どくだみ草日記

過去の出来事を検索するために書いてます。

とても嬉しいコメントへの返信が遅れます事、ご容赦願います m(_ _)m

練習後は飲みだわさ ワハハハ

2015年09月30日 | 日記
先週水曜の練習が祝日だったのでありませんでした。
つまりは2週間空いたということで、膝の負担が減りとっても楽になってました。
階段なんぞ手すりに頼らなくても(丸々ではないけれど)トントンと登れるまでになってました。
なので練習の初め頃は動けるわけですが、が、が、が!
中頃から段々と膝が「痛ぇ!なにしやがるんだ!」と悲鳴をあげ始める訳で
どうしようもなくなる前にそろそろお休みタ~~~イム♪と申し出たにも関わらず、休ませて貰えなんだ (-゛-メ)
もう何コレ?! ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆
復帰した当初は、「無理しないでね、駄目なら言ってね、座ってても良いんだよ。」
な~んて甘い事を言ってたくせに、何このこき使い方は?! ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆
帰宅してから膝を氷で冷やしてるけど、寒くて震えがでるくらいだわよ!
なんとか痛みや腫れを緩和しなくちゃって、涙もんの苦労になっちゃってるわ!
明後日は整形外科でのリハビリと関節内注射の日だから、それまでには緩和されてるといいんだけど…
やっぱり次回からはキッパリと断るようにしよう。
バレーの為にこれからの老後の人生を破滅に追いやる必要はないものね ( ̄-  ̄ )トオイメ

あ、そうそう。
毎年恒例になっている11月のシニア寿大会の件なんだけど
私、8月に六十歳になったから、60歳からの寿のチームに参加させて貰えるとウキウキしてたのに
なんとまぁ! 50~59歳のシニアチームの方でと決まっちゃった (ノ_・。)
なんで?
例年でいえば、60歳になったら寿チームに参加、って決まってたでしょ?
なんで私だけは除外されるの?
シニアチームでって事は、またベンチ要員ってか!
ヘタクソで外されているYと同じ立場ってか!
寿チームだったらコートに入れるって思ってたのにぃぃぃ!! ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆
あ~あ、つまんないの (-"-;)
そのままの流れだと年末の忘年バレーでもまたシニアになるんだよ、きっと…
来年もあるさ、なんて言えるほど若くはないんだよ。
毎年々々が勝負なんだってば!!
つまんないの… ( ┰_┰)

ひまちゃん

2015年09月29日 | 日記
ひまちゃん、昨日から離乳食を初めました。

本当は先週の24日(木)から始めたかったらしいんです。
(24日というのはひまちゃんが3月24日に生まれたから決めたらしい)
でも、お兄ちゃんのひっくんが風邪引いてて
免疫をママから貰っているとはいえ、もしかしたらひっくんの風邪を貰っちゃう可能性もある訳で
そんな中で離乳食を始めるのは無謀というもので
「離乳食を今日始めなければ死ぬという訳ではない」と頑固婆が説得 ←脅すとも言ふ
それで昨日、お兄ちゃんの風邪が沈静化して保育園も行けるようになり
手の掛かるお兄ちゃんが留守で、ゆっくりと重湯を作る事もできるというもので…

ところがところが、運悪く用事がありその場に居られなかったワタクシ
今日の御嬢のお食事時間にはちゃんと準備万端でお待ちしてましたわ
んで
写真撮ったわよ~♪
何枚も撮ったわよ~♪ ((((≧▽≦)))) ←馬鹿婆  (公開はしないわよ ヾ(  ̄▽)ゞオホホホホホ)


どこの誰に似たのかしら?
たった2日目だというに、味を確認した3口目でスプーンにかじりつく (笑
味がわかる程度の量だからお腹を満腹にしてくれるわけでもない
たったの4口で終了となると、もっとよこせと怒る怒る ( ̄m ̄)プッ
スプーンを置く間もなく授乳する羽目になる嫁
お兄ちゃんの時は食べなくてホント苦労したのにねぇ…
今でも食事時間が長くて長くて苦労してるのにねぇ…
もう少ししたら、妹の方が先に食事を終わっちゃうようになって
「お兄ちゃん、まだ食べてんのぉ」 なんて妹に言われるようになっちゃったりして?
不憫な兄よのぉ・・・・ ( ̄-  ̄ )トオイメ


お題「今の10代が知らないと思うものは?」

2015年09月28日 | 日記
そうさねぇ…PHSの前の  ポケベル  かな? (笑

それは知ってるか なるほど (°ー°)(。_。)ウンウン

んぢゃ、ベル打ちって知ってる? (笑

たった10の数字しか打てないけど、それでなんとか意思を通じさせてたんだよ
ポケベルが鳴ると急いで公衆電話を探して、短い文章の返事を考えて送るんだ。
今ぢゃ考えられないほど面倒だけど、あの当時は画期的だったんだ。
会社帰りにどこかに雲隠れ(飲み屋)してても呼び出せるしさ (笑
いつ帰ってくるのか心配しながら家で待ってることもない。
それが今じゃラインだぁなんだと便利になったもんだ。

ちなみに、昨日の日記で亭主が捕まらなかったという箇所があったと思うが
あの時もポケベルだった。
あのアホは飲んでたんだ。
ポケベルが鳴ってても無視したのさ。
「2595333504」って打ってやればよかったと今は思ってるぜよ ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆





2015年09月27日 | 日記
29年も前の話。
母が脳幹出血で倒れた時の事を思い出しました。
気持ちが悪いという母の様子を心配した父が、関越道の嵐山上りPAに寄り食事中の事でした。
救急車で東松山近辺の脳外科病院に担ぎ込まれましたと連絡があったのは夕方の事でした。
その当時、私は車を所有しておらず、そして1歳8ヶ月の息子と幼稚園年長の娘を抱えていました。
まだ会社にいるであろう亭主に車で連れて行って貰おうと、当時持たせていたポケベルに何度も何度も連絡しても応答がなく
近くに住んでいた叔母に2万円のお金を借りて、タクシーで東松山の病院まで飛びました。
死ぬか生きるかというよりも、生存確立は1割もありませんでした。
でも本人の強運といいますか、鬼籍に入るまで25年も頑張りました。

でね。
その当時、私まだ赤子を抱えていたぢゃないですか。
娘もまだ幼稚園ですから、昼過ぎには帰ってくる訳ですよ。
そして病院まで毎回タクシー(当時15,000円位)を使ってたら生活できないでしょ?
といったら、そりゃ電車でしょ。
今調べてみたら2回乗り換えで1時間半、乗車料金片道1000円なんだけど…
記憶では3回くらい乗り換えて、2時間くらい掛かったと思うんだよなぁ。
降りた駅はものすごく小さな駅で、周りは田んぼと畑の何もない駅だっと記憶してるんだけど…
googleマップで見たら、どこの駅も綺麗になっちゃって ( ̄-  ̄ )トオイメ

ああ、そうそう。
そんな状態の私に、姉はこう言ったんだよね。
「私は毎日来てる。あなたも毎日来るのが当たり前でしょ?」
そうよね、父の車に乗ってあなたは来てたよね。
子供は上が小学2年で下の子が4歳を弟夫婦に預けて来てたよね。
でも赤子ぢゃなかった。

下の息子を叔母に預け、上の娘を幼稚園に送っていって、その足で電車に乗って…
やっと病院に着いても、病院に居られるのはたったの1時間で…
それも母は朦朧としてるというのに、私が赤子を抱えてるから病院に来るなって言うので近くに寄れなくて…
でもやっぱり心配で、とにかく様子だけでも看ていたくて
だから病室の外でとか片付けとかしてたけど…
やっぱり毎日行くのは大変で…
叔母に毎日預けるのも申し訳なくて…
2日に1度にしたら…

「私は毎日来てる。あなたも毎日来るのが当たり前でしょ?」

姉の言葉に何度傷つけられたか。
今でも心の奥底に鋭利な針が刺さっている。
だからとは言わないけど
姉のところがどうなろうと知ったこちゃないって思ってしまう。
こんな考えを少しでも持っているっていうのは、本当は嫌なんだけど。
ムクムクと鋭利な針が出てくるのは止められない。



訂正:
1歳ちょっとではなくて1歳8ヶ月だった。
年月とともに脳内変換しちゃってるんだなぁって思った。
そりゃそうだよね、ご飯も食べられない乳児を、それも母乳しか飲まない乳児を、叔母のところに置いておける訳がない (^◇^;)ゞ