ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

香港の学生が問いかけていることは

2014-10-20 00:51:34 | 引用
10代20代の若者の運動の底には、時代の問題への根本的問いかけがある。
香港の学生が提起しているものは何か、見ていきたい。

70年代の日本の学生運動について、山本義隆
『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)
の講演会があったらしい。
東京新聞「こちら特報部」13日に「沈黙40年余、初の講演」が紹介されていた。

山本義隆氏は、東大全共闘議長として学生運動を率いたひとり。
無党派のまま真摯に運動の意義を追求してきた人。

1970年代のMovementの底流は
「平和、民主主義、科学技術の進歩」という三つの「絶対的正義」への疑問、という。

平和:  ベトナム反戦運動は(日本が平和であればよいという)一国平和主義を超えた
民主主義:多数決の優位などにより社会的弱者を抑圧しかねないとわかってきた
科学技術:
    「科学は自然ではあり得ない状況をつくって特定の現象を法則化するが、
     そのままでは技術にならない。
     技術化する際に公害などが起きたら、
     責任は科学にもある。
     そんな責任を顧みてこなかった科学のあり方が問われた」

これらの問題提起を真に理解しなかった、あるいは持続しなかった人たちが、
政治屋としてうごめく政治状況に、70年代全共闘運動の不毛が取り沙汰される。


専門家の責任

2014-10-16 20:14:06 | 世の中
御嶽山の、いたましい遭難。

ある登山チームのリーダーのことばが、頭から離れない。
「自分が今回の山行き企画を中止していれば・・・」
「すこし前(11日)に火山性地震が多発していることが気になったが、
 警戒レベル1(=平常)ということだったので、実施にふみきった」

その「レベル1」を出していた専門家(予知連絡会長)の、噴火直後の記者会見:
「11日の地震が前兆であるかの保障もない」
「少しでも危険があるなら近づかないのも手」
「自然現象に関しては完全に安全は有り得ない」
「警戒レベルの上げ方を改善していく余地はある」

イタリアの地震予知裁判を思いだす。

「イタリア 地震予知 裁判」で検索すると多くの報道がでてくる。
  「安全宣言」で学者実刑
  イタリア地震裁判の波紋:
  有罪の理由は予測失敗ではなく行政の求めに応じた軽々の“安全宣言”

など、「重要なのは、裁判で問われたのが予知失敗の責任ではなく、リスクを正しく伝えなかったことの責任である点だ。」と、行政の都合に迎合した学者の責任を指摘している。

イタリア地震裁判には「学者がものを言えなくなる」という科学者の反発に同情を感じた。

しかし、御嶽山の噴火と遭難者のニュースでは、
「警戒レベル1」を出していたことに対する責任感の薄さに怒りがわく。
ラクイラ地震裁判の厳しさが、当然に思えてくる。

昨今、何かと云うと登場する「専門家」たちの軽さ。
「専門家」と聞いたら警戒しなければいけないと思うことも多い。



日本の軍歌を聴く

2014-10-04 12:16:52 | 世の中
アイジョージ「戦友」
http://www.youtube.com/watch?v=Y75_H805GXc

経験していない時代をとらえるには、理屈より感覚が必要と思う。
アイ・ジョージが歌う軍歌。
軍歌メドレーもあるから、いろいろ聞ける。
演歌より切々と苦労や悲しみを訴えるものが多い。
「戦友」は日露戦争、勝った戦争なのにこんなに悲しい歌。
アメリカの軍歌は anchors away my boys!から空軍ほか、
(実はかなり歌えるのだけど)桁外れに快活なのと対照的。

勝利に浮かれるなかで、戦争は悲劇以外のなにものでもないという
情感あふれる歌を生む(作者は曲も歌詞も学校の先生だったような?)
日本人の感性を誇らしく思う。
この作者の感性に響き合ったアイ・ジョージの歌が聴けるのも、
Netのおかげだが、高見順の日記や石川達三の従軍小説も読める。

戦前の日本を知らないし、親族から聞いた話はほんのわずか。
飛び交う報道や言論を咀嚼するために、その時代を感じ取る作業が必要だ。

庶民の戦争責任

2014-10-04 12:07:10 | 世の中
リンゴの唄
http://www.uta-net.com/movie/13829/
第二次大戦直後の日本で最初の(?)流行歌、
沈み込んだ人々の気持ちを明るく元気づけたという。
だが、復員軍人や引揚者が帰ってきたときに聴いて、
非常に複雑な思いをしたという記事を、新聞か雑誌で読んだ記憶がある。
「花子とアン」で、朝一・花子は、戦後に教壇に立ち、ラジオ放送に復帰するが、
戦争責任は感じなかったか。
子どもに教える、子どもによびかけるという、立場にあったものとして、
苦しい反省があったろう(白蓮の非難で描かれている)。
しかし、庶民一般は、戦後に、反省があったのか、
アジアで二千万ともいう戦死者を出した戦争への反省は、
「空襲」「原爆」「敗戦の苦労」のなかで、すうっと流してしまったのではないか、
そんなことを感じる歌。

  「なんにも言わないけれど」「よくわかる」
  で忘れ去ったままにしておきたいこと、
  いまさら、さわらないでほしい・・・
では、とおらない

「花子とアン」と従軍慰安婦

2014-10-04 07:00:00 | 雑感
NHKTV小説「花子とアン」の原作『アンのゆりかご』巻末の「注釈」で「公娼制度廃止」の項に
「昭和6年(1931)以降、軍によって従軍慰安婦が動員されてから廃娼運動は停滞し」
とある。
この記述にも変更を迫りかねかい、自民党の動き
けさのNHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141004/k10015113411000.html
報道はおろか、あらゆる著作や作品を検閲していきかねない。
世界に批判され笑われることなど意に介さず、
世論操作にのりだすこんな動きを黙視する国民であることを恥じる。

  ちなみに「1931年」は満州事変が始まった年。