言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

夢と観音信仰

2007年05月07日 | Weblog
 と言うと、「更級日記」とかにある”長谷寺”が有名か
 何処の観音様でも構わないじゃないかと思うのだが、何にせよ旅をする楽しみと生活の変化を求めてチョイと出掛ける口実にも使われたのが”お寺籠もり”だ。
 色んなお告げを夢に見ては喜んだりしてたようだが、まさに本気である。
 夢のお告げは人生を左右する程であった。
 人生は結果からしか分からないものなのに、先々を知ろうとするのは人情というものか。
 長谷寺の十一面観音は夢を授けてくれるのだそうだから有り難かったのだろう。
 一方、前述した法隆寺には”夢違観音”さんが居られる。
 ひどい人生を送ると、見る夢までもが当然にして悪夢の延長だったりするだろう。
 醒めてなお嫌な辛い現実の生活が又しても朝から始まるのかと思うと、人生を放棄したくなるからね~。
 そんなこんなで、せめても夢だけでも良いものに替えたいというのはこれも叉人情だ。そういう夢を良い事に替えてくれる有り難い観音様ならすがりたくもなるだろう。災難を避けたいならいらっしゃいという観音様だ。悪夢に悩まされているのなら、気分転換に精神衛生上有り難い事には違いない。
 
 自前で悪い夢を処理したいのなら、「お呪(まじな)い」をしてみよう。
 夢を食べるという想像上の動物に”獏”が居る。
 音からして、猛烈に”バクバク”と食っている姿を想像すると頼もしい。
 うなされて目覚めた直後に、”獏喰え!悪い夢を獏喰え!”と唱えると気分としてはきっと効いてくるに違いない。