君看双眼色

2005-05-07 | zen
  君看双眼色 不語似無憂

しばらくこの句は良寛作と思い込んでいたが、そうではないとのことだ。もともとは

  千峯雨霽露光冷 (せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)
  君看双眼色   (きみみよそうがんのいろ)
  不語似無愁   (かたらざることうれいなきににたり)

という連句で、大燈国師の句に白隠禅師が第2句以下をつけたものだということを、戸所宏之氏の「君看よ双眼の色」(http://www.gpwu.ac.jp/door/todokoro/solilo/sogan.html)で知った。ちなみに、大燈国師、白隠禅師をネットで調べてみると

大燈国師:鎌倉後期の臨済宗の僧。後醍醐天皇、花園上皇の帰依を得て大徳寺を開く。
白隠禅師:江戸時代の臨済宗の僧。駿河の人。正受老人の法を嗣ぎ、京都妙心寺第一座となったが、名利
を離れて諸国を遍歴教化、臨済宗中興の祖と称される。42歳の秋、「法華経」を読誦中に、こおろぎの
 なく声をきいて生涯で最高の悟りをえたという。

とある。つまり、大燈は白隠にとって臨済禅の大先輩で、両者は世を隔てている。白隠の句を愛唱した良寛は、最後の愁を憂にかえた上で書としたとのこと。

さて、白隠の句はふつう、上で右に書き下したように読まれる。つまり「きみみよそうがんのいろ かたらざることうれいなきににたり」(ほんとうはうれいあり)と読まれる。私もそのようにとっていた。しかし、大燈国師の句を前提とした場合、これは間違った読みだろうと戸所氏は指摘されている。戸所氏によれば、大燈国師の句は

  見渡す限りの山々の一本一本の木々の葉が、今あがったばかりの雨の湿り気を帯びて爽やかに、
  涼やかに、静かな光を発してゐる、さういふ光景を詠ってゐる。山水画の光景だ。しかし、これは
  同時に禅のさとりの境地でもある。雨が降れば濡れる、霽れば光る。融通無碍の世界が詩的情緒を
  伴って示されてゐる。

これを受けるのに、「わたしの眼をみよ 何も語らないということは憂いがなにもないということではない」では不適切だろう、というわけである。その上で、戸所氏は、白隠の最初の句のなかの

  双眼とは千峯のことだ。おほらかな世界が開かれてゐる。双眼はひとの眼ではない。宇宙全体が
  双眼だ。

といわれる。そしてさらに、第2句について、

  不語は「語らざれば」と読みならはしてゐるが、むしろ、不語のままの方がいい。私は、「不語即ち
  無憂に似たり」、と読みたい。語ってゐないのではない、不語といふ語りをしてゐるのだ。千の峯々
  はさうやって昼も夜も語ってゐる。それを白隠は不語と読んだ。

  憂ひ無きに似る、といふ句は実にあやしい句だ。誘惑に満ち満ちてゐる。本当は憂ひがあるのだが、
  何も語らないあなたはまるでそんな風には見えない、誰もがうっかりさう読んでしまふ。さうではな
  いのだ。そんな風に日常世界のありやうを忖度した歌ではない。「憂ひ無し」と否定文に読むのでは
  なく、「無憂」といふ絶対の肯定、つまり、至福そのままの姿に似てゐる、といふ風に読みたい、
  いや、読むべきだ。

  似るといふのは禅の世界のとんでもないものの言ひ方で、道元禅師も「魚行いて魚に似たり」と素晴
  らしい直証をされてゐる。魚が魚に似るといふ時、主語の魚は我々の知ってゐるあの魚ではない。千
  峯を魚と言ってゐる。双眼を魚ととりあへず呼んでゐる。大いなるものがとりあへず魚のすがたをか
  りてこの世のあらゆる存在を和ませてゐるさまを「魚に似たり」と言ってゐるのだ。

  「似無憂」も同様だ。似るとは大いなるものの働きそのものを指してゐる。大いなるものはあれ、
  これ、と指で指し示すことはできない。我々としては似てゐるさまを感受するのみだ。   

と指摘される。細部はともかく、大燈国師の句を前提とした場合、たしかにこれは説得力ある読み方だと思う。「似る」は微妙な表現で、念のためネットで調べたところ、道元の「魚行いて魚に似たり」について、次の解説があった。(http://www.rose.sannet.ne.jp/yukakosansuian/dogen/dog13.html)

  宏智の「坐禅箴」は、「魚行いて遅々たり、・・・鳥飛んで杳々たり」で終わる。「遅々、杳々」
  は、機鋒峻烈な見性禅に対し、鈍な趣きのある默照を肯定的に形容するものだろう。それを道元は
  《坐禅箴》で、〈魚行いて魚に似たり、・・・鳥飛んで鳥の如し〉と変えた。それは坐禅のところか
  ら、人は法に叶って生きることができる。その如法が、〈似たり、如し〉である。「似たり」は、
  人が仏に似るのではない。〈鳥飛んで鳥の如し〉といわれるように、もともとそうである自分が、
  その本来の自分になるのである。

魚行は座禅をあらわすようである(「坐禅の功徳、かの魚行のごとし」《坐禅箴》)。魚は水のなかを行くことによってはじめて魚になる。

すると、戸所氏のラインで私なりに整理すると、

  君看双眼色 
  不語似無憂

という句は、大燈国師による大自然・融通無碍の世界の開示を受けて、(戸所氏の読みと比べてはなはだ散文的で恐縮だが)

  きみみよ 双眼に映る千峯の山々の景色を
  語らぬこと 無憂に似たり
  (ことばが憂いを生むのだ)

と読めそうだ。つまり、最後の句を「不立文字」の表現としてとして読む。ただ、大燈国師の句から切り離して白隠の句をよむことはもちろん可能で、その場合通常の読みでさしつかえあるまい。それはそれで「不立文字」、「以心伝心」を語っている。良寛も1字を差し替えることにより、そのようなモード変更していたのかもしれない。

追記 

なお、上の連句は『槐安国語』(かいあんこくご)あらわれるもので、『槐安国語』そのものは大燈国師が書いた『大燈録』に、後年白隠が評唱を加えたものであるとのこと。
<htttp://www.niji.or.jp/home/yanto/kaian/kaianhyosi.htm>には、鈴木大拙による書評が紹介されている。

『槐安国語』を読みて―「著語」文学の将来などにつきて(初出『哲学季刊』昭和21年)

 日本撰述の禅書も数多い事であるが、その中に最も目につくものは、さきには道元禅師の『正法眼蔵』、後には『槐安国語』と云ってよいと思ふ。固より此外に多くの日本禅者の手になつた著述もあるにはあるが、特に異色の著しいと云ふべきは、これら二書であらう。両書は何れも其難解の点において、相伯仲すると云つてよい。前者については既に多数の学者がその研究の成績を発表して居る。どの程度に成功したかは第二の問題であり、また今までので其研究すべきものを、どの程度まで手を著け得たかも、固より問題ではあるが、『槐安国語』につきては研究など云ふものは何もない。臨済各派の叢林の奥の方でお師家さんが講座の上から提唱なるものをやるにすぎないのである。一般の世間ではその名も知らないであろう。
 槐安国は淳于が槐樹下の蟻穴に入りて統治した国の名で、所謂南柯の夢の世界である。白隠は自分の著述をその国の語と見立てたのである。此「語」は大徳寺の開山の大燈国師の語録に対して、圜悟の『碧巌録』に模して、吐出せられたものである。白隠(及彼弟子)は、その禅経験と、学得底の漢文学知識との全部を傾倒して、六冊の『国語』を作成したのであるから、読者にとりては容易ならぬ難解の書物だと云ってよい。大燈国師自身が既にその語録において胸中の薀蓄を披瀝したところへ、兼ねて白隠禅師のを添加したものであるから、此書は日本的禅経験と禅表現の極限に達したものと謂はなくてはならぬのである。

「日本的禅経験と禅表現の極限に達したもの」とのことだから、わかりやすく理解しようなどと考えるほうが土台間違っていたのかもしれない。それにしても「槐安国(かいあんこく)は淳于が槐樹下の蟻穴に入りて統治した国の名で、所謂南柯の夢の世界である。白隠は自分の著述をその国の語と見立てたのである」とあるが、私はこういうファンタジック&パロデイ風な思考は大好きである。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
君見ずや双眼の色 (多仁五郎)
2009-07-09 06:03:54
君看双眼色  
不語似無愁  

この一節に、長い間こだわっていました。
きみみずや そうがんのいろ
かたらざれば うれいなきににたり

そう覚えていてそれを人生訓にして生きてきました。
誰の句かも知らずにです。
今でも良い句だと思っています。
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不語 (東風庵)
2009-07-12 09:31:09
大燈国師の句を受けた白隠の第2句以下は、大自然は「不語」のモードにありますが、不語こそが至福なのですね、という(大燈国師への)相槌として読むのがよさそうですね。とはいえ、白隠の句は、それだけとっても意味をなす、複数の読みを許す、絶妙な表現になりました。
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良寛の書に (ヨセフ)
2010-10-03 22:11:05
この言葉の良寛の出典を長いこと知りたいと思っていました。

ありがとうございます。

良寛には臨済宗の影響があると思っていましたが
やっぱりそうだったんですね。
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はじめまして (東風庵)
2010-10-04 21:23:13
心の導くところにまかせる。さすが良寛師ですね。
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