良寛が生涯身に離さず大切に持っていたとされる
師大忍国仙の印可状(「五合庵」から)
良寛庵主に附す
良也,愚の如く,道転(うた)た寛(ひろ)し
騰々任運,誰か看ることを得む
為に附す,山形爛藤(さんぎょうらんどう)の杖
到る処の壁間,午睡(ごすい)閑(のど)かなり
良よ、おまえは一見愚かそうに見えるが、そうではない。辿りついた仏道は既に広々とした所に出ている。あくせくせず、運を天に任せているが、そうしたことを誰がわかっているだろうか。私は今印可の一本の杖を与えよう。この杖を持って旅に出よ。どこに行こうと良し、ただこの杖を壁に立てかけておけ。昼寝をしていても良い。(http://www.mskj.or.jp/getsurei/tachibana0501.html)
あらためて読んで・・見事な詩(偈)だ。人格のやさしさ、広さ、やわらかさを感じる。良寛は晩年の自画像に「是は此れ誰そ大日本国国仙の眞子良寛」と大書しているとのことだから、さぞやすばらしい師匠だったのだろう。国仙の後円通寺十一世住職となり、後に永平寺五十世として本山の改革に務めた玄透即中も「国仙師は日国禅林間出の仙と、日本に時たまあらわれる程の大徳である」と喝破、その遺徳を讃歎しているとのこと(http://www.kurashiki.co.jp/gokaji/02-tyorenji.htm)。
師大忍国仙の印可状(「五合庵」から)
良寛庵主に附す
良也,愚の如く,道転(うた)た寛(ひろ)し
騰々任運,誰か看ることを得む
為に附す,山形爛藤(さんぎょうらんどう)の杖
到る処の壁間,午睡(ごすい)閑(のど)かなり
良よ、おまえは一見愚かそうに見えるが、そうではない。辿りついた仏道は既に広々とした所に出ている。あくせくせず、運を天に任せているが、そうしたことを誰がわかっているだろうか。私は今印可の一本の杖を与えよう。この杖を持って旅に出よ。どこに行こうと良し、ただこの杖を壁に立てかけておけ。昼寝をしていても良い。(http://www.mskj.or.jp/getsurei/tachibana0501.html)
あらためて読んで・・見事な詩(偈)だ。人格のやさしさ、広さ、やわらかさを感じる。良寛は晩年の自画像に「是は此れ誰そ大日本国国仙の眞子良寛」と大書しているとのことだから、さぞやすばらしい師匠だったのだろう。国仙の後円通寺十一世住職となり、後に永平寺五十世として本山の改革に務めた玄透即中も「国仙師は日国禅林間出の仙と、日本に時たまあらわれる程の大徳である」と喝破、その遺徳を讃歎しているとのこと(http://www.kurashiki.co.jp/gokaji/02-tyorenji.htm)。
印可状でTBさせていただきました。