ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

冬の花

2005-11-27 19:56:23 | 花鳥風月
庭のデイゴが今年3回めの開花。
台風のあと2週間ほどたってつぼみをつけたときは、
咲かずに散ってしまうのではないかと心配していた。
3月に咲き、夏にも咲いて、冬まで、
ここは沖縄より暖かいのかなあ・・・

それにしても・・・なんで後ろの遠景に焦点があってしまうのか

賭知事

2005-11-16 21:58:27 | 世の中
皇族の結婚式披露宴で、主賓である都知事が
結婚を「バクチ」にたとえて(単語としては「賭け」だけど)、
「配当」を期待します、という祝辞を述べたそうな。
なんとまあ品のないこと。
新郎新婦がかわいそうになる。

この主賓、東京をラスベガスにしたがってたっけ。
主賓が首相で「人生いろいろ」とぶたれるよりもいいのかな。
どちらも「困ったちゃん」じゃと思っている人が多いけど、
「困った、困った」と言いながら、滅んでいくのかも。



ダイコンはどう育つ?

2005-11-15 17:55:22 | 花鳥風月
種をまいたダイコンが育ってます。
まだ葉ダイコンだけど、間引きしたばかりの葉っぱはやわらかくい。
明日葉もおいしい季節になってきて、食事を楽しんでいます。

ダイコンの種は、畝の上に播くか、下の溝に播くか・・・
根っこを育てるのだからと、土を高く盛って上に播いたら笑われた。
写真で土がついているひげ根のところから上、
もうずいぶん伸びているのが食べる大根の部分。
葉っぱはその上から出ています。
だから、溝のほうにまいて、育つにつれて白い根に土をかけていくのです。
でも・・・隣の人は畝の上に播いてたなあ。

きのうはネギを分けてもらって植えたけれど、
分けてくださったおばあさんが、ちゃんと植えているか見に来ました。
案の定・・・という顔で「この伸びてくるところまで土をかぶせたら、
窒息してくさっちゃう」とやりなおしてくれました。

体言止め

2005-11-06 20:30:40 | 言語の表現
TVニュース報道のアナウンスが気に入らない。ニュースの内容じゃなくて、しゃべり方。品格がまるでないのだ。

語尾がはっきりしない。文末にくると急に早口になってしめくくりがはっきりわからない。
そのくせ、ニュースの内容によって、ため息混じりにしゃべって見せたり、やたらニコニコして見せたり、表情をつくってみせる。
「これが達者なアナウンスなのよ」「個性的でしょ?」とでも言いたげだ。

最近、ニュース原稿にやたら「体言止め」が多い。「こきみよいテンポ」とでも勘違いしているのか。
口頭語で体言止めというのは、相手に「ね、言わなくてもわかるでしょ?」と同意を強制する「・・・じゃないですかあ」に共通するものがあって、いらいらするのだ。
はっきり正確に「・・・です。」となぜ言えないのか。
体言止め、そのあと「しかし!」とくるといっそういらいらする。

さらにスポーツニュースでは決まりきったように、「まずは・・・。(体言止め)」とくる。
「まずはプロ野球。・・・の・・・は・・・」
「まずはじめは・・・です。」あるいは「はじめは・・・です。」「まず・・・です。」だろう。
「まずは」は「とりあえず」「いちおう」の意味で
「まずは一休み」「まずはビールで」「まずはお礼まで」といった使い方をする。
不正確な日本語をアナウンサーが連発する状況にあぜんとしてしまうのだ。

天気予報や話題のコーナーで聞こえてくる「ホー!」「フーン!」「ヘエ」という相槌にいたっては耳をおおいたくなる。
レポートを担当するアナウンサーの、品のないひよこひょこ歩きや、ペコペコしながらの慇懃無礼ぶりは、もう問題外の域にいたっている。
なぜ、そんなに芸人っぽく見せたいのか。
芸というのはたいへんなもの・・・とうてい芸人になどなれっこないアナウンサーが、
漫才っぽくしゃぺったり、しぐさを見せたりするのは、カラオケから育ってきた人たちなのかもしれない。

テレビを捨ててラジオを聴こう。

ブレークスルー

2005-11-03 09:56:35 | 世の中
自動車部品チェーン店の社長が、
創業後の営業低迷に苦しみながら、
「トイレ掃除」によって、業績向上の力を得た、
という報道を見ました。

素手でタワシやスポンジを使って便器を磨くのと、
長い柄のついたブラシで磨くのとでは、
結果がちがう。
汚いところに直接ふれなければきれいにならない、
問題も近づかなければ解決できない、
距離をおいて対応していては、それなりの結果しか得られない、
問題に対応する姿勢をトイレ磨きでやしなったということです。

捨てるゴミを見れば、その人の生活全体がわかるというけれど、
いわゆる「Break through」問題解決、困難突破なんてことも、
ゴミ、見たくない部分、触れたくない部分にとりくんでいく姿勢がなきゃできない。実際に役立つアイデアとかヒントも、その姿勢の中でしかでてこない。

家事(生活の仕事)によって子どもをしつける家庭教育は、
人間力をやしなう大きな力になるのだと思いました。

そんな報道がめだつのは、団塊の世代が定年を迎える時代のせいもあるかな。
家庭や地域でも輝ける存在であり続けられるのか、という問いかけ。