ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

人生が綴じこまれた本

2006-11-28 15:03:11 | 言語の表現
上梓された本が二冊、前後して送られてきた。
ひとつは京ことばの研究書。
もうひとつは、5年前に亡くなった友人の句集。
どちらも数十年にわたる研鑽のうえにできあがったりっぱな本だ。
印刷物と本とのちがい・・・後者には著者の魂がこもっている。活字の間から気魄が伝わってくる。

『明治三十年代生れ話者による 町屋の京言葉 付 近世後期上方語の待遇表現』 寺島浩子著 武蔵野書院
から、私が使いそうなあいさつ。

 「ホンマニ急(キュー)ニアガリマシテ、御馳走サンドシタ。」
 「スンマヘンケド、オヨバレダチイタシマス。」 


ご馳走になってすぐに帰ることを「呼ばれ立ち」と言うそうだ。

「ハンナリ」
 副詞 「すかっと。陽気で上品な明るさを、主に色彩について言う。性格にも用いる。」 

このよく知られた京ことばの意味は、しとやかで優雅なことの形容と思っていたが、ぜんぜんちがっていた。

先斗町がキャンバスで研究室はお茶屋さん、お酒がペンで、肴がインク・・・とは、うらやましい学者生活とも思えたけれど、40年近く女将のことばを採集しつづけた苦労に敬服する。


『銀河は海に 金澤葭舟句集』 舷燈社 から、ほのぼのとした故人の人柄を偲ばせる2句。

  日 々 掃 き て 日 々 新 し き 落 椿

  妻 の 声 路 地 よ り 聞 こ え 十 二 月 


息子たちを通して知り合ったご夫妻が、俳句をよんでいらっしゃるお話は伺っていたが、半世紀の永きにわたって俳句の道を歩まれてきた方だったとは、御本をいただくまで知らなかった。おつきあいして25年以上になるのに、その方のほんの一面しか見ていなかったことが悔やまれる。

晩秋の怪談

2006-11-25 23:53:02 | できごと
「ありえねぇ!」ということが起こるものだ。

「ストレチアがたくさん咲いているからもっていって」とおっしゃってくださる方の山(畑)へ週末帰宅の夫とでかけた。

都道から富士山麓への急坂をゴトゴトと登って、斜面のロベや明日葉の畑にはいる角へ車をとめ、すこし山の中を歩いてから、ストレチアを採って車にもどり、またゴトゴトと坂を下りる。

そして都道への出口で・・・道の中央に落ちていたのは携帯電話。最新機種の夫の携帯と同じ型だと思いながら拾い上げて、活きているか電源を入れてみながら夫に見せたら・・・「ボクのだ」!!!

その角では車を降りたりしていないし、車を止めてもいない。都道から迷わず曲がってさっさと山へはいっている。上の畑で歩いた以外は車から降りていないのに、「上着のポケットに入れていた」携帯がなんでここにあるの TELEPORTしたみたいに。

夫の推測は、だれかが落ちていた携帯を拾って、わたしたちにわかるように都道への出口においていった・・・でも、だれにも会っていないし、人がいた気配もないのに、ありえない!!!念力移動 teleportation のほうがまだ信じられる。

しかし「ありえない」としか思えないことも、自分の行動範囲の外に出てふりかえれば、まったく「ありうる」「当然」のことだったりする(他人のこと、他国のことは特にそうだ)から・・・いまは、どうしても信じられないできごとだけど、いつか謎が解けるだろう。  
その謎のほうが怖かったりして



いま八丈は町花のストレ(リ)チアやツワブキが咲き、ハイビスカスもまだすこし花をつけているし、アロエも咲きだして、もうすぐ冬だというのに華やかです。デジカメが電池切れで、写真は町のHPから借りました。

ストリレチアの花摘み
http://shoden.ddo.jp/~boogen/archives/2006/200609/20060930-1049.php

赤川次郎<闇からの声>

2006-11-15 15:32:06 | 世の中
赤川次郎の小説が好きで、書店で見かけると買ってしまう。
毎秋に刊行される爽香シリーズは『若草色のポシェット』に始まって今年の『真珠色のコーヒーカップ』にいたるまで19年間読んできた(来年はどんな色になるのだろう?)。その解説を鶴見俊輔が書いていてちょっとびっくりしたが、なぜ自分が赤川次郎を好きなのかをずばりと言い当てられていた。
登場人物が、悪役も含めてみな「出会いたい人たち」なのだ。

その赤川次郎で<シリーズ闇からの声>と気になる文庫が書店にあり、
「今必要なのは、諦め、無気力になることを拒んで、『希望』を語ることである」 ---赤川次郎
と書かれた帯にも惹かれて、短編集 『悪夢の果て』 を購入した。
「有事関連法案や通信傍受法、国旗国家法などが、次々に議論もなく通っていった」ことをきっかけに始めたというシリーズは、それまでの作風とは異なり、社会の現実を直接の題材にしている。もちろんミステリ・SFとしておもしろいことは言うまでもないが、かの小泉首相を意識して書かれた『雨』では、そのマスメディア操作手法がよくわかるなど、勉強になった。

国語学者であった亡き義父の書棚にもたくさんの赤川次郎作品があった。
新井素子と共に日本語が正確・秀逸で、若い人たちの口頭語(はなしことば)収集にかっこうの資料だったそうだ。
それは義父の言い訳で、読む漫画として息抜きに楽しんでいたのではないのかな、とも思う。 
 

カタカナ語は語学のじゃま@上海

2006-11-06 16:30:08 | 言語の表現
図書館で、カタカナ語言い換えの手引きという本を見た。
たしか国立国語研究所の編纂で、出版社も「ぎょうせい」と、かなり公けに参照される本だと思って手に取ったが仰天。
カタカナ外来語と、その言い換え表現がのっているが、外来語の由来となる原語がない。
(よくよく見たら、目次のカタカナ語リストには外国語(英語)が付記されていたけど、本文には無し、索引にも無い)

「もとの外国語をわかる必要などない、言い換え表現をおぼえればいい・・・」という本である。
原語にさかのぼろうとしない感覚では、外来語のあふれる日本なのに、外国語習得に弱くなるばかりではないか。

上海で、カタカナ語のせいで困った体験をした。

新しくできた超高速リニアモーターカーに乗るべく地下鉄を降りた。
出口が二つあるので改札口の若い女性に、
「リニアモーターカーに乗るのはどちらの出口か」
と聞いた。もちろん中国語で・・・しかし相当する中国語(磁浮車)がわからない「リニアモーターカー」だけは英語らしく発音して。
とたんに「日本語はわからない、英語ならわかるけど」とつっけんどんに逃げられ、
こんどは英語で尋ねたが「日本語はわからないって言ってるでしょ!」とはねつけられる。
意地悪されているのかととまどっていたら、隣の男性が「マグレブ?」と言う。
手と声で「ピュッ」と表現したのでうなずき、出口を教えてもらうことができた。

英語では maglev (magnetic levitation) なのだと辞書を引いてわかった。
自慢じゃないけど中国語も英語も簡単な会話ならできるのに、カタカナ語にじゃまされたわけ
女の子が日本人に意地悪しているのではなかった・・・
でも、カタカナ語を英語と思ってしゃべる日本人をからかっていたのかもしれない。
日本人がゴマンといる上海のこと、わたしみたいな者に何度も出逢っているは
ずだから。 


大学生の多くが使うという「ジーニアス」(電子辞書)英和には linear motor car が見出しになっていた(つまり英語だという扱い)が、
「リニアモーターカー」は和製英語だ。かろうじて linear motor train なら通じそうだとのこと。

 脱線 
最近の電子辞書はほとんど「ジーニアス」を採用しているけれど、こんなふうに整理・点検・校閲が雑で、信頼できない。
便利な電子辞書だからこそ(コストはかかっても)いろいろな辞書を網羅して、使用者の選択にまかせるべきで、英和・和英が2社の辞書のみに集中している現状は問題だ。