鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

昭和三十年、香川から酒田への旅

2021年11月26日 | 兎糞録


今日(四日)十二時頃無事酒田につきました。
三十時間の汽車の旅で顔手足、すべて真っ黒でした。旅館につきすぐ風呂に入りどうにか人間的生活にもどれた様な気がしました。
大阪から私達学生ばかり乗せた汽車は三日の十時頃出発しました。車内は学生ばかりなのでとてもにぎやかで全々退屈しませんでした。たゞトンネルの多いのにはうんざりしました。車窓から見た山又山にかこまれた裏日本の風景は民家がぽつん/\とあるのみです。その家も香川県のようなかわらぶきではなくわら屋根でずいぶんかわった形で雑誌らでみうける雪国の家を思い出せばぴったりでしょう。
福井県に入ると日本海の岸辺を通りました。夕陽にてらされて水平線がとても美しかったです。山間を通る為汗は全々出ませんでした。夜は寒いほどです。
酒田に着くと酒田の人の歓迎はものすごいです。食事にくばられるおはしにまで歓迎全国陸上大会と記してあり町には歓迎と記すアーチがいたる所にあります。
駅前には小学生等が日の丸の旗を持って迎えにきてくれたのには感激しました。


 昭和三十年八月、第八回全国高校陸上競技選手権大会が酒田で開催されました。大会に参加したある女子高校生が郷里の友人に送った文面です。六十七年も前のものですが、今の人の書く文章よりもはるかに生き生きとしています。
 トンネルに入る直前に汽車の窓を閉めるのですが、それが間に合わないと蒸気機関車の煙が車内に入り込んできてみんなの顔が鼻の頭を中心にして真黒くなります。こんな窓だったでしょうか。

 なんだかあの頃の汽車の社内の臭い迄よみがえってきます。
 昭和三十年、わら屋根がまだまだいっぱいあったんですね。裏日本、まだこの頃はそう呼ばれていました。そういえば山陰地方を北陽地方に言い換えようなどという動きもありましたがいつのまにか消えてしまったようです。地名は無理やり言い換えない方がいいのです。


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