鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

大堂社・でどしゃ

2023年04月06日 | 鳥海山

 大正時代の蕨岡大物忌神社拝殿。飽海郡誌に「鳥海山一之王子堂ヲ松岳山ノ半腹ニ建立シ之レヲ大堂ト称シ 」とあるように今も年配の方は大堂社(でどしゃ)と呼ぶそうです。
(龍頭寺ご住職談、蕨岡の先、唐戸岩のお嬢さんもおじいちゃんがそう呼んでいたといっていました。)

 この写真は大堂が松嶽山上、現在拝殿跡と呼ばれるところ、四百段の石段を上った所にあったころです。拝殿の裏は広く開いており拝殿の中は現在と異なり奥の扉を開けると鳥海山を拝することが出来るようになっていたということです。よく見ると周りの景色が現在と違うことがわかります。屋根も銅板葺ではなく檜皮葺です。これを現在の拝殿のすぐ近くまで木道を作りワイヤーで吊るして降ろしたそうです。工事は酒田の井上何某が請け負ったと。

 同じ時期に撮影された隋神門。神仏分離前は仁王門と呼ばれ、現在龍頭寺に立つ阿吽の像がここに祀られていました。当時は多くの人が参拝におとずれていた様子が伺われます。
 
 この二葉の写真は大正七年発行の橋本賢助「鳥海登山案内」の扉絵にも使われています。
 
 ※ 大堂社も仁王門も神仏分離前の呼称ですが、その時生まれていなかった人々に今も伝えられているというのはある意味が感じられます。

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