Ryo徒然なるままに

日々の暮らしを徒然なるままにつづる。
何でもありの日記のようなもの・・・

さらばボッソウ 再び

2006年09月09日 | ギニア
2006年9月9日(土)

一応、7時出発ということだったので6時に起きる。
すでに多くの人が来ていた。
ダウカに服を上げるとうれしそうに「Merci」と言っていた。

山越さんは少し顔色が良くなっていて少し安心した。

今回のボッソウ訪問は一度もチンパンジーを見ることができなくてとても残念だったけれど仕方のないことだった。
あきらめが肝心なのだ、昨日の書いたように。

清野さんは山越さんとボクがいなくなることで心細そうにしていたけれど、それも仕方のないことだった。
タチアナも愚痴を聞いてくれる相手が減って寂しそうだった
最後に写真を撮って(そういえば清野さんが入った写真は撮らなかった)サヨナラを言ってボッソウを離れた。

前回は、もしかするともう二度と来ないかも知れないと思っていたけれど、何故か今回はまた来ることになるんだろうという思いが心に浮かんできた。
とても不思議な気がした。
その分、淡々と研究所を離れることになった。
もしかすると、前回の方がもっと親密な気がしたからかも知れない。
いずれにしても、二度目のボッソウ滞在は終わった。

8時半頃ボッソウを発つと、
10時10分頃にSeredou、
11時20分にMacenta、
12時頃にBofossou(?)を通過し、
15時20分にKissidougouに着いた。

Kissidougouで昼食
ガソリンスタンドの敷地内にあるレストランで食べる。
牛肉を焼いた物とポテト。

ここまでの道中、橋が流されている場所があった。
仮設の橋を渡ることになった。
丸太を川に置いて、その上に轍(わだち)の分だけ板を敷いた簡単な橋だ。
教習所の2輪車の練習のようなものである。
脱輪したら終わりだ
ランクルの車幅だとぎりぎりわたれるかどうか・・・というくらいだった。
とても大型のトラックなんかは渡れない。
橋が復旧するまで何日も待つことになるのだろう。
僕たちが行きしなに渡った翌日に落ちたらしい。
プラン通り事が進んだから良かったものの、予定がずれていたら仮設の橋ができるまで立ち往生するところだった。
これだから雨季はこわいのだ・・・

宿泊は、復路はFaranahだった。
クルマはFaranahに戻ってきて「とても」うれしそうだ。
知り合いに挨拶をしているときも生き生きとしている。
ボッソウに行くときには、もしかすると嫌な顔をして出てきているのかもしれない。
この前と同じホテルSOLIMAだった。
夕食は例によってクルマ宅だった。
家財道具が随分減っていた。
大学から(彼が住んでいるのは大学教員の宿舎)追い出しをかけられているらしい。
かれは今は完全にIREBの所長を専任しているらしい(もしかすると、この前もそうだったのかも知れない)。
クルマにはクルマの事情があって大変そうだった。
新しい家を建てていたのもそのためだったのだろう。
引っ越しの最中と言うことだった。

山越さんは美味しそうに夕食を食べていた。
どうやら体調は戻りつつあるらしい。
安心した

夕食後はホテルに戻って、眠ろうとするが暑い。
とても暑い・・・
ボッソウの夜がとても涼しくて快適だったので、早くも懐かしい気がする。
(危険な思想だ・・・)


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