表面(宛名を書く方)の仕様からおそらく大正7年(1918年)から昭和7年(1932年)の間に作られたと思われます。風景にドンと構えるのはやはり鳥海山。
遠景は雄鹿山、すなわち男鹿半島の本山(ほんざん)です。鳥海山はやたら高く描かれていますが意図あってか名前を振ってありません。
その下左から、小サ川、新ハマ、女鹿ハマ、タキウラ(滝ノ浦)、トリサキ(鳥崎)、吹浦とあり、その右端に弥三郎□(最後判読不能)と書いてありますが山の上にあるので鳥海山の弥三郎岩の事でしょうか。
酒田湊の沖に浮かぶのは左にトコシマ、その右ツカミシマ。当時飛島をトコシマといったのでしょうか。またツカミシマとはいったい。その下中央には本間、本間家本邸としたら位置が変。こういったものを解いていくのもまた面白いものです。
(市立資料館に似たような絵があり、解説では現地を見ないで想像で書いたものと思われるとあり、これもそうではないかと思われます。)
最近はどこでも地名が安易なものへと変更されていますが、古来よりある地名は大切にしたいものです。
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