言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

「三方」は「三潟」

2006年12月11日 | Weblog
 海岸、湖岸、河川などのおよそ水辺に関しては、多くの潟(かた)が存在していた。
 今や、潟はおろか浜も磯も無くなって人は水の風景から遠ざけられて久しい。
 そういう意味では、瀬戸内海よりも日本海側を行く時は心和む。
 山人間よりも海人間なのだろう。海を一日見ていても飽きることがない。
 関門の海を見ていて、何日過ごしたことか!

 現在、三方五湖というように「湖」の数は五つある。
 ところが、縄文時代には一番海に面している「久々子湖」は大きく海に開口していたのだ。更に、細長い平野部一帯は湿地帯でその大部分は水没していたのだった。
 「管湖」「水月湖」「三方湖」の中心部を占めている部分は島でもあった。
 すると如何に勘定するかという事からすると、人と海とを生活の場を提供する役割からすれば、潟が注目される。
 と言うことから推測すれば、おそらくこの地域を称して三つの潟を言ったのではないか。「方」は「潟」なのだ。
 縄文時代の代表的な遺跡である「鳥浜遺跡」はそういった環境の典型的な姿を今に残してくれている貴重な遺跡なのだが、幸いにも泥質の土中に埋もれてたお陰で現代の我々にその様相を明らかにしてくれているのである。