先日、最近かつて読んだ村上春樹の小説(書いたものと言ったほうが的確か・・・。エッセイも読んでるし)をやたらと読み返していると書きました。
一度シリーズものを読んでしまうと、続きを読んでしまうんですよね・・・
「羊をめぐる冒険」を読んでしまったら「ダンス・ダンス・ダンス」を読まないわけにはいかないでしょ。
しかし、いつ読んでもこのシリーズは読んでいて全体に悲しくて、そして最後に一縷の望みがあるという印象を受けますね。
「羊をめぐる冒険」で散々、自分の力が及ばないところで自分の人生が揺り動かされ、干渉され、そして大切なものを失ってしまう。
そして、「ダンス・・・」でも、夢に突き動かされて再びイルカホテルに向かってから不思議な出会いがあって、接した人物を失い続ける。なんといっても「鼠」以来の友人と呼べる「五反田くん」までも失ってしまう。なんと切ない人生なのか・・・
でも、最後に大事だと気付いたユミヨシさんを手に入れる(という言葉はとても不適切な感じがするのだけれど、それ以外に表現する術を僕が持っていない・・・なんとも悲しい、この才能のなさが・・・)。
失ったものがとても大きいのだけれど、得たものも大きい。ユキという年の差の友達?ガールフレンド?を失った(というか自分のもとから巣立った)のは少し寂しく喜ばしい出来事で・・・
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」このシリーズの中では、もっとも前向きというか希望がもっとも大きい小説だったように思う。
けれど、やはり全体に覆っている自分が背負うもの・失ってしまうもの・失ってしまうかもしれないという漠然とした恐れ、といったものも多くて、年齢をを経れば経るほど、漠然と分かるというかその通りだというか、身にしみるものが多い、という印象をうけました。
若いときにも、とても感じ入るものがあったのだけれど、年を経てもまだ新たに感じ入るものがある、これが村上春樹作品なのか、と思う。
だからこそ世界中で読まれているのだろうと思う。
何となく、普遍的なテーマがちりばめられているのでしょうね。
あ、今「1973年のピンボール」を読んでいるのだけれど、やはり文章が若いと感じますね。かつて読んだときにはそんなことは感じなかったのに、なぜか今はそう感じます。
村上春樹の文章がどんどん深みを増してきているからなのか、主人公が若いということでどんどん共感できなくなってきているからなのか・・・あるいは自分が年をとって透明感のある、あるいは「理由なき反抗」的な理由なきイラつきなどがわからなくなってきているからなのか・・・あるいは何となく字面を追いかけてしまっているからなのか・・・
また、何年語ってから改めて「1973年のピンボール」を読み返してみよう、とも思ったのでした。
一度シリーズものを読んでしまうと、続きを読んでしまうんですよね・・・
「羊をめぐる冒険」を読んでしまったら「ダンス・ダンス・ダンス」を読まないわけにはいかないでしょ。
しかし、いつ読んでもこのシリーズは読んでいて全体に悲しくて、そして最後に一縷の望みがあるという印象を受けますね。
「羊をめぐる冒険」で散々、自分の力が及ばないところで自分の人生が揺り動かされ、干渉され、そして大切なものを失ってしまう。
そして、「ダンス・・・」でも、夢に突き動かされて再びイルカホテルに向かってから不思議な出会いがあって、接した人物を失い続ける。なんといっても「鼠」以来の友人と呼べる「五反田くん」までも失ってしまう。なんと切ない人生なのか・・・
でも、最後に大事だと気付いたユミヨシさんを手に入れる(という言葉はとても不適切な感じがするのだけれど、それ以外に表現する術を僕が持っていない・・・なんとも悲しい、この才能のなさが・・・)。
失ったものがとても大きいのだけれど、得たものも大きい。ユキという年の差の友達?ガールフレンド?を失った(というか自分のもとから巣立った)のは少し寂しく喜ばしい出来事で・・・
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」このシリーズの中では、もっとも前向きというか希望がもっとも大きい小説だったように思う。
けれど、やはり全体に覆っている自分が背負うもの・失ってしまうもの・失ってしまうかもしれないという漠然とした恐れ、といったものも多くて、年齢をを経れば経るほど、漠然と分かるというかその通りだというか、身にしみるものが多い、という印象をうけました。
若いときにも、とても感じ入るものがあったのだけれど、年を経てもまだ新たに感じ入るものがある、これが村上春樹作品なのか、と思う。
だからこそ世界中で読まれているのだろうと思う。
何となく、普遍的なテーマがちりばめられているのでしょうね。
あ、今「1973年のピンボール」を読んでいるのだけれど、やはり文章が若いと感じますね。かつて読んだときにはそんなことは感じなかったのに、なぜか今はそう感じます。
村上春樹の文章がどんどん深みを増してきているからなのか、主人公が若いということでどんどん共感できなくなってきているからなのか・・・あるいは自分が年をとって透明感のある、あるいは「理由なき反抗」的な理由なきイラつきなどがわからなくなってきているからなのか・・・あるいは何となく字面を追いかけてしまっているからなのか・・・
また、何年語ってから改めて「1973年のピンボール」を読み返してみよう、とも思ったのでした。