり、梅仕事をする筈だったけれど・・・
今年は ぜ〜んぶナシ。

楽しみがなくなってしまった。
気持ち、沈みがち💧 頑張らなきゃ。