鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

久しぶりに蕨岡へ

2023年10月30日 | 鳥海山

 天気に誘われて以前から気になっていたことを纏めて蕨岡へ。拝殿の前の銀杏は11月の20日頃が紅葉の見ごろらしいです。

 写真がボケています。

 この拝殿はかつては石段を登った山の上にありましたがその以前はまた別の場所にありました。


 蕨岡は鳥海山の南麓にして其丘腹に家居す古來鳥海山上鎭座大物忌神社の拜殿一王子大堂(今は口の宮と稱す)の在る處にして拜殿は丘上に在り(古は丘腹にありしが幾多の變遷を經て明治廿八年今の地に建築せり)以て山上山下一連同體自一社の體裁を爲せり

 ※後段の文章では明治廿ク年となっていますのでここは明治廿九年の誤りとおもわれる。


 「古は丘腹にありしが」とありますが移設前はどこにあったかと言えば現在の拝殿のあった場所にあったのだそうです。上の文章とは合いませんが山本坊さんによれば明治二十九年の十一月三十日に焼失したために山の上に建て替えられたということです。その当時は大堂=でど、と呼ばれていました。この火災のために十一月三十日は特別な日として残されているそうです。(現在拝殿に残されている棟札には明治二十九年五月十一日とあるそうですのでもしかすると山本坊さんの言うのは明治二十八年の十一月三十日かもしれません。それにしても棟札の日にちとはあまりに近いですが焼失したために明治廿九年に再建したことは勝海舟揮毫の扁額の裏に記載されているそうです。)

 ※但し飽海郡誌には、「文政造替ノ大堂ハ安政二年十二月八日炎上シ纔ニ本尊ノミ火中ヨリ出スヲ得 爾後一山建築ヲ計画シ有志寄附金ヲ募集シツヽアリシカ 会々明治維新神仏分離トナリ本地仏ヲ旧学頭龍頭寺ニ下シ更ニ大物忌神社ト称ス 明治十四年国幣中社大物忌神社ノ本殿ヲ鳥海山上ニ定メ後来ノ建物ヲ口ノ宮ト称セラルヽニ及ヒ 其設計ヲ変更シ地ヲ松岳山ニ卜シ一大土功ヲ起シ 明治二十九年五月十二日竣功シ同日遷宮式ヲ挙行セリ」とありますので山本坊さんの思い違いで安政を明治と言ってしまったものかもしれません。

 勝海舟揮毫「合六満光」、光六合に滿つ。六合(りくごう)とは天地、東西南北、乃ち宇宙。日本書紀天岩戸由来。

 まだまだ話は続きます。

 この石段を四百段近く上ったところに以前の拝殿はありました。


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