バカ犬

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このコロナ禍での個人の自由とは

2021-04-27 | Weblog
コロナの非常事態宣言が繰り返し出され、国民はうんざりしている。僕もその一人だが、「果たして皆が個人として自由に行動することは、本当に許されるのが民主主義の本質だといえるのか」の疑問を持っている。

個人でリモートの講義を受けている10MTVに、ある回答を見つけた気がするので、このコラムでもシェアしたい。



講座の題名:独裁の世界史~未来への提言編 本村凌二 
テーマ:
コロナ禍で問われているのは「自由」という難しいテーマ
(10MTVより)


私の概説


みんなが自分のやりたいことをやればいいというのが今までのわれわれの考え方であったけれども、このコロナの時代になっていろいろな面で自粛要請や規制が出てきているわけです。非常事態・緊急事態のときには、互いにコンセンサスを取り、公事の前ではある程度自分の自由を犠牲にしなければいけないということです。

近代以降、代議制を取るようになり、面倒臭いようなことは全て政治家に任せ、個人的な自由を享受すればいいと考えてきたわれわれは今、特に戦後日本において初めてというほどその自由が脅かされている。そのことに戸惑っているというのが現状ではないかと思います。

ヨーロッパではいわゆる法的なルールが出来上がったので、それは守るべきなのだと言います。だから今回のコロナの話にしても、結局彼らは法律でルールを決めた。とにかく「自粛」ではなく「禁止」です。外出なら外出を禁止して、それを守らなかったら罰則を設けるわけです。

「法によって取り締まる。だから罰則を設ける」というのが法のルールであるということを、われわれ日本人はもう少し学習しなければならないのではないかと思います。

ヨーロッパの外出禁止は、日本人にとっては非常に厳しく見えるけれども、逆に言えば、彼らはやはりきちんとした合議制に基づく法によって取り締まられるのだから、ルールを守るのは当然だという考え方をします。

とにかくわれわれは、民主主義は絶対だという戦後日本の教育を受けて、ずっとそう思ってきたけれども、しかし実際にはいろんな局面がある。その独裁政や共和政、寡頭政などの持っているメリットを、少し考え直してみるというのもいいでしょう。

戦争の歴史を知り、民主主義をもっと「マシなポピュリズム」にする

戦争にならないため、平和でいるためには、人類が圧倒的に重ねてきた戦争の歴史をもう少しよく知り、なぜ戦争になってしまったのかを知ることです。どうしても揉めごとが起こってきたときには、最後の決着のつけ方として、それが出てくることがあるわけだからです。

そのあたりにはやはり独裁政や共和政、寡頭政といったものも必要です。ウィンストン・チャーチルが言ったように、「民主主義は悪い政体だ。悪い政体だけど、今までできてきた政体に比べれば、まだマシなだけだ」かもしれませんが、同様の意味で、私は民主主義は本質的にポピュリズムだと思っています。

だけど、それをマシなポピュリズムにしようと。それがダメなポピュリズムにならないようにするには、「マシなポピュリズムというのは何か」ということを考えることです。そのためには、独裁政や貴族政的なもののいいところを学ぶ姿勢や、時にそういうものを振り返ることがあったほうがいい。それが、民主主義というポピュリズムの一つのマシな姿ではないかと思います。

概説終わり

もう少し話を聞きたいと思い、今後の講義のテーマに考えてもらいたいと伝えてある。



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