どくだみ草日記

過去の出来事を検索するために書いてます。

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2015年09月27日 | 日記
29年も前の話。
母が脳幹出血で倒れた時の事を思い出しました。
気持ちが悪いという母の様子を心配した父が、関越道の嵐山上りPAに寄り食事中の事でした。
救急車で東松山近辺の脳外科病院に担ぎ込まれましたと連絡があったのは夕方の事でした。
その当時、私は車を所有しておらず、そして1歳8ヶ月の息子と幼稚園年長の娘を抱えていました。
まだ会社にいるであろう亭主に車で連れて行って貰おうと、当時持たせていたポケベルに何度も何度も連絡しても応答がなく
近くに住んでいた叔母に2万円のお金を借りて、タクシーで東松山の病院まで飛びました。
死ぬか生きるかというよりも、生存確立は1割もありませんでした。
でも本人の強運といいますか、鬼籍に入るまで25年も頑張りました。

でね。
その当時、私まだ赤子を抱えていたぢゃないですか。
娘もまだ幼稚園ですから、昼過ぎには帰ってくる訳ですよ。
そして病院まで毎回タクシー(当時15,000円位)を使ってたら生活できないでしょ?
といったら、そりゃ電車でしょ。
今調べてみたら2回乗り換えで1時間半、乗車料金片道1000円なんだけど…
記憶では3回くらい乗り換えて、2時間くらい掛かったと思うんだよなぁ。
降りた駅はものすごく小さな駅で、周りは田んぼと畑の何もない駅だっと記憶してるんだけど…
googleマップで見たら、どこの駅も綺麗になっちゃって ( ̄-  ̄ )トオイメ

ああ、そうそう。
そんな状態の私に、姉はこう言ったんだよね。
「私は毎日来てる。あなたも毎日来るのが当たり前でしょ?」
そうよね、父の車に乗ってあなたは来てたよね。
子供は上が小学2年で下の子が4歳を弟夫婦に預けて来てたよね。
でも赤子ぢゃなかった。

下の息子を叔母に預け、上の娘を幼稚園に送っていって、その足で電車に乗って…
やっと病院に着いても、病院に居られるのはたったの1時間で…
それも母は朦朧としてるというのに、私が赤子を抱えてるから病院に来るなって言うので近くに寄れなくて…
でもやっぱり心配で、とにかく様子だけでも看ていたくて
だから病室の外でとか片付けとかしてたけど…
やっぱり毎日行くのは大変で…
叔母に毎日預けるのも申し訳なくて…
2日に1度にしたら…

「私は毎日来てる。あなたも毎日来るのが当たり前でしょ?」

姉の言葉に何度傷つけられたか。
今でも心の奥底に鋭利な針が刺さっている。
だからとは言わないけど
姉のところがどうなろうと知ったこちゃないって思ってしまう。
こんな考えを少しでも持っているっていうのは、本当は嫌なんだけど。
ムクムクと鋭利な針が出てくるのは止められない。



訂正:
1歳ちょっとではなくて1歳8ヶ月だった。
年月とともに脳内変換しちゃってるんだなぁって思った。
そりゃそうだよね、ご飯も食べられない乳児を、それも母乳しか飲まない乳児を、叔母のところに置いておける訳がない (^◇^;)ゞ

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