鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

続・山と高原地図 鳥海山・月山 2022版

2022年06月30日 | 鳥海山

 昭文社「山と高原地図 鳥海山・月山 2022版」もう一つおかしなところがありました。

 手元にあるのは

1976年版 山と高原地図 鳥海山     執筆者:池田昭二
1986年版 山と高原地図 鳥海山     執筆者:池田昭二
1991年版 山と高原地図 鳥海山     執筆者:池田昭二
1995年版 山と高原地図 鳥海山     執筆者:池田昭二
1999年版 山と高原地図 鳥海山     執筆者:池田昭二
2013年版 山と高原地図 鳥海山・月山  執筆者:斎藤政弘
2018年版 山と高原地図 鳥海山・月山  執筆者:斎藤政弘
2022年版 山と高原地図 鳥海山・月山  執筆者:斎藤政弘
 
2022年版でおかしいと思ったところは次の所です。
 横堂はかつて薬師如来と十二神 将を祀った 箸王子神社の別称で、鎖を伝って降りた所に「赤瀧」があります。『 出羽國一宮 鳥海山略縁起』(安政4 年・1857) には「大同年中、空海参詣ありて赤瀧に権現の霊瑞を感拝して開基し給ひ鳥海山の奥の院とし 赤瀧山霊水寺と琥<」とあります。そこにはいくつかの瀧がありますがその全体を赤瀧と呼びます。その赤瀧そのをご神体とするのが大澤神社です。昭和の中頃まで、雪のない参拝できる間だけ拝殿を設置し、雪の降る前には解体したということです。
 上の地図、青まるで囲んだ所を見るとあたかもそこに神社があるように鳥居のマークが書いてあり、そこに大澤神社があると読み取れます。しかし現在そこには建物はなく、かつてに横堂の建物の在った痕跡のみ(石段)、奥に小さな石の祠があるのみです。この地図を見ながらそこまで行った人はその祠を大澤神社と思い込むか、神社なんてない、と思うかのどちらかでしょう。
 
「1976年版 山と高原地図 鳥海山」では次のように記載されています。
 この当時は横堂=箸王子神社があり、神職も常駐、神社・参籠所として機能していました。ですからこの地図の建物と鳥居の記号は間違っていません。先に紹介した昭和36年の登山案内でも横堂は宿舎として紹介してありました。又地図は下記のようになっています。
 これは横堂から降ったところに大澤神社があると読み取ることが出来ます。そうみれば正解の地図です。
 
 「1986年版 山と高原地図 鳥海山」では鳥居の記号は消えています。この年には横堂の建物は雪崩によって崩壊していますので地名として横堂が残っているだけです。
 
「2013年版 山と高原地図 鳥海山・月山」執筆者が斎藤政広さんに変わっていますが横堂はそのままです。
 
 ところが、2018年版になるとなぜか鳥居の記号が復活しているのです。下の地図をご覧ください。しかも大沢神社としてあります。いったい何の根拠があってここに大澤神社があると記載したのでしょうか。
 また、水呑ノ池から西方、歩くのに注意を要するマークがついた道がありますが今現在そこを見てもとても通行できるとは思えないでしょう。
 
 いずれにしても訂正すべき記載であると思います。ついでにgoogleマップもここの所間違っています。大澤神社として鳥居の記号が表示されているのですから。googleマップも一体何を根拠にしたのでしょう。

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