鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の大蛇

2021年11月19日 | 鳥海山

 十年以上前動画サイトに投稿されたものですが、これに関連して橋本賢助「鳥海登山案内・訂正版」の中にある記事を見てみましょう。


 山荒しの卷の一節

 鳥の海探險  (大正九、八、二十一)

 鳥の海の土手を進む時、先頭に前田君が『ウ、兎!』と云ふが早いか背にしたれ登山嚢を放りなげて驅け出した。『何?兎だ‼逃がすな押さへろ』と吾輩も後を追ふ。いくら走つた所で兎にはかなふ筈がない、とうゝ見失つてしまつた。こうなると後に殘るのは草臥れだけ『アー草臥れた々々々』は御尤も千萬。

 鳥の海は何時來て見てもいゝ眺めだ。直徑及そ五十米、その形稍完全な圓形である。昔、稻倉嶽に靈鳥が住み、時々湖邊に飛んで來ては湖畔に啄んでゐたから、誰云ふとなく湖水は鳥の海。何時か山名にも鳥海を冠するに至つたのだと傳へられてゐる。湖水の水は西北岸の雪に依つて涵養せられ、四時水をたゝへて涸れる事がない。涸れない許りか流れ入る水口があるのに、出口がなくて反對に溢れた事もないと云って如何さま神祕的に考へてゐるが、其の實表面からは蒸發、底からは自然に排水されて水の俣澤に落ちて行く。水はあくまでも綺麗で中央に進むに隨つて冷たく且つ深くなる。ふちを廻ると時々驚いて箱根サンセウウヲが深い方へ逃げて行く。今年は雪が少なかつたと見えて西北岸の雪は畧〻消えつくした、その結果湖水の水が餘程涸れて常には通れない扇子森の下も、樂に通れるので湖水の周圍を廻つて見る。軍隊式に一分閒百十四步速度でやつて見ると一周大凡十五分を費した。

 湖底に龍がゐると云つた所で、文明の今日をれを本氣で聞く人もあるまいが此の邊りまで來た時に大嵐にでも逢ふものなら、一も二もなく龍神樣と、いらない樣の三つもつけて、泣き出しさうな情けない聲を絞り上げ『おー山はんじやう』『道者もはんじやう』とか『六根しやうじゃう』『南無阿彌陀佛』等のお題目を廉賣するのが人情だ、『雷のなる時だけは樣をつけ』は人情の機徵を穿つて餘す所がない。その龍の步いた足跡だと云ふのが湖水の西岸に長くついてゐる。よく見ると一本は陸上に之に平行して他の一本が七間許りも中の方に、半分は水中に半分は陸上についてゐる。成程遙拜所の附近から見下すと龍でも步いたかのやうにたしかに見える。行つて見ると其の所だけが砂利がとれて砂が集つてゐるのだ。さあどうしたものだらう。

第一龍と云ふのは、支那でこしらへた想像動物である以上、實在する筈のものでない。して見ると大蛇の步いた跡か。然し日本内地には靑大將より大きくなる蛇は一種もなく、之とて一間半にもなれば最大限にきまつてゐる。兎角するうち漸く思ひあたつた事がある。先づ湖水の西側にだけついて、其の他につかないのは西側だけが砂利濱で、他は皆岩だからに相違ない。そして外側の足蹟は湖水の水の最も多い時の汀線で、他の一本は左に述べる條件から考察して、大方春先に氷が割れる、それが年々同じ場所だから、この閒に落ちる雪融けの水滴のために出來たものと思はれる。それは第一線に平行してゐる事や、第二線の一方に大岩のある事、冬期閒は今よりもまだ〱水の減る事などから考へてそうである。

そうだ。確かにそれに相違ない。之は大發見をしたものだと感心しながら湖水の中を見つめてゐた。……俄然湖底に光り物がある。兎に角光る。はたりを見ると誰もない、連の二人は向ふの山で、又兎が飛び出したと草臥れもうけをやつてゐる。『そうだ‼之は神樣の下され物に違ひない』と、勿體ぶりをつければつける程よく光る。たしかに金色だ。連の二人の來ないうちに戴いてしまわう。と、そろ〱正根を現しながら、お伽噺の『神の助け』や『金の斧』などを夢見ながら、御苦勞にもヅボンをぬいで光り物のそばまで行つては見たが、疑心暗鬼を生じて武者振ひを禁じ得ない。さあたまらなくなつてバチヤ〱トと陸に驅け上り、大聲をふるはして『オーイ、近てくれイ。』

前田君を後ろに待たせて捨ひ上げたものは何?化物か、寶物か、それとも御神體か、人を馬鹿にするにも程がある。敷島の空袋、糊がとれて長く伸び、黃色な面に日光を受けて居たのだからたまらない、ナーンだ『幽靈の正體見たり枯尾花』にあらで『寶物の正體見たり卷煙草の空』か。


 


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