さて、随分と長い年月に溜め込んだ新聞の切り抜き記事が或る種の飽和状態になり、ふと感慨に耽るともない気分が生じて、人生に於いてもここらが潮時かと思い、この際に止める事にした。
飛び飛びではあっても、四十数年に渡って続けた習慣である。古い記事の多くは、糊の形の斑状にも茶色く変色している。
紙面は毛羽立ち、しかも印刷活字も小さく薄い。こんな事に今更気がついたのではないのだが、若い時には何とも思わなかった活字に、老眼も進んでしまうとこんなにも読み辛いのかと、それら時代が過ぎ去った実感は迫ってくる。
何度かに分けて捨てていきながら、果たしてこれらを如何に活かしてきたのかと自分に問うてみると、それも心許ない。頭脳に精神に生きていると胸を張って言いたいのだが、読み返してみると大掃除の時に出てくる畳下に敷かれてあった新聞紙を読む様な懐かしさと“そうだったのか!”と意外な新鮮さが押し寄せてくるのだから些か複雑な物である。
朴正煕暗殺事件と言う衝撃的な記事であっても、今となってはその娘が大統領になっている“想定外”の出来事の前に埋めるべき連続的なものも無い。
そうしてみると、断続的な切り抜き記事の持つ意味は、単発的な出来事や特集記事に焦点を当てて何らかの思いを述べて葬ってやることが、我が人生の締めくくりの一環と為しても相応しいのでは無いかと思う。知人友人の皆さんへの、一種の遺言と言っても良いのではないかとも思う。
2007年(平成19年)1月13日(土)朝日新聞「Be-between」テーマ:愛国心
2369人が答えました。日本人は愛国心が足りないと思いますか?
「はい」36%、「いいえ」38%、「どちらでもない」26%。足りている、いないが拮抗
当時は、第一次安倍内閣が唐突に「美しい国」を標榜してなにやら時代の空気とは多少そぐわないことを言い出したぞと思ったのを思い出す。
「愛国心」に言及しだした工夫の末の美しい国論なのだった。前年末に教育基本法に「愛国心」条項が盛り込まれ「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うこと」を唱えている続きである。
戸惑いのようなそぐわなさを感じたと言ったのは、先ず「愛国心」定義やそれに伴う諸々の着色を勘案するからであったのだ。
戦前の国家主義の反省の国民的な合意、もしくは大筋の了解を得られままに過ぎ去ってきたこの戦後という年月は、清算への落ち着きをもたらす様な時間的な余裕は無かった。
まして問題なのは、議論は百家争鳴ならまだしも、前時代的な精神を引きずった思想と、反動による無責任平和論主義論との大きく二極化した争論でしか無いすれ違いの不毛をいまだに続けているとしか見えない。
時々刻々と移り変わる時代の器を受け止めた論議となり得てないのだ。
“鬼畜米英”だったのが、敗戦の日を挟んでいきなり見事なまでに“平和と自由主義の賛歌”へと切り替わった。価値観の正反対転換を経験したのだ。
従って、「愛国心」と問われた場合、あの日を境に日本を愛する心は問われるまでもなく勿論漏っているのだと胸を張って言える。
が、問われてきた方向を考えてみると、私は私なりの思う日本を愛する心なんだよと言い換えておかないといけない気がするのだ。
次回続きとして、当時の人々の反応をみてみよう。
飛び飛びではあっても、四十数年に渡って続けた習慣である。古い記事の多くは、糊の形の斑状にも茶色く変色している。
紙面は毛羽立ち、しかも印刷活字も小さく薄い。こんな事に今更気がついたのではないのだが、若い時には何とも思わなかった活字に、老眼も進んでしまうとこんなにも読み辛いのかと、それら時代が過ぎ去った実感は迫ってくる。
何度かに分けて捨てていきながら、果たしてこれらを如何に活かしてきたのかと自分に問うてみると、それも心許ない。頭脳に精神に生きていると胸を張って言いたいのだが、読み返してみると大掃除の時に出てくる畳下に敷かれてあった新聞紙を読む様な懐かしさと“そうだったのか!”と意外な新鮮さが押し寄せてくるのだから些か複雑な物である。
朴正煕暗殺事件と言う衝撃的な記事であっても、今となってはその娘が大統領になっている“想定外”の出来事の前に埋めるべき連続的なものも無い。
そうしてみると、断続的な切り抜き記事の持つ意味は、単発的な出来事や特集記事に焦点を当てて何らかの思いを述べて葬ってやることが、我が人生の締めくくりの一環と為しても相応しいのでは無いかと思う。知人友人の皆さんへの、一種の遺言と言っても良いのではないかとも思う。
2007年(平成19年)1月13日(土)朝日新聞「Be-between」テーマ:愛国心
2369人が答えました。日本人は愛国心が足りないと思いますか?
「はい」36%、「いいえ」38%、「どちらでもない」26%。足りている、いないが拮抗
当時は、第一次安倍内閣が唐突に「美しい国」を標榜してなにやら時代の空気とは多少そぐわないことを言い出したぞと思ったのを思い出す。
「愛国心」に言及しだした工夫の末の美しい国論なのだった。前年末に教育基本法に「愛国心」条項が盛り込まれ「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うこと」を唱えている続きである。
戸惑いのようなそぐわなさを感じたと言ったのは、先ず「愛国心」定義やそれに伴う諸々の着色を勘案するからであったのだ。
戦前の国家主義の反省の国民的な合意、もしくは大筋の了解を得られままに過ぎ去ってきたこの戦後という年月は、清算への落ち着きをもたらす様な時間的な余裕は無かった。
まして問題なのは、議論は百家争鳴ならまだしも、前時代的な精神を引きずった思想と、反動による無責任平和論主義論との大きく二極化した争論でしか無いすれ違いの不毛をいまだに続けているとしか見えない。
時々刻々と移り変わる時代の器を受け止めた論議となり得てないのだ。
“鬼畜米英”だったのが、敗戦の日を挟んでいきなり見事なまでに“平和と自由主義の賛歌”へと切り替わった。価値観の正反対転換を経験したのだ。
従って、「愛国心」と問われた場合、あの日を境に日本を愛する心は問われるまでもなく勿論漏っているのだと胸を張って言える。
が、問われてきた方向を考えてみると、私は私なりの思う日本を愛する心なんだよと言い換えておかないといけない気がするのだ。
次回続きとして、当時の人々の反応をみてみよう。