坂野民枝・インテリアコーディネーターの目線:    心地よい空間作りのヒント探し:四方山話

  

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かわら美術館:高浜:安土・桃山の城郭革命

2016-02-28 | 美術館

三州瓦・・・高浜に【かわら美術館】そのうち、・・が、昨日になりました。

お客様から戸建ての外観のご相談を受け、建築地が関東で大工さんからの指定は、高浜の会社の瓦です。ハウスメーカーにいた頃、標準品の中に高浜産はありましたので、全国で使われているのは理解しています。遠い地の屋根に載るのは 感慨深いです。

昨日、名鉄名古屋本線に乗ったので、知立で南西方向に乗り換えてちょっと寄り道です。
(三河線、知立から反対の北東に進むと、豊田・猿投に向かいます。頭の中で地図を描くと、その向こうは瀬戸。瓦も焼物、『やきものの土』が続くことを感じます。)

高浜港駅で降ります。
いきなり鬼瓦がお迎え。やきものの街でも、それぞれの産地で色が違います。ここは[いぶし]の色です。
そんなに大きな魔除けでなくてもと思いながら歩きます。

擁壁の水抜きも鬼瓦、歩きながらも思わず微笑んでしまいます。

美術館へ行くまでの10分、道すがらに表情の違う鬼さんたち。

美術館の前には 、地上にあるのが不思議なかんじですが、鯱鉾が一対。


瓦は高浜の港から、江戸へ船で運んでいた・・・一枚でも両手で持たないと持てないのに、こんなに重いものを積める船って?どんな大きさ?別の事にも感心します。




【安土・桃山の城郭革命】開館20周年記念特別展です。
各地のお城から出土した瓦、金箔の残っているものが展示されています。
復元された金で覆われた軒瓦の展示があります。
迫力あります。館内の蛍光灯の下で見ても輝くので、直射日光の下で見たら、遠くからでも威厳があることでしょう。
リアルタイムでこれを見た宣教師が、本国へ 『黄金の国』と報告したことが納得です。
たぶん私が、ヨーロッパの教会に行って、ステンドグラスの美しさを凄いと思うのと同じ?
お城とはいえ、軒先にゴールドって、盗られない? などと思いながら・・・


17世紀の世界地図に見入っていました。
オーストラリアの南や北欧やカナダの北は、合っているのかわかりませんが、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカの大陸の形は把握できます。
写すときに日本中心に描いたのでしょう。
中心に書いてあると、点のような姿ゆえ、世界に手を広げ繋ぎたくなります。
戦争して手を伸ばしてはいけません。
楽しいことでつながりましょう。

ピカソ 【青い肩かけの女】

2016-02-27 | アート


愛知県美術館所蔵の この絵、いつもは他の方の作品と同室の展示です。
常設展はクリムト[黄金の騎士]の印象が強く、
これは、一般的に思う ザ・ピカソ的ではなく、 寡黙な印象で、どちらかというと立ち止まる人の時間は短い。

今回の特別展にあたり、この絵が愛知県美術館にあるので、
バルセロナ・ピカソ美術館から、他の作品が借りられたという経緯を知りました。

『青の時代』は期間も短く、作品数は少ないため、バルセロナで企画展をするときには、
この作品を貸し出す約束。とても重要な位置づけの作品です。

一枚の絵が、世界を繋ぎ、企画され 既にここへ5万人の人が動く・・・

バルセロナでも、きっと何万人もの人が・・・想像します。
何がきっかけになるのか・・・・・    アートって楽しい(^^♪

『ピカソ 天才の秘密』:愛知県美術館

2016-02-24 | アート




今回は、幼少期から20代半ばまでの作品です。
ピカソは、作品が多いので、美術館に依り、その時々で、企画が違います。
ゲルニカ中心、キュビズム、陶器類 思い出すといくつかピカソ展は見てきました。
それぞれの企画でも若い時代の展示がありましたので、やはり『天才は違う』は、承知済み。


今回、印象に残ったのは ピカソの自画像 15-6歳のころの作品です。

顔の右半分は影になり、しかも定まりがなく うつろ。左はまっすぐ正面を見通しているような目。この時すでに、顔の右と左を描き分けているのは、のちのキュビズムで顔を描いていく表現につながると想像します。まだ少年の面影がありますが、美青年。


『青の時代』の人物像は無表情のようですが、この絵は 湯気の立ち方と量から、早く食べたくて手を伸ばしてくる娘に お母さんが、「熱いから気を付けて」という思いで渡そうとしているように思います。心に優しさを感じます。

20代でパリに住んだことでロートレック風のタッチ、セザンヌに影響されたもの、イタリアではルネサンス風、あらゆるものから吸収しつつあったことがわかります。このことが、後年 陶芸の作品を作るきっかけに。
何でも挑戦の気持ちは私も忘れずに。
居酒屋のメニューの挿絵も描いていたこと・・・これを頼んだ店主もピカソがこれほどになるとは当時、思わなかったでしょう。残っていることも貴重です。

しばらくは 食べに行った先々でメニューも意識しそうです。


合格しました 『1級 リフォームスタイリスト』

2016-02-16 | Weblog
合格通知は いつの時も ホッとした後には、嬉しいものです。


1月に受験した リフォームスタイリスト・・・



人様の前で、インテリアを語り、提案し、より良い暮らしをしていただくことを 生業としている身。

知識をリニューアルし、増やしていくことにも必要を感じています。

それを確認するため、目標とする資格試験という方法があります。
クリアできた時は[嬉しい]の前にホッとするというのが実感です。

そろそろ、リフォームのスクールの 原稿を作成せねば・・・



掲載 『インテリア コーディネーターインデックス』今月発売

2016-02-11 | インテリア


『インテリア コーディネーター インデックス』 が 手元に届きました。

出版されていた本ですが、補追版を出すにあたり、出版社からお声をかけていただき 掲載の運びとなりました。


掲載させていただいた 6軒のお客様へ 最初に送付致します。
建物の完成時の写真の使用を 皆さん快く承諾していただいたことは何より嬉しいです。

感謝しています。


読みました 『障子がカーテンに変わるころ』

2016-02-03 | インテリア

インテリア コーディネーターという職業の始まりでもあります。

【障子がカーテンに変わったころ】 :昭和のインテリア

著者の村上英子さんは、私が三井ホームで仕事を始めた時には
三井デザインテックの取締役でした。

当時は、既に実務からは離れていらしたので、インテリア コーディネーターとしての
お仕事は直接見る機会はありません。
綱町の三井倶楽部での研修やパーティでお見かけし、ご挨拶した時、
仕事の状況など聞いていただいたことが懐かしくもあります。
昨年、名古屋のインテリア産業協会のパーティに出席されていた時も
姿勢よく、凛としていらしたので、思わず こちらも背筋が伸びます。

東京芸大を出られているお話は伝え聞いていましたが、インテリアコーディネーターになられた
詳しい経緯はこの本で、初めて知りました。

この本の内容は、村上さんご自身の仕事の変遷でもあり、インテリアの移り変わりでもあります。
インテリア コーディネーターというものを 形に整えていき、世の中にこういう職業が
あるということを定着させたのは、三井ホームの1期生の方々の功績は大きかったと思います。
私自身、昨年 三井を卒業し、他のハウスメーカーのIC の方達とお話する機会があり、
カーテンの提案までしていないケースは、インテリアに関わるものとしては少し残念でもあります。
やはり、トータルで提案できるICでありたいと思います。

本の中で、印象に残った言葉
・「誰でも棚からボタ餅が落ちてこないかなと思うけれど、大きなボタ餅が落ちてきたときに、
 それを受け止めるだけの力が必要です。」

・・・・・ボタ餅が落ちてくる状況にあるということと、日々の研鑽 ですね。

・「ICの仕事は欧米のまねではなく、日本の気候風土に合うものを使い、
 『日本に住む喜び』を実現させるべき。

・・・・・常に考えていることではありますが、輸入品を扱う時には 特に注意することを あらためて意識します。

何事にも先達は欲しき・・・です。