鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

夢の浮橋

2021年11月17日 | 鳥海山

 源氏物語ではなく、これも鳥海山に関した話です。まずは画を見てみましょう。

 酒田市立光丘文庫蔵 夢の浮橋 巻三 図四十九 「酒田大濱 上寺山伏 柴燈護摩 修行の図」より(画像撮影及び使用承諾取得済) 以下画像同じく

 酒田の大濱(最上川河口海沿い)で上寺即ち蕨岡の僧坊の山伏が護摩を焚き上げている図です。周りにはかなり大勢の人がいます。

 遠くには鳥海山も見えています。

 炎の左上に詩書きがあります。

 「大濱ニテ上寺山伏三十三坊其多遊佐郷散在ノ修験四十人余如図居並柴燈護終ス此所ヨリ川村甚之助ト言参詣之百姓四方ノ村々ニ旗印ヲ立集ル

 護摩終行場所二十間四面也其四方ニ集ル散凢人壱万五千人余」

 (※素人が勝手に注釈してみました。凢は凡、およそ また修行の修に終の字をあてたものでしょう。)

 護摩修行の後、読経した巻名を記したものと大御幣だいおんべいを最上川の河口に流す行(なが巻數かんす)を修している図という説明を他の場所で見たことがあります。


 これは天保十一年の三方領知替えに領民が反対した一揆のあらましを領地替え命令撤回後記録した絵巻「夢の浮橋」の一部です。

 蕨岡は荘内藩主酒井家の手厚い庇護を受けていました。鳥海山の頂上の領有をめぐる矢島との争いに蕨岡が勝利したのもその所以でしょう。その蕨岡の宗徒が領地替え反対の大決起集会を開いた、と現代風にいえばそんなところでしょうか。15,000人もの人を集める力も、又領地替えに反対する人も多かったというのはすごいですね。この夢の浮橋は領地替えが命令が撤回された後、その流れを記憶にとどめるために描かれたものだそうです。

 蕨岡大物忌神社の末社として荘照居成神社があります。太田宣賢の鳥海山登山案内記には次のようにあります。(この当時まだ荘照居成神社とは呼ばれていません。酒井公がそのまま居る成、という意味で居成神社です。)


末社まつしやの稻荷神社は倉稻魂命うかのみたまのみことを祭る弘化元年郡内有志いうし領主酒井氏の本領安堵ほんりようあんどいはひ居成ゐなりちなみて茲に勸請かんぜうしたるものなり左れば其結構かまえ頗る美觀うるはしなり


 祭神は倉稲魂命で稲荷の文字を当ててはいますが稲荷信仰の稲荷ではなく居成だということは蕨岡で伺いました。今、荘照居成神社は転封阻止に尽力した矢部駿河守定謙を祭ったものと言われていますがそれが表になったのは最近の事だそうです。それまでは表立って幕府の咎人を祭ることはできなかったのでしょう。昭和になってから出てきた古文書で矢部駿河守を顕彰したものであることが明らかになったのだそうです。(蕨岡山本坊談)そこまで書いてある案内、紹介はなぜかありません。


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