鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

稲倉岳には何かがいる

2020年01月21日 | 鳥海山
 御浜から見るとすぐに行ってこれそうなのですが、これがどっこい。藪漕ぎあり、蟻の門渡しなどの危険箇所あり、近年このルートを歩いた人は聞いたことがありません。
 亡くなった父はかつて鳥海山の測量で山中をあちこち歩き、このルートから稲倉岳頂上まで何度か行ったという事でした。頂上は広いところだ、といっていました。三角点があるくらいですから、かつては無雪期にも登られていたのですね。今はわずかに積雪期、奈曽渓谷経由で登る人がいるくらいです。
 いずれも御浜から望遠で見おろしたところです。途中までは踏み跡らしきものが見え、行けそうなのですが。
 それにしても蟻の門渡しとはいい名前ですが、ジャンダルム と名付けられた岩稜もあります。岩稜にジャンダルムなんてカタカナ名前の外来語をつけたのは明治のころの西洋かぶれの登山に目覚めた学生でしょうか。日本アルプスという命名も良いとは言えません。南アルプス市と名付ける自治体、住民も自分の住む所の伝統も文化も持たない日本に住む人ではないのでしょう。キレットだって外来語だろうって?あれは日本語です。

 稲倉岳をもう少し全体でみるとこんなもっこりとした山です。
 この稲倉岳、羚羊、熊がいるとはいいますが、そのほかに何か恐ろしいものがいるともいわれています。噂では聞いたことがあるのですが、文字になったものとしては度々紹介している、畠中善弥さんの「影鳥海」の中にその一節があります。鳥海山の怪という一章の中にそれががありますので少々長いですが、現在では入手不能という事もありますのでその全文を紹介させていただきます。

岩窟の怪
 
 「ガイドのSさん(注:本では名前が書いてありますがここではSさんとしておきます。)は鳥海の秘境として名ある稲倉岳東からの深谷へ入った。御浜(七合目)からは足元近く見える所であるが思いの外時間がかかる。深谷への下りは生やさしいものではなかった。蟻の門渡しの嶮を鉄鎖に縋り、丈余のイタドリを縫うと間もなく水浸しの岩石が続いて、苔むす岩の下りになっており、やがて東面に御滝が見えてくる。神代を思わせるような古峰が連なって中間から落下する御滝は恐ろしいまでに、静寂な谷間の掟を破って、異様な響きを与え、時折稲倉岳に出現する羚羊の跳躍によって起こされる岩崩とともに、木霊は木霊を呼ぶ。御滝は奈曽川の源流をなし、その下方には白糸の滝が展開する。
 Sさんは御滝の前に立ち見惚れていたがやがて意を決したものの如く、滝寄りの断崖を徐々に登って行った。それは前々からこの断崖を一度物にしてみたい望みを持っており、又若いものにあり勝ちな冒険心も手伝って結構に至った。もちろん岩登りの素養はないが永年のガイドで鍛え上げた根性がそうさせたものらしい。強引といえば強引な仕業である。登りは所々草付きもあって灘場の援けになったが、思いの外至難な登攀にSさんは少なからず自信を失っていた。後悔に似た感情が往来した。滝の飛沫は思い出したように時々襲来してSさんを苦しめた。下を見おろすと今でも滑り落ちそうな錯覚にとらわれもした。それでもSさんは徐々に必死になって登った。最後のあがきで悪場を乗り越えて滝野落ち口側に登りつき安全な所へ腰を下ろした時は全く命拾いしたような安心感をしみじみ味わった。一息ついて帰りがけ岩を登って間もなくの所に洞窟を見付けた。何の気なしに入り口に近づき暗い中を覗きこんだSさんは.愕然として顔色を変えたまましばし棒立ちになったのである。確かに洞窟内に生物が潜んでいる気配がする。然しその生態は掴めない。正に鬼気迫る恐ろしい圧迫感を全身にうけたのであった。一瞬五体が凍り付くような寒気に襲われ、それが恐怖感となって、全身のふるえは止まらなかった。早くここから逃れようと焦っても足は少しもいう事をきかず全く遅々たるものだった。岩を登り、隈笹をかきわけ根の限りを尽くしてようやく御浜宿舎に辿りつくまでは相当時間がかかった。確かに洞窟内に怪物がいると、ガイド達に後日話したが、触らぬ神に祟りなしとて誰もそこへ行ってみようと言う人はいなかった。洞窟の生物は果たして何?今なお御滝の洞窟付近は神秘の中にある。
 この山の伝説にピントを合わせると殆ど大蛇になってしまうのが通例である。」

 こういったところを降り、登ったのでしょうか。
 これは昭和五十一年に発行された本ですが、その後この場所へ行ってみたという人の話は聞いたことがありません。


 おまけに山頂の遠望ですが、緑に覆われた山を突き破って新山が現れたのがよくわかります。

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