goo

ヘンリー王子&メーガン妃が窮地かも?


1/12(金) 21:20配信



ヘンリー王子の回想録『Spare』の出版から、約1年が経過した。驚愕の暴露話満載の回想録は大いに話題になり、その内容は連日テレビや雑誌、ネットを騒がせた。しかし、 あれほど衝撃的な暴露をしたにもかかわらず、イギリス王室の在り方やしきたりにほとんど影響がなかった。王室は防備を固めて前進し、チャールズ国王の戴冠式は大成功と称賛された。そしてヘンリー王子とメーガン妃に対しては依然として賛否両論が続いている。




 『Spare』は世界各国でベストセラーとなったが、ヘンリー王子とメーガン妃のビジネスベンチャーは低迷し、あらゆる角度から批判を受けた。そんな2人は2024年新たな章の扉を開かなければならない。 


ロンドンを拠点にするライターで、『ハーパーズバザー』の王室担当編集者であるオミッド・スコビーは、王室の内情を暴露した著書『Endgame』で、「サセックスというブランドは2023年始めにはドラマと同義語になってしまった。ビジネスの契約を結ばねば、という焦りの気持ちから、後先考えずにふたりは決断を下したため、今、窮地に立たされている」と断言した。 


さらに、 イギリスの世論調査によると、ふたりの人気は衰える一方で、かつては非難されていたカミラ王妃より著しく嫌われている。取り戻さなくてはならないものが多々ある中、2024年は彼らにとっていい年になるのだろうか?




彼らが現状を吟味し、新たなアプローチをしようとしている兆候はある。メーガン妃は昨年11月に行われた『Variety』 誌のイベント『Power of Women』で「来年はワクワクする予定がたくさんあります」と述べた。しかし、具体的な活動内容には触れなかった。 


スコビーは著者『Endgame』で、メーガン妃の活動は「より親しみやすいもの」になると綴った。彼らは現在、SNSを滅多に活用せず、メディアに姿を現すことも極めて少ないため、今年は新しいコミュニケーション方法に挑戦するかもしれない。 


夫妻のウェブサイトは昨年11月9日の更新を最後に、アップデートされていない。しかし、『People』誌は「サセックス夫妻はホームページのリニューアルを検討している」と報じており、SNSではなく、独自のシステムを通じて支持者たちとのコミュニティ作りを検討しているのかもしれない。


 昨年は暴露本を発表し、派手な1年のスタートをきったヘンリー王子とメーガン妃。多方面に影響を与え、世間を賑わせたふたりに、どんな1年が待っているのだろうか。

from Town and Country Mag.com

【関連記事】














歴史は繰り返す。それとも……? 英王室を揺るがした2人のアメリカ人女性、メーガン・マークルとウォリス・シンプソンの類似点を探る。

BY NAOKO OGATA公開日:2024/01/12



ともにアメリカ人女性で離婚歴があり、元セレブのファッショニスタ、王室離脱を促す、など時代は大きく違えど似ているところの多いメーガン妃とウォリス・シンプソン。王室離脱から早4年、メーガン妃がヘンリー王子と目指す先を占うべく2人のドラマな人生の類似点を比較してみよう。




1

アメリカ人である


ウォリス・シンプソンは1896年、米ペンシルベニア州でベッシー・ウォリス・ウォーフィールドとして生まれた。彼女の父親は穀物商を営む裕福な一家の出だったが、彼女が生まれてから数か月後に結核で他界。ウォリスと母親アリスはボルチモアのに引っ越し、亡き父親の兄から援助を受けて暮らしていた。


歴史家のフィリップ・ジーグラーは、ウォリスの幼少期について「しみったれた貧困」だったと述べており、彼女は「友人たちが自分よりいい服を着たり、贅沢な休暇を過ごす余裕があることに憤りを感じていた」という。
写真/母親アリス・モンタギューに抱かれる生後半年のウォリス・シンプソン。






メーガン・マークルは1981年に、米カリフォルニア州ロサンゼルスでレイチェル・メーガン・マークルとして誕生。


父親トーマス・W・マークルはオランダ・アイルランド系、母親ドリア・ラグランドはアフリカ系アメリカ人というミックスレース(混血)だ。


両親はメーガンが2歳の時に別居、6歳の時に離婚が成立。以後、メーガンは母ドリアの元で暮らすことに。


ドリアはヨガのインストラクターやソーシャルワーカーとして働き、一家の生計を立てた。


メーガンには異母兄弟のサマンサ・マークル、トーマス・マークル・ジュニアがいる。

写真/母親ドリア・ラグランドに抱かれる赤ちゃん時代のメーガン・マークル。





2

離婚歴がある


ウォリス・シンプソンはその生涯で3度の結婚を経験している。1人目は海軍パイロットのウィン・スペンサーで、2人は1916年に結婚し1925年に別居、1927年に離婚が成立している。2人目の夫でハーバード大学卒業生のアーネスト・シンプソンとは離婚成立前に出会った。アーネスト側も既婚者で、彼は1928年に最初の妻ドロテアと離婚してウォリスと結婚する。


アメリカとイギリスの両方にルーツを持つアーネストは学位取得後に米国市民権を放棄。父親と一緒に英国の海運業で働き、ウォリスにロンドン上流社会へのアクセスを与えた人物だ。後述するが、ウォリスがデヴィッド王子(エドワード8世)と出会った当時、2人はまだ婚姻関係にあった。

写真/ウォリス・シンプソンの2番目の夫アーネスト・シンプソン。





メーガン・マークルはヘンリー王子と知り合う前、自分より5歳年上の映画プロデューサー、トレヴァー・エンゲルソンと結婚していた。


2004年、まだ俳優として駆け出しだったメーガンはトレヴァーと交際を開始。7年間交際して2011年にゴールインしたが、その2年後「和解しがたい不和」を理由に離婚した。


その時期、メーガンはドラマ「SUITS/スーツ」のメインキャストに抜擢され、撮影で単身カナダに移住。遠距離になったことや、お互いのキャリアのずれ(メーガンは売れっ子に、トレヴァーは停滞気味)が離婚原因だと考えられている。


王室伝記作家アンドリュー・モートンは『Meghan, A Hollywood Princess(原題)』の中でメーガンが一方的に離婚を決め「結婚指輪と婚約指輪を書留でトレヴァーに送り返した」と述べている。

写真/メーガン・マークルと最初の夫トレヴァー・エンゲルソン。2011年撮影。





3

友人の紹介で英王子と知り合った


ウォリス・シンプソンは1931年、35歳のときに友人コンスエロ・ソーの妹テルマ・ファーネスの週末パーティーで英皇太子だった37歳のデヴィッド王子(エドワード8世)と知り合ったと言われている。


プレイボーイで知られたデヴィッド王子は人妻だったテルマと愛人関係にあったが、ウィットに富んだ会話に長け、不思議な魅力をたたえたウォリスにたちまち心を奪われてしまったという(ちなみにウォリスも2番目の夫であるアーネスト・シンプソンと結婚しており人妻だった)。






一方、2016年にメーガン・マークルとヘンリー王子を引き合わせたのは2人の共通の友人であり、「ラルフ ローレン」のPRをしていたヴァイオレット・フォン・ウェステンホルツだと言われている。彼女の父親ピアース・フォン・ウェステンホルツ男爵はチャールズ国王の友人だ。


幼なじみのヘンリー王子から「出会いを見つけるのが難しい」と相談を受けていたヴァイオレットは、仕事を通じて知り合ったメーガンが王子のお相手としてぴったりだとひらめいたそう。ヘンリー王子はNetflixドキュメンタリー「ハリー&メーガン」で、インスタグラムでメーガンが友人とふざけ合う動画を見た時からピンときた、と語っている。


メーガンとヘンリー王子はインスタグラムでメッセージを短期間やり取りしたあと、ロンドンで2人きりで会い、すぐに交際がスタートした。








4

“王冠を賭けた恋”


1931年に出会って以来、数年に渡って愛人関係が続いていたウォリスとデヴィッド王子。王子はウォリスにぞっこんで、高価な宝石を贈ったり、贅沢な旅行に連れて行ったりしていたという。


1936年1月20日にジョージ5世が亡くなると、デヴィッド王子はエドワード8世として即位。当然のように、エドワード8世はウォリスを自分の妻にと望んだが、それはイギリスに憲法上の危機を引き起こすことになった。


ウォリスは離婚歴があり、2番目の夫とも未だ離婚手続き中。2人の結婚は政治的、道徳的、社会的にふさわしくないとして、母メアリ皇太后もイギリス政府も英国国教会も反対したのだ。


政府と報道界との期限付き“紳士協定”によって長く伏せられていた関係が公に明るみになった1936年12月、「王位か、ウォリスか」を迫られたエドワード8世は、王冠を脱ぐことを決意。12月10日に退位文書に署名を行い、弟のジョージ 6 世が王位を継承した。


エドワード8世はラジオ放送で「愛する女性の助けと支援なしでは、責任の重荷を背負い、国王としての責務を思うように遂行することは不可能だとわかりました」と語った。エドワード8世の治世はわずか11カ月。自発的に王位を放棄した最初の英君主となった。


1937年5月にはウォリスとアーネスト・シンプソンの離婚が成立。ウォリスとエドワード8世は同年6月3日にフランスのカンデ城で20人の参列者に見守られながらひっそりと結婚(王室メンバーは1人も参加しなかった)。ウォリスはウィンザー公爵夫人となり、エドワード8世はウィンザー公となった。

写真/どこか愁いを感じさせるウォリスとエドワード8世のウエディングポートレート。1937年6月3日撮影。





今から4年前の2020年1月8日、サセックス公爵夫妻は自分たちのインスタグラムを更新し、「何カ月にもわたる熟考と内部での話し合いの結果」として、王室の上級メンバーから退くことを発表。経済的自立を目指しながら新しい慈善団体の立ち上げなど、次の章に集中していく、という自分たちの決定を明らかにした。


次期英国王のウィリアム皇太子にはすでに3人の子どもがおり、ヘンリー王子がイギリス王になる可能性は低くなっているとはいえ、王位継承順位はいまだ第4位。新時代の英王室を支えるメンバーとして役割が期待されていただけに、結婚2周年を待たずしての王室離脱宣言は大きな衝撃となった。


このニュースに騒然となったのは世間だけではない。王室メンバーも事前に知らされていなかったと言われており、高位メンバーで緊急会合を行うなど大わらわ。その後、王室とサセックス公爵夫妻の間で一定の合意に至ったとして、故エリザベス女王とバッキンガム宮殿がそれぞれ夫妻の王室離脱を支持し、同時に「殿下」の称号が今後使用されなくなる、という声明文を後手で発表することになった。


後にヘンリー王子はオプラインタビューや回顧録『SPARE』の中で、王室離脱を決意したのはメーガン妃が英国のマスコミから度重なる攻撃を受けていたこと、それに対して王室が何もしてくれなかったことが理由だとしている。







5

結婚を機に世界で最も有名な女性に


すでにソーシャライトとしてロンドン社交界で名を馳せていたウォリスだが、彼女の名前が世界中で知られるようになったのは、エドワード8世との関係が明るみになってから。


米『TIME』誌は1936年、「世界で最も話題になり、書かれ、見出しを飾り、関心を引く人物となった」として、彼女を「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選んでいる。







ドラマ「SUITS/スーツ」の成功で、人気ハリウッド俳優の仲間入りをしていたメーガン・マークルも、ヘンリー王子と噂になるまではA級スターのような知名度はなし。


同じく米『TIME』誌はメーガンがヘンリー王子と成婚した2018年に、「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に彼女を選出した。

写真/2021年には米『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」にカップルで選ばれたサセックス公爵夫妻。








6

きょうだい仲を悪くさせた


幼い頃には口論することもあったが、成人してからは良好な関係を築いていたと言われているエドワード8世と弟ジョージ6世。


しかし1936年、エドワード8世がアメリカ人で離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚するために、即位からわずか11カ月で退位するという決断をしたことで、2人の仲は決裂。王室作家アレクサンダー・ラーマンによると、信頼していた兄の勝手な行動はジョージ6世にとって「個人的な裏切り」とみなされていたという。


エドワード8世の退位後、2人が会ったのは数回だけであり、1949年にジョージ国王がウォリスに「殿下」の称号を与えることを拒否したことで、関係は完全に破綻したと言われている。






こちらも、もはや修復不可能か?!と言われるほど兄弟仲がこじれてしまっているウィリアム皇太子とヘンリー王子。


母ダイアナ妃が亡くなった後は、2人でトラウマを乗り越え、ウィリアム皇太子の妻キャサリン妃も交えて、3人でメンタルヘルスの啓蒙活動などを積極的に行っていたが、メーガンがやってきてからは明らかに不穏なムードに。


初めは一緒だった事務所を分け、慈善事業も分割。サセックス公爵夫妻が王室を離脱してからは、(すくなくとも表向きには)絶縁状態が続いている。


ウィリアム皇太子夫妻側はノーコメントを貫いているが、ヘンリー王子は自身の回顧録『スペア』や、2021年のオプラインタビューをはじめ、さまざまな場面でウィリアム皇太子やキャサリン妃がメーガンを侮辱し、一貫して冷たく当たってきたと主張。それがきっかけで確執を抱えていることを認めている。








7

王室離脱後は海外で暮らした


ウィンザー公とウォリスは退位後は国外に亡命し、海外を転々としながら、主にフランスで暮らした。


第二次世界大戦中にバハマ総督を5年間務めた後は、特に新しい任務を与えられることもなく引退し年金生活に。


1952年からはパリのブローニュの森にある14部屋の邸宅(後にこの屋敷を手に入れたエジプト人大富豪モハメド・アルファイドによって「ヴィラ・ウィンザー」と名付けられた)を市から借り受け、生涯をその場所で暮らした。


ウィンザー公は1972年5月28日、ウォリスは1986年4月24日にパリの自宅でその生涯を終えた。2人はウィンザーのフロッグモアの王室墓地に隣り合って埋葬されている。






メーガン妃とヘンリー王子は2020年1月に英王室からの離脱を発表。イギリスと北米を行き来しながら「経済的自立を目指していく」と決意を明らかにした。


2人はカナダに短期間滞在後、妃の母国アメリカ合衆国に移住。現在は米カリフォルニア州サンタバーバラ郊外モンテシトに購入した邸宅で暮らしている。


オミット・スコビーの暴露本『The Endgame(原題)』によると、メーガン妃は「2度とイギリスの地を踏みたくないと思っている」という。


公務を離れた2人が現在注力するのは息子の名前を冠したチャリティ組織「アーチウェル・ファンデーション」を通じた、数々の慈善活動や、ヘンリー王子が長年取り組んでいる負傷軍人のためのスポーツイベント「インヴィクタス・ゲーム」、そして制作会社「アーチウェル・プロダクション」を通じてのメディアや出版を通じての広報活動だ。







8

回顧録を出版した


ウォリス・シンプソンは1956年、その10年前にウィンザー公の回顧録『A King's Story(原題)』のゴーストライターを務めたチャールズ・マーフィーに協力を仰ぎ、自叙伝『The Heart Has Its Reasons(原題)』を上梓している。


幼少期の生い立ちや2度の結婚、デヴィッド王子との出会いや、結婚後の国外生活について語った中で、ウォリスは「君主制の原理には何か冷酷で非人間的なものがある」と綴っている。






メーガン妃の回顧本出版についてはこれまでもメディアで噂されてきたが、最近になってその可能性について大きく取り沙汰されるようになっている。


サセックス公爵夫妻は米出版社ペンギン・ランダム・ハウスと4冊の本を出版する契約を結んでいると言われており、これまでに既に出版されているのは2021年のメーガン妃による児童書『The Bench』、2023年1月のヘンリー王子の回顧録『SPARE』の2冊。


現在、3冊目として健康に関する本が共同執筆中と言われており、最期の1冊がメーガン妃の回顧録になるのではないか、と予想されている。


メーガン妃の友人ジャーナリスト、オミット・スコビーが書いた暴露本『The Endgame(原題)』が昨年末、英王室に一大スキャンダルをもたらしたことは記憶に新しい。


もし、メーガン妃が本当に回顧録を出版することになれば、たとえそこに何が書かれていようと、大きな話題になりそうだ。


















メーガン妃も驚愕!? プレゼントの包み紙は再利用。洋服は擦切れても着続ける

BY NAOKO OGATA公開日:2023/11/29


絢爛豪華な宮殿を住まいにして、大勢の侍従を従えるイギリス王室。そのイメージは今日においても華やかでゆるぎないものだけど、実は現役ロイヤルメンバーたちの普段の暮らしは意外にも慎ましく、シンプル! これは“自分たちはセレブではなく国民への奉仕者である”という自戒にも見て取れるが、メーガン妃はイギリス王室の実態に「イギリスの君主制はお金に溢れているわけでも、無敵の高級ロールスロイスマシンでもない」と知り、驚愕して失望したと言われている。


ここでは倹約の女王として知られていた在りし日のエリザベス女王の経費節減エピソードをはじめ、英ロイヤルたちの徹底した倹約術をご紹介!


1

宮殿内の照明スイッチは自ら消す(エリザベス女王)





故エリザベス女王の節約ぶりを表したエピソードとしてよく知られているのが、バッキンガム宮殿内での省エネ対策だ。


英国君主の公邸であるバッキンガム宮殿は775部屋もあり、建物全体で約4万個の電球が使用されていると言われているが、エリザベス女王は40ワット以上の電球の使用を禁止。


部屋を使っていない時には照明を消すようにスタッフに通達し、自ら宮殿内を点検して回ったこともあったという。



2

電気ヒーターで使っている部屋だけを暖める(エリザベス女王)




エリザベス女王は自分の使っている部屋を暖めるために、セントラルヒーティングの温度を上げる代わりに、わずか30ポンドの小さな電気ヒーターを愛用していたことでも知られている。


2017年の英国詩人のジリアン・オルナットの謁見の写真では、暖炉の部分で赤く光る電気ヒーターを発見!




3

スーツが擦り切れたら継ぎを当てて着る(チャールズ国王)


先代のエリザベス女王にも増してエコ意識が高いことで知られている英君主のチャールズ国王。皇太子時代にも、お気に入りのスーツを継ぎを当てて大切に着ている様子が何度もスナップされている。



4

同じ服を何年も(何十年も!)着る(アン王女、キャサリン妃)





望めば夢のようなクローゼットを手に入れられるはずの英国王室の人々だが、前述のチャールズ国王よろしく同じ服を長年に渡って繰り返し着用する。


なかでもアン王女は全身同じコーディネートを臆することなく何度もリピートすることで有名だ。写真の毛皮のトリミングが付いたブルーのコートは20代の頃から50年に渡って愛用していると言われている。



一方、同じワードローブでもその時々でさりげなく組み合わせを変えて着回しているのがキャサリン妃。2011年(右)に初登場させた「アレキサンダー・マックイーン」のミリタリーブラウスを、2021年にはパンツに合わせて。


5

きょうだいでお下がりを着せる(ウィリアム皇太子&キャサリン妃夫妻)




着回し上手で知られるキャサリン妃は3人の子どもたちの成長に合わせて、同じ服をお下がりで着せている。2016年のカナダ外遊でシャーロット王女が着ていたネイビーのカーディガンは、2015年にジョージ王子が着ていたものと同じだ。



6

朝食はタッパーウェアに入ったシリアル(エリザベス女王)




過去に英王室のシェフを務めたダレン・マクグラディは『マリ・クレール』誌のインタビューで女王の朝食がとても簡素なものだったことを告白している。


「プラスチックの容器に入った『ケロッグ』のシリアルを直接召し上がっていました。そしてダージリン紅茶を飲んでいました」


「人々は『女王は金のナイフとフォークで金の皿から食べているに違いない』と言います。確かに、時々はそうです……しかしバルモラルでは、彼女はプラスチックの黄色いタッパーウェアの容器で果物を食べていました」






7

残り物はアレンジメニューで食べきる(チャールズ国王)


元王室シェフのキャロリン・ロブはウェブサイトRacked.comのインタビューで、チャールズ国王が食べ残しを嫌い、もし残り物が出た場合でもそれを無駄にすることは無かった、と語っている。


「皇太子(チャールズ国王)は非常に倹約家で、何も無駄にしてはならないと強く信じていました。余ったら何らかの形で使われていましたし、不在だった場合は焼き直して翌日の食事に使用しました」


「子羊のローストを作って余ったら、おそらく次の夜シェパーズパイを作ることになったでしょう」




8

家具はIKEA(ウィリアム皇太子&キャサリン妃夫妻)


2018年、キャサリン妃はケンジントン宮殿の子ども部屋に「IKEA(イケア)」のベッドルームセットを入れたことを明らかにしている。



9

リサイクルショップで買い物する(カミラ妃)





イギリス王妃であるカミラ妃は実はリサイクルショップの大ファンだそう。


2022年にロンドン南部にあるチャリティーショップ「エマウス」を訪問した際に、カミラ妃は「見て回る時間が足りないくらい魅力的です。家具はどれも実用的で、これまでにいくつか素敵なものをゲットしました」と語っている。



10

虫食いシーツをクッションカバーに再生(エリザベス女王)





王室作家アダム・ヘリカーによると、エリザベス女王は大切にしていたロイヤルヨット“ブリタニア号”が1997年に勇退したあと、王室客船のベッドシーツをバルモラル城の主寝室で使うために全て回収。


虫食いの酷いものはクッションカバーに再生させるよう命じたと言う。




11

クリスマスプレゼントは安ければ安いほど良い(エリザベス女王)

WPA POOL//GETTY IMAGES
イギリスの人々の出費が最も増えるのはホリデーシーズンを迎える12月。イギリス王室のメンバーがお互いに贈り合うクリスマスプレゼントはさぞ豪華なものだろうと期待してしまうが、エリザベス女王が家長だった頃、贈り物は安ければ安いほど良い、とされていたとか。もちろん、相手への心がこもっているのはマスト、ということでジョークギフトが伝統に。アン王女はチャールズ国王に白い革製の便座を贈ったこともあったとか。
GETTY IMAGES12

プレゼントの包み紙は来年も使う(エリザベス女王)

歴史家のケイト・ウィリアムスは著書『Young Elizabeth: The Make Of Our Queen』の中で、若い頃のエリザベス女王は自分の受け取ったプレゼントの包み紙やリボンをきれいにシワを伸ばして保管し、再利用していたと明らかにしている。



11

クリスマスプレゼントは安ければ安いほど良い(エリザベス女王)






イギリスの人々の出費が最も増えるのはホリデーシーズンを迎える12月。


イギリス王室のメンバーがお互いに贈り合うクリスマスプレゼントはさぞ豪華なものだろうと期待してしまうが、エリザベス女王が家長だった頃、贈り物は安ければ安いほど良い、とされていたとか。


もちろん、相手への心がこもっているのはマスト、ということでジョークギフトが伝統に。アン王女はチャールズ国王に白い革製の便座を贈ったこともあったとか。



2

プレゼントの包み紙は来年も使う(エリザベス女王)


歴史家のケイト・ウィリアムスは著書『Young Elizabeth: The Make Of Our Queen』の中で、若い頃のエリザベス女王は自分の受け取ったプレゼントの包み紙やリボンをきれいにシワを伸ばして保管し、再利用していたと明らかにしている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする