鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

昭和46年発行のアルパインガイドより

2022年07月09日 | 鳥海山

 山と渓谷社のアルパインガイド、現在はアルペンガイドというらしいですが。山と渓谷社は地図、登山ガイドは昭文社のようなものは発行していないようなので山案内はこの程度のようです。うちに昭和の一冊が他にもあったはずなのですが捨てられてしまったようです。山の地図、登山案内などは最新版のみが最新情報ということで重宝され、古いものはほぼ略捨てられる運命にあるようです。本当はこういった古いものが一番貴重で面白いのですが。

 もちろん見るのは鳥海山の項。昭和45年2月発行ですから記事内容は一番新しいものとしても昭和45年のもの。

 このガイドでメインとして紹介されているのが湯ノ台から登り新山、吹浦口へ下山するコース。もう一つが象潟口から登り矢島口へ下山するコース。既に蕨岡口は湯ノ台口にとってかわられています。横堂も巻末の宿泊施設紹介にあるように管理は吹浦大物忌神社の無人小屋で無料宿泊できる小屋と記載されています。横堂は昭和36年の時点では有人の有料小屋として紹介されていましたが10年ですっかり変わってしまいました。それから十年ちょっとで跡形もなくなってしまいます。

 アルパインガイド昭和46年版掲載の鳥海山地図。

 蕨岡大物忌神社の覇権も明治維新の吹浦大物忌神社のうまい立ち回りにより無き者にされてしまいます。旧幕府時代に庄内藩酒井家の庇護を受けたものとして明治政府から忌み嫌われたものとも思われます(そのことを指摘した文書は見たことはありませんが)。修験廃止令、神仏分離令によって廃れ、さらに追い打ちをかけて鉄道線路の吹浦経由の布設、その後のブルーラインの開通。蕨岡大物忌神社を基調とする鳥海登山は姿を消してしまいました。湯ノ台口は自動車道のおかげで今も登る人は多いですが、かつての参拝者が登った蕨岡口は顧みられることもありません。

 昭和38年に国定公園に指定されたものの、この時点ではまだ天幕が張られています。これが今も荒れたままの河原宿の原因です。自然は一度壊すと回復できないのです。

 ※この案内にも「虫穴」は「虫穴岩」とされています。この頃からすでに思い込みによる勝手な地名の変更は行われていたようです。百宅口の入り口大清水はちゃんと"おしず"とルビが振ってあります。


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