鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山登山案内記 太田宣賢

2021年09月22日 | 鳥海山

 「鳥海山登山案内記 太田宣賢」この本の現物を捜しているのですが未だ出会っていません。かろうじて国会図書館にはありました。コピー申請できるのですが、当初誤って表紙、目次等のみ依頼してしまいました。改めて全文コピー依頼するとこれは却下。著作権が消滅していないため1/2以上のコピーは出来ないのだそうです。まあいいか、と思い放置していたのですが思いなおし、先日再度1/2を超えないようにコピー依頼してみました。先ほどコピー完了、送付の知らせが来たので楽しみです。

 太田宣賢氏は蕨岡宿坊の方、かつて蕨岡というのは独特の社会だったようです。周辺とは話す言葉も異なっていたとも聞きますし、宿坊でない者との身分差もあったとも聞きます。神仏分離令による蕨岡社会の変遷については偉い先生方も触れていません。今も宿坊の名前は残っていますが宿坊として最後まで宿坊として営んでいたのは般若坊さんだそうです。消えてしまった宿坊の方はあちらこちらへと新しい生き方を求めて去っていったようです。

 ついでながら、鳥海山の麓には開拓部落が結構ありますが地元の方がそこで開拓農家として入植することはほぼないようです。その理由は、さあ考えてみてください。なるほどなあと思ってしまいます。

 前置きが長くなりましたが「鳥海山登山案内記」の奥付です。

 発行所の筑後町の白善書房。筑後町は今の相生町、近年までありました。記憶では昭和の頃は教科書販売もやっていたようです。大正年間は出版、絵葉書の発行も行っていました。

 目次がありますのでご覧ください。ページ数は省略します。中を読んでみたいですね。



鳥海山登山案内記

目次

息海山の位置及沿革
息海山上鎭座大物忌神社御祭神
歷朝御崇敬の事歷并公卿武將の崇敬事歷
社格
蕨岡及口の宮
交通
登山及夫人の登山
高山植物
御寶物
口宣位記
蕨岡文學
大日本出羽國飽海郡莊内鳥海山記并序
   歌
   俳句
   詩
   雜

目次 終


 そういえば、蕨岡宿坊出身の松本良一氏の「鳥海山信仰史」のあとがきにも興味ある記述があります。


 前述以来の鳥海山信仰白衣登拝道者は、昭和年代まで続いた。大正末期、私は学生アルバイトとして夏休み「先達」=「山案内人」として働いた。当時同年輩で先達された矢嶋原田房次氏、小瀧遠藤蔵之助氏(龍山寺)吹浦長谷川芳彦氏(大物忌神社宮司)には色々口伝と資料をいただいた事に感謝する。

 当時は、道者一人につき三十銭の先達料だったが宿坊の長男でない私は、それをいただく資格がなかった。三才から修行された「先達」でないからである。頂上まで三十三拝所に「おがみ」をあげて各拝所一銭宛三十三銭が収入だったと記憶している。これは伝統の名残りとも考えられる。


 長谷川宮司にもいろいろと伺っておけばよかったと思います。


コメントを投稿