鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

天気につられて

2023年10月26日 | 鳥海山

 天気につられて午後から登らないまでも紅葉を見ようとコンビニでお菓子と飲み物買って一走り。

 貝型雪渓は完全に消えてしまったようです。

 誰もが撮影する鶴間池。かつての名前弦巻池の方が良いと思いますけどね。弦巻という名は外輪から見た時、武具の弦巻に見えるから。この奥に小鶴間と呼ばれる少し小さな池が連なっています。なので弦巻。

 ちなみに千蛇谷は明治以前は千歳ヶ谷(さんざいがたに)、後に仙者谷。千蛇谷と言えば古文書の熔岩が大蛇の如く流れたとある所から来たと考えそうですが千蛇と書くようになったのは昭和の話です。千歳はおそらく仏教からきている命名だろうと思います。

 ついでに虫穴は昔から虫穴で虫穴岩と書かれたものは一切記録にありません。但し、山頂の境界争いでは矢島側では虫穴を蛇石と呼んでいたそうです。地名について書いたついでにもうひとつ、七五三掛連嶺に(しちごさんれんれい)と仮名を振ったものも見かけますが七五三は「しめ」と呼びます。ここから先は聖域なので、注連を新しいものに代えて、古い注連は木に掛けることから七五三掛(しめかけ)。七五三掛連嶺は(しめかけながね)と呼びます。

 同じところから遠望する大崩れの跡。

 そこから少し離れて見える屏風岩。’76年の池昭版山と高原地図附属の案内には「鳥海山随一の六級岩場、いまだに二登しか果たされていない」と書かれた見事な柱状節理。近くで見たいところですが今では道も荒れてそこまで行けるかどうか。車がスタックしたらもう帰ってこれませんので。

 昭文社、池昭版山と高原地図より該当部分。現在の山と高原地図には載っていません。

 屏風岩の辺り、鹿俣という名前があちこち見られますが山の地名で鹿の付くところはおおきく崩れた地形をあらわすのでここもそうかもしれません。それに俣とつくところは沢の合流する所。月光川ダムのある三ノ俣は西ノコマイ、中ノコマイ、南ノコマイの合流するところです。

 上の地図で荒木沢と書いてあるところはアラキサワとは言いません。アラキソと呼びます。沢をソと呼ぶのは檜ノ沢(ヒノソ)、白沢(シラソ)、ビヤ沢(ビヤソ)と結構あります。ビヤソなんていうのはどこからきているのか不明です。鳥海山の地名、調べるとかなり面白いです。

 おまけ:山の地名で猿はザレが転化したところ、崩れた地形です。倉、平は崖。平だから平坦な地だと思いそうですけど実は崖。吹浦大物忌神社のあるところの地名は布倉(ぬのくら)、吹浦の古い名かもしれませんがもしかしたら崖が布状に続いているところからきているのかもしれません。


コメントを投稿