紅しょうがの残日録

いい加減でアバウトで(^^♪

大手黒門 発掘調査

2024年02月19日 15時38分52秒 | 日記

街中の何でもない小さな空き地をほじくっています。

(エクスプローラの調子が悪く、画像の整理が思うように行きません)

ここにはかつてあった城の大手門の址です。明治維新に廃城になり建造物は破却、濠は埋められ、土地は売り払われて住宅などが建てられ、城門の面影はありません。

 

城門址近くを歩いてみました。城は台地の上にあり、周辺は昔は田んぼなどで沖積地。湿地等もあったのでしょう。その湿地を要害として、台地に城郭部と侍屋敷‣商人地まで含めた城下町を「総構え」として外堀で囲み数か所の小さい城門を設けてる。

この中で城郭部(本丸、二の丸、東の丸、三の丸などが城の中心部)を取り囲む内堀がいくつかあった。この内濠で三の丸と城下町の出入りをするのがこの大手黒門で。

大手門近くの三の丸跡の台地の端。左側が城郭内の台地、右側は低い土地であり、この境に濠があったが今は埋められている。

これは右側が三の丸城郭。左が城下。ここにもかつて濠があった。

三の丸内は静かなさびれた住宅地になっているが、古い住宅や植え込みが多く風情がある。

向こうに見える三角屋根は城下の街で、手前に濠があり、大手門で出入りしていた。

これは大手門前の城下町側から大手黒門跡地。向こうの住宅地が三の丸です。道路が向こうに向かって屈曲しています。

これは大手黒門の「桝形」広場を挟んで二つの城門が一直線でなく、防御の目的から食い違いを持たせていたためです。

これは大手門から出て行く通り。左にあるのは寺院です。北へ向かい城下町を出る時外濠を出るため「追羽門(おっぱもん)」があり、そこを出ると東海道池鯉鮒宿や名古屋、京都へ向かうわけです。

立派な山門です。

大手黒門発掘調査地。

大手黒門から埋め立てられた濠、の発掘。ここに見える石積みと基礎の胴木は廃城後、埋め立てられた濠の土地に宅地造成のためのもの。

 

 

 

 

濠を埋める時瓦礫を捨てたのでそれが出てきて、そのあたりが濠の底であることがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い時代の間にはしばしば地形の改変が行われる。この大手門の「桝形」すなわち門を二段構えにした防御用の小広場で最初からあったものでなく、ある時代に濠の中を埋立てて造ったらしい。

これは弥生時代の「方形集溝墓」の溝でこれの発見で、少なくともここは城門を作る以前からの台地であることがわかる。

発掘された埋蔵物。

 

 

 

 

 

下駄^^

      以上   

 

コメント
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