ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

「教」のなぞ

2006-02-23 10:39:55 | 言語の表現
17日に書いた「教」のつづき:
中国語の漢字はひとつの字にはひとつの発音しかない。というか、音そのものが意味を持っている。
つまり、形・音・義(意味)が一体となった文字である。
だから、どんどん新しいことばを生み出す造語機能、どんなことばでもそれらしく翻訳してしまう表現力、そして、いろいろな連想に広げる文章展開力にすぐれている・・・と勝手に思っている。
コンピュータを使うには不利とかいわれたけれど、絵文字・アイコンを作成しなけりゃならないアルファベットより使い勝手がいい印象さえある。
もちろん例外的に複数の発音を持つ字もある。汎用のものに多い。
そして、発音がちがえば意味も違ってくる。
たとえば「重」には、zhong と chong の発音があり、前者は「重い」、後者は「重なる」意味。日本語では「重用」「自重」「重箱」「体重」と「ジュウ」が重い意味とはかぎらず「チョウ」とODORAMOXっている。

で「教」の補足です。
「教」の字も例外的に二つの発音がある字ですが、jiaoの1声と4声というちがい。
中国語には「声調」という発音上の調子があって、これがちがえば、もう、発音が違うことになります。
「教える」動詞の「教jiao」は1声、「教え」と名詞の「教jiao」は4声。
後者は名詞のほかに動詞として使われることがあり、そのときは「人を呼びつける」意味を表す「叫」と共通するのです。

だけど・・・
「教育」「教師」「教科書」などの「教」も「仏教」などと同じくこちら4声のほう・・・なのは、なぜ?
わっかんなーいと悩んでおります。

「子どもについて」

2006-02-21 10:08:28 | 世の中
息子の友人に赤ちゃん誕生。
お祝いにちょこっと何か書いて添えようと思ったけど、お父さんになった子とは英語でしか話せない。で、本からの引用でごまかすことに。

And a woman who held a babe against her bosom said, Speak to us of
Children.
And he said:
Your children are not your children.
They are the sons and daughters of Life's longing for itself.
They come through you but not from you,
And thought they are with you yet they belong not to you.

You may give them your love but not your thoughts,
For their souls dwell in the house of tomorrow, which you
cannot visit, not even in your dreams.
You may strive to be like them, but seek not to make them
like you.
For life goes not backward nor tarries with yesterday.

You are the bows from which your children as living arrows
are sent forth.
The archer sees the mark upon the path of the infinite, and
He bends you with His might that His arrows may go swift and far.
Let your bending in the archer's hand be for gladness;
For even as He loves the arrow that flies, so He loves also the
bow that is stable.


quote from "The Prophet” by Kahlil Gibran

春爛漫(2)

2006-02-19 16:15:37 | 花鳥風月
茶飲み話で:
島に来て1年目の人   「桜が満開ですね」
島に来て2年半の私   「あ、アグリマートへ行く道でしょ」
→春爛漫(1)の桜
島に来て1年目の人   「ん・・・フリージア畑に行くほう」
島に生まれて70余年の人「そんなとこに桜あったかい?」
島に生まれて40年弱の人「さああ?」
帰りには、各車とも家の方角ではなくフリージア畑の方向へ向かっていました。

新人のほうが、島をよく知っています。(去年まではわたしだったのに)
大きな河津桜が濃いピンクの花をいっぱいにひらいていました。
しかし奥を窮めるのは、やはり古参。2本の桜のわきから道なき道をどんどん入っていきます。なんとその先には井の頭公園ほどではないけれどりっぱな桜並木が。
古参 「ほう、よけじゃのう!」
新人 「ここまで入れなかったから、こんなに桜があるなんて気づかなかった!」
ヘルパーさんが腰丈までの草を踏み均しながら
    「ここを平らにすれば、車椅子で花見できるよう!」

こういう会話をかわしながら暮らしています。


知らないと損をするヨ

2006-02-18 19:06:17 | できごと
防災無線で浅葉克己氏の講演があると知らせていたので、友だちを誘って出かける。
アートディレクターの 浅 葉 克 己 氏は、この島に20年も関わってきていて「浅葉杯」卓球大会があり、だれでも知っている。
しかし「卓球の浅葉さん」しか知らない!
で、聴講者も少なかった・・・MOTTAINAI!(PTA作品展とか生花展とか行事も重なっていたし、何より天気がよすぎて「きょうは畑じゃ」という日和だったせいもあるけど)

まず、デザインの仕事は「発想・現場・定着」のくりかえしだと話された。
そして数々のお仕事を披露されたのだが、ひとつのデザインのために何千キロも彼方へ出かけていく、ひょんな経験や見聞が何年もあとになってデザインに結実する。
とかく「発想」が注目を集めるけど、「発想」がなければなにも生まれてはこないけれども、その何倍ものエネルギーが「現場」「定着」の作業に費やされて、初めて、プロの仕事になる。そんなふうに感じた。
一枚のポスター、ひとつの文字に、どれだけ膨大なエネルギーをかけているか、あらためて知り、中学生・高校生みんなに聞いてほしくなった。

いまは、数少ないプロフェッショナル・・・プロとして、プロの仕事をあたりまえにされる、つまりは力の出し惜しみがない、このような方に触れることが、若い人にはとても大きな学習になるはず。

浅葉克己(あさば・かつみ)で検索すればWEBにいっぱい情報が載っています。
写真はhttp://www.asaba-tompa.com/info.htmlから。

「教」

2006-02-17 18:32:27 | 言語の表現
「教」の字:中国語で「教える」は同じ漢字の「教」で「ジアオ」と発音する。
この発音に2種類ある。
平らに発音すると「教える」意味。
高いところから一気に下げる調子で発音すると「宗教」の意味がある。
「教える」の発音は、「交わる・ひきわたす」意味の「交」と同じ。
「宗教」のほうは「~に~をさせる」使役の「叫」の発音と共通。
紙一重の差・・・漢字の世界はおもしろい。

とっかり

2006-02-14 18:09:34 | 雑感
「とっかり」とはアザラシのこと。
紋別にある「とっかりセンター」では迷子のアザラシを保護している。
氷に閉じ込められて動けなくなった子どもなどで、
写真は救った漁師の奥さんの名前をもらった「花子」ちゃん。
名前を呼ばれてプールから出てきて餌をねだる姿は愛らしい。
餌をやる職員の女の子はもっとかわいらしかったです。