大正時代の蕨岡大物忌神社拝殿。飽海郡誌に「鳥海山一之王子堂ヲ松岳山ノ半腹ニ建立シ之レヲ大堂ト称シ 」とあるように今も年配の方は大堂社(でどしゃ)と呼ぶそうです。
(龍頭寺ご住職談、蕨岡の先、唐戸岩のお嬢さんもおじいちゃんがそう呼んでいたといっていました。)
この写真は大堂が松嶽山上、現在拝殿跡と呼ばれるところ、四百段の石段を上った所にあったころです。拝殿の裏は広く開いており拝殿の中は現在と異なり奥の扉を開けると鳥海山を拝することが出来るようになっていたということです。よく見ると周りの景色が現在と違うことがわかります。屋根も銅板葺ではなく檜皮葺です。これを現在の拝殿のすぐ近くまで木道を作りワイヤーで吊るして降ろしたそうです。工事は酒田の井上何某が請け負ったと。
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