紫陽花記

エッセー
小説
ショートストーリー

別館★写真と俳句「めいちゃところ」

天使の羽音ー3

2018-06-07 06:54:24 | 江南文学(天使の羽音)
「江南文学」掲載「天使の羽音」33作中ー3


 運動会
「ぼくはいかない」
 タカが玄関で靴を履かずに言う。
「今日はね、マーちゃんの運動会なのよ。タカちゃんだって去年行ったのよ」
 今日は、タカの通っている幼稚園の、未就園児を対象にした運動会。
 パパも通った幼稚園で、マーも来年は通うことになる。
「だって、ぼくはなにももらえないのでしょ」
「タカちゃんの運動会ではもらったでしょ」
「だって、ぼく」
「行きたくなきゃ、行かなくてもいいのよ」
 と、ママ。
 九月二十三日に、タカの運動会があった。
 九時始まりのところ八時に家を出た。園庭のトラックの周りは六重、七重にシートが敷かれている。我が家で確保したのは、一番後ろのフェンス寄り。他人が通る度、砂がシートにかかってくる。
 園児鼓笛隊の入場、演奏。園長先生の始まりの挨拶から、競技へ。
 タカのかけっこは二等賞。
 タカたち年中組三クラスの遊技『バルーン』は、カラフルな円形の大きな軟らかいシートを使って、クラス全員でいろいろな形を作る。なかなか良くできて、先生方の指導力に感激。
 未就園児のかけっこでマーがママと走る。
 パパたちのムカデ競走は、赤の鼻緒が抜けたりするアクシデントで湧いた。
 ビデオカメラと普通のカメラを駆使して、パパとママが撮りまくる。
 私はミユを抱いて観戦。

「ぼくもいくよ」
 ママの剣幕にタカが従った。
 三個のチャイルドシートを着けたパパの車で、幼稚園に向けて発車オーライ。



   パン

「ばぁちゃん、それ、だれがたべるの?」
 五年前亡くなった長男へ供えるために、食パンに、ブルーベリージャムを塗っている私に、タカが聞いた。
「仏様に上げるのよ」
「パパのおにいちゃんに、なの?」
「そう」
「パパのおにいちゃん、パンがすきだったからね」
 タカは、いかにも長男の生前を知っているような口ぶりをした。きっと、次男夫婦がなにかの折りに話したのだろう。
「そうよ。おじさんはパンが好きだったわ」
 私は亡き長男を偲んだ。亡くなる数年前から、朝食のメニューは、食パンが主のパン類と野菜サラダ、ミルク、紅茶、卵、バナナだ。
 長男はとてもパンが好きだった。身体に障害を受けていて咀嚼がままならないので、パンは小さく千切りミルクで軟らかくし、サラダはみじん切りにしてスプーンで食べさせていたので、毎朝の供物はパンとミルクである。
 糖尿病を患っていたこともあって、常に不満足な腹具合だったろう。
 棺には沢山の好物を入れた。パンやバナナは勿論だ。次男は食パン一斤の他アンパンや饅頭なども入れていた。そんな次男は、自分の子供たちに、兄貴のことを話してやったのだろう。
「ね、ママ。どうしてもやしちゃうの?」
 タカは、自分たちも参列した曾ばぁちゃんの葬儀の時を思い出したようだ。
「死んじゃうと血液が動かなくなって、そのままにしておくと臭くなっちゃうでしょ。だから……。ええーと、難しいね」
「うーん。わかんない」
「幼稚園に行くんだから、早く食べようね」
タカは最後のパンの一片を口に入れた。



   パパ床屋

「今夜はパパ、床屋さんになろうかな」
 パパが夕食時に言った。
「ボク、やだ。ぜったいやだ」
 タカがすかさず言う。
「前髪が目に入っちゃうでしょうよ。パパに床屋さんやってもらおうよ」
 ママも勧めるが、タカは頭を横に振った。
 パパが再度誘う。
「ビデオは見ないのかな? ウルトラマンか仮面ライダーか、見ながらやろう」
「えっ、いいの?」
「ああ、いつもそうでしょ。好きなもの見ていいよ。マーちゃんもね、床屋さんやろうね」
「うん。ボク、ウルトラマンジャスティスがみたい」
「タカちゃんは?」
「うん。それでいい」
「そうか、床屋さんやって、それから風呂に入ろうな」
「パパと?」
「いつもママと入っているのだから、お休みの時ぐらいはパパと入ったら」
 と、ママ。
「わーい。マーちゃんもパパとはいるう」
 夕食後、テレビに向けた子供用椅子に、タカが最初に腰掛けた。
 パパが、タカの首の周りにタオルを巻き、更にケープを羽織らせる。用意が出来ると、髪切り鋏で切り始めた。
 タカの次にマーがお客様だ。
 一ヶ月半か二ヶ月毎にパパ床屋は鋏の音をさせる。一部虎刈りになることもあるが、数日のうちに気にならなくなる。パパ床屋の腕は回を重ねるごとに上達していった。
 私も、息子二人の髪を就学前まで切った。決まって昼寝の熟睡中に作業したのだが、出来上がりはどうだったか思い出せない。



   うんち

「ママー、ちょっときてぇ」
 マーがトイレで呼んでいる。
「なぁに」
 私がトイレに行くと、マーは便器の前の部分に跨って、縁に手を付いている。
「ばぁちゃんじゃないの。ママー、ちょっときてぇ」
「ママだって。ばぁちゃんじゃないって」
 と、キッチンに声を掛ける。
 ママが、夕食後の片付けの手を止めて来た。
「なぁに」
「ねぇママ。なんでうんちはくさいの」
「食べ物をいっぱい食べるでしょ。栄養が体に入っていって元気の基を作るよね。後のいらない物は、うんちやおしっこになって出てくるのよ。いらない物だから臭いの」
「きりんさんも、うんちするの?」
「するよ。だって、しなかったら、おなか痛くなってしまうもの」
「ぞうさんも?」
「そうよ、像さんもよ」
「らいおんも?」
「ライオンもよ。ね、マーちゃん、うんち出た?」
「ん。でた」
「そうしたら、トイレットペーパーで拭こう。後ろから前へ。そうそう。紙に汚れが付いている? 付いていたら、もう一回拭こうね」
「ママ、いい」
「うん。後はパンツとおズボンを履いて。お水を流して、お手てを洗ってよ」
 ママは、ある程度まで見届けると、キッチンへ戻って行った。

「マーちゃん、うんち出たの?」
 私が声を掛けると、マーが笑顔で言った。
「いっぱいでたぁ」



   黙秘

「入園拒否だな。何聞かれても黙秘なんだ。かと、思うと、口パクだし」
 パパが半分笑いながら言った。
「マーちゃん、好きな食べ物は何って、聞かれた?」
 私の問いにマーは答えない。
「ウルトラマンのう……えーと……」
 などと、こちらの問いとは関係ないことを呟きながら、うろうろと動き回る。
 来春の、幼稚園入園希望者の親子面接が今日あった。タカの時の経験からどのようなことが聞かれたりするか、数日前から家族間で話題になっていた。
「ね、園長先生は『食べ物では何が好きですか』って聞いたよね」
 と、ママが、去年の親子面接を思い出してタカに聞いた時、
「タカちゃんねぇ、ぶどうっていった」
 と、タカが言うと、
「ボクも、ぶどう」
 と、答えていたマー。だが、親子面接では一言も発しない。その他の問いには、聞こえるか聞こえないか分からないような小声だった。と、パパが言う。
「マーちゃんは、慣れれば大丈夫なんだものね。大丈夫、幼稚園に行けるからね」
 と、ママが言った。
 マーは、タカと二歳違いだが、食べ物の量は同じだ。
 二年の違いは、物事の判断や知恵、体力、動作の違いがあって当たり前だが、対等に渡り合いたい気持ちでぶつかっていく。
 タカも手加減をしないところもあって、見ていないと危険なことも多々ある。
 妹のミユを「可愛い」と言いながら、意地悪をすることもある。幼稚園に行くようになれば、また、変化することだろう。



   家族

「じいちゃん、あした、おしごと?」
 夕食の食卓に着いて間もなく、タカがじいちゃんに聞いた。
「休みだよ。タカちゃんも幼稚園休みだろ」
「うん。どうしておしごとするの?」
「お仕事してお金もらわないと、なにも買えないでしょ。パパも毎日お仕事して、みんな御飯食べられるんだよ」
「ひたちじいちゃんは、おかねもちだよ」
 タカとマーは、ママの実家の地名からママの両親を、ひたちじいちゃん、ひたちばぁちゃんと呼んでいる。ママが言った。
「何言っているの? ひたちじいちゃんは、いっぱいは持っていないわよ」
 タカは、今度は私に問い掛けた。
「ね、ばぁちゃん。なんでばぁちゃんになったの?」
「タカちゃんが生まれた時からばぁちゃんになったのよ」
 と、答えると、それにママが続けた。
「タカちゃんやマーちゃんが結婚して赤ちゃんが生まれると、ママもばぁちゃんになるわ」
「いちにぃさんしぃごぉろくしち。うちはしちにんかぞくだね。なんで?」
「じいちゃんとばぁちゃんも一緒だから。そのうちによっては、二人だったり一人だったりするのよ」
「リョウくんちは、うーんと、ごにんだ」
 タカは、従兄の家族を思い出して数えた。
「ひたちじいちゃんの家は、ばぁちゃんと二人だね。幼稚園のお友達のエー君ちは、子供が五人で九人家族だって。エー君ママが言っていたわ」
 と、ママ。
「いいわねぇ。育てるのは大変だろうけど」
 私は八人用の食卓を見渡した。
 タカは両手を出して指で数えている。



   折り紙

「タカちゃんが、お腹が痛いって言っています。体温を測りましたら、三十七度五分ありました。お迎えに……」
 タカは少し咳をしていた。幼稚園バスには乗せずに、ママが車で幼稚園に送り届けたのだが、間もなく園から連絡が来た。
 早引けをしたタカは鼻水を垂らしている。風邪の影響でお腹も痛くなったのかもしれない。ママが一枚重ね着させた。
「暴れちゃ駄目よ。静かに遊ぼうね」
 ママは折り紙や千代紙を出し、黄色の鶴を折ってタカに与えた。
「じいちゃんにとまった。あ、ばぁちゃんにとまった。ミユちゃんにとまった」
 タカは折り鶴を大切に扱っていたがそのうち、羽を引っ張ったりして形を崩していく。
「これ、マーちゃんにあげる」
 形の崩れた折り鶴にはマーも興味を示さない。プラスチックのブロックで作ったダンプトラックをテーブルの上で走らせている。
 私はミユを抱いていた。
「ねぇママ。あおのつるをつくってよ」
 タカがママにねだった。昼食の用意をする手を止めて、ママが青色の鶴を折った。
「くちとくちでチュウ、くちとくちでチュウ」
 タカが、黄色と青の折り鶴を両手に持って、嘴同士を何度も接触させている。
「おっぱい、おっぱい、おっぱい」
 マーが合わせるように言った。
「だぁれ、そんなこと言っているの」
 ママがキッチンから叫んだ。
「ねぇばぁちゃん、これつくれる?」
 タカが、折り紙の袋に描かれている図を指さした。蝶、ライオン、ハート。どれも詳しく描いてありそうだ。
 私は蝶に挑戦したが、ついに完成させることが出来なかった。

最新の画像もっと見る