場所っプ

トリオフォー&素人の乱シランプリそして場所っプ山下陽光の日記bashop77@yahoo.co.jp

R25と本とコンピューターと私

2005年03月11日 02時22分54秒 | 場所っプ
R25の今週号に1ページずつ噛み付こうかと思った。腐していきますかねぇとりあえず。
クサカンムリのトリビアとかプロゲ-マ-とか文句言ってやろうかなとかおもったけれど、いちいち突くんじゃなくて、もうちょっと大きくいってみようかなぁと思う。それはなぜかと言うと酔っぱらっているからであります。
最新号の「本とコンピューター]の出版の未来みたいな座談会に、
佐野 眞一(誰が本を殺すのか)永井朗、紀田順一郎などが出版の未来について語っているなかで、もちろんR25についても語っている。
立ち読みとうる覚え恋愛シュミレーションと酒効果でチョロ&モロ間違いがあるかもしれないが得意の御都合主義で読んでいただければ幸いである。

R25は創刊から半年で60万部を出版している驚異のフリ-ペーパーで書店には置いてないけれども、コンビニや地下鉄等で気軽に入手できる。しかも全体の半分が広告で半分が編集ページである。ターゲットが非常に分かりやすく、広告主としては、魅力的すぎるメディアであるようだ。コレが当り前に流通すると、SPAやフライデ-のような、薄い週刊誌に金を払って買う事がばかばかしくなってくるだろう。

おそらくこんな感じの事が書いてあった。たしかにR25のおかげで週刊誌を買わなくなった人はたくさんいるだろう。でも今までのやり方では通用しなくなった。という事にはやく気がつかないといけないんじゃないかと思う。やれ出版不況だとか言うけれど、本はすきだけれど、今の本にはほとんど魅力を感じないのも現状で、紙に印刷されて束ねたものを本と呼び、この日記のようにネットとかで読めるものをコンピューターと呼ぶのならば、「本とコンピューター」という雑誌のタイトルはまだ共存は出来てない。

「あなたのブログを本にしませんか?」でお馴染みの自費出版はえらく儲かっているらしい。

自分のまわりの人たちと世の中がどの位の接点を持ってせっしているのか?またどの位はなれているのかはわからないけれど、それを踏まえた上で言えば、どんなにおもしろいと言われているベストセラーや100万部売った本を読んでいなくても恥ずかしいという思いをすることはない。

しかし、この御時世に「ホリエモンって誰?」という人はいない。

出版不況はおそらく業界では挨拶がわりに話される事であって、その出版不況を出版社で働いている人間達が自分のせいだと思っている人間はほとんどいないんじゃないかと思う。どこかでかっこつけているんじゃないかと思えて仕方ない。
今月号のインビテーションを読むと、出版全体では赤字ではないらしい。しかし雑誌はモロに赤字で、そのくせ新しい雑誌がドンドン出ているらしい。

なんだか出版業界が本当につまらない世界なんじゃないかと思えてくる。パブリックなもので、特に雑誌は広告主がいて成立するからその広告主の文句は書けないだろう。でもその中でどうにか表現をしないと、読者は買わない。

「ホンモノのコーヒ-を求めて」という特集をやったとして、
裏表紙がジョージアだったとしても、
読者に「やっぱ缶コーヒーは飲めねぇよな、ネルでしょ」とか言われないで、普段はカフェレーチエ飲んでるけど、たまにはこだわりコーヒー飲みたいよな。と思わせないといけない。

何でも数字にしちゃうし、もうかっている人が勝ちといわれる世の中で生きていて、どれだけ「本とコンピューター」がおもしろくても次号で廃刊になってしまう。
それは悲しい事ではない。
「本とコンピューター」という雑誌に金を生み出す力がないという事だ。
しかしR25はすばらしいという事になってしまう。
「本とコンピューター」が終わる事は前から聞いてはいたけれど、では実際に「本とコンピューター」を終わらせない為の努力をどれ位やったのだろうか?
本当にやりたくて、続けたいのならば無給でやります。
なんていうホンノムシがそこにはいるのか?
結局なんだかんだ言って原稿料を払い、もらい、売れなくて返品の山で「セカチューよんでりゃいいじゃん」とすねまくってるだけなんじゃないか?と思う。

知らないから見えてこないという言い方はあまりにもわがままな物言いかもしれないけれど、俺がタイトルから見えてくる「本とコンピューター」というタイトルは近い将来に本はコンピューターに乗っ取られるかもしれない、しかし本には本の、コンピューターにはコンピューターの表現法法があるんじゃないか?だったら否定するのではなく、どうすればお互いが共存していけるのかを考えていこうじゃないか?

そういう本だと思うんだけど、次回で廃刊か休刊かわからないけれど終わってしまうというのは、作っている人たちの力不足にしか見えない。

SPAやフライデーはR25が創刊してからたぶんあまり売れなくなったと思うけれどそれでも何喰わぬ顔でシャラポアーンな盗みドリの助な写真を載せて頑張っている、それがエンターテイメントだからだよと言うのであれば、クイックジャパンは80、90年代にバンドマンの明星と腐されながらも、どうにかいろんな道を見つけてきた宝島のように、お笑いの明星化しながらも、どうにかコアな情報と抱合せで出版されている。それがいいことだとはまったく思わないけれど。

四国で今も謄写技法というガリ版のファンジンを作っている坂本秀童子という人がいる。本とコンピューターなんて今さら書くのもおかしいけれど「本コ」と呼ばれていて、ガリバン本コというペ-ジで実際にガリ版で構成されている。
他にも、紀田純一郎の「日本語大博物館」やオンデマンドで出版されている「昭和堂月報の時代」須永襄著や「ローマ字印刷研究」井上嘉瑞、志茂太郎著、紀田順一郎監修などとにかくおもしろい事だらけで少なくとも日本語大博物館という本の衝撃は自分のモノの見方をかえてくれた物凄い本である。「印刷に恋して」松田哲夫著のあとにやっている、現在連載中の松田哲夫「造本に恋して」は次で終わってしまう。

なんだかんだ書いてきたけれど、はっきり言って廃刊になるのが気に入らないとうだけの事です。
だって何もしてないでしょ?「あの雑誌はよかった」とかはやすぎたとか絶対に言いたくないですよ俺は。
本というモノがあって、ソレをだれも買わなくなってコンピューターに移ろうとしている時に、そのまま移るんじゃなくて考えないといけないことがあるんじゃない?という雑誌が今まさにココという時になくなってしまうというのは、今までに自分達がやってきた事をずべて否定する事になる。

大日本印刷のお金でこの雑誌ができているのかいないのかわからないけれどお金をもらって表現をやっていて
一番中途半端な形でなくなって、違う仕事して「メデイア人」気取りだと思うとげんなりします。

やりたくもないアルバイトをやりながら表現をしている人がいて、その人は好きだからという簡単な理由で答えるかも知れないけれど、自分の働いた金でメシを喰い、残った少ない金でギグをやる。そんな人といわゆる
「私達はプロのメディアの人間です」と嘘臭い主張をしている人とどっちにリアリティーがあるか?って事ですよ。

プロとは覚悟と責任という事でしょ?
キヨシローの先週号のアエラでの「プロってのはオファーがきたらよほどの理由がない限りNOとは言えないんだよ」や雨上がりの夜空に35(ライムスターといっしょにやったラップ)がインターネットで腐されてますが?という問いに「何にもわかっちゃいない、まだまだケツが蒼い」
と答えていた。なんのリアリティーも感じなかった、し、「文句言わないで買えばいいんだよ。そしたら俺の自転車のサドルを新しく出来るから」と言われた気分だった。


試しにいまから「ECDBBS」という言葉を検索したらどうだろうか?ECDという人間が働きながら、音楽をやり、匿名のアホと戦っている姿がみれるんじゃないか。
そこには覚悟と責任がある。

追伸

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山下陽光