歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

親鸞聖人時代を生きた人々(65)(明恵 一生不犯を貫く)

2010年08月18日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(65)(明恵 一生不犯を貫く)
 
明恵は23歳の時に
神護寺を出て故郷へ帰り、
まず西の峰に草庵を
建てて修行の場とした。

24歳のころ、明恵は
東の峰の草庵で右耳を
切り落とした。
そしてその翌日、
文殊菩薩を感得したという。

「こうでもしなければ
 心弱き身だから、
 人の尊敬を受けたり、
 出世をしたりして
 道を誤るかも知れない。
 身をやつせば人の目に
 とまることもなく、
 自分でも人目をはばかって
 人前に出ることもないだろう」

と決意したのが、
耳を切った理由であった。

耳を選んだのは、
「目をつぶすと
 聖教が見れなくなる。
 鼻をきると鼻水が落ちて
 聖教を汚すおそれがある。
 手を切ると印が結べなくなる。
 その点、耳は切っても
 聞こえなくなる訳ではないし、
 ただ見ばえが悪くなるだけだ」

と考えたからで、
それからは自分のことを
「耳無し法師」とか
「耳切り法師」と
呼ぶようになった。

このような傾向は
子供の頃からすでにあった。

4歳の時、父親がたわむれに
烏帽子(えぼし)を着せて、

「立派な男だ。
 大きくなったら御所へ
 連れて行こう」
というのを聞いて、

「自分は出家するつもりでいるのに、
 そんなことになったら大変だ」

と、わざと縁から落ちて
体を傷つけようとしたことがあった。

明恵はかなりの美男子だったらしく、
女難の相があるのを
自覚していたのかもしれないが、
こうした身をやつす行為が
功を奏したのか、
一生不犯で通している。

「幼少の時より貴き僧に
 ならん事をこいねがい、
 一生不犯にて清浄
 ならんことを思いき。
 しかるに、いかなる魔の
 託するにかありけん、
 たびたび婬事を犯さんと
 する便りありしに、
 不思議の妨げありて、
 打ちさまし打ちさましして、
 ついに志を遂げざりき」



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