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税金を節約しようと息子も勘当…デンマーク女王の輝かしい退場

1/2(火) 10:07配信


デンマークのマルグレーテ2世女王とヘンリック王配。ヘンリック王配は2018年に死去した。[中央フォト]



1940年4月16日、デンマーク王室に娘が生まれた。女性の王位継承を認めない別名「サリカ法」のため、王冠をかぶることがなかった王女だ。王女は10代前半まで美術の才能を見せ、イラストレーターを夢見る。


しかし、1953年、サリカ法が廃止され、突然継承序列1位になり、1972年には王冠の重さに耐えるべき女王に即位する。

デンマークのマルグレーテ2世の話だ。彼女が2023年の最後の日、退位の意思を公式化した。「高齢(83歳)でもあり、腰の手術後、健康が悪化し、これ以上重責を遂行できない」という理由だった。 




ニューヨーク・タイムズ(NYT)、BBCなど外信は「デンマーク王室の象徴的存在の退場」という見出しでニュースを伝えた。


2022年に死去した故英国エリザベス2世とは8親等の間柄だ 二人は似ている。


王位を思いがけず受け継いだが、本人の運命を受け入れ、後継者の修業を着実に受けた後、半世紀以上を立派に君臨した女性君主という点からだ。エリザベス2世が他界した後は、マルグレーテ2世が最長寿の女性君主だった。 


マルグレーテ2世は韓国との縁もある。2007年盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府当時、大統領の招請で韓国を訪問し、昌徳宮(チャンドックン)を訪問して「美しい」と感心した。また韓国陶磁器にも大きな関心を示した。


夫のヘンリック王配を2018年平昌(ピョンチャン)冬季五輪開幕式に祝賀使節として送ることにしたが、夫が突然亡くなった。 


英国のように立憲君主制を採択しているデンマークでは、王室は全国民的関心の対象だ。デンマーク王朝は1000年以上の歴史を持っているが、日本に次いで2番目に長い歴史だ。


マルグレーテ2世は王室に対する国民の支持を結集させた人物としても記憶される。マルグレーテ2世の即位当時45%程度だったデンマーク国民の王室支持率は、彼の在位中80~90%以上に上がった。 秘訣は彼特有の厳格さだ。


マルグレーテ2世は予算節減のために即位50周年行事を大幅に縮小し、王室の規模縮小にも先頭に立った。孫たちから王子・姫の称号を剥奪することを昨年3月に決めたのが代表的だ。


次男のヨアキム王子の4人の子供であるニコラス王子、フェリックス王子、ヘンリック王子、アテナ王女の王室称号の剥奪は、彼らが品位を傷つけたからではなく王室規模縮小のためだった。


ヨアキム王子の家族は当時「マスコミ発表の4日前に知った」と怒りを公に表わした。次男一家はマルグレーテ2世に反感を隠さず、ついに米国に移住すると発表した。


デンマーク国民には女王が血肉と勘当しながらも、国民の血税を節減しようと努力した君主として認識される契機になった。


 女王が家族と不和があったのは初めてではない。彼の夫であるヘンリック王配は、自分に対する待遇が息子のフレデリック皇太子より低いとし、しばしば不満を表した。


ついに2017年には女王と同じ墓を使わないと宣言する。マルグレーテ2世はこれといった発言なしに受け入れたという。ヘンリック王配は翌年亡くなった。 


女王本人は気さくな性格という評価を得ている。日常ではジーンズを履くことが好きで、幼いごろの夢だったイラストレーターとしての活動も続けた。1988年にはジーンズ姿で市内の書店に本を買いに行く写真が撮られたりもした。警護員なしで通ったことも何度もある。


そんな彼女がやめられなかった一つがある。それはタバコだ。マルグレーテ2世はヘビースモーカーで有名だ。死亡するまで王位を継承しないと宣言したマルグレーテ2世が今回退位決定を下したのは、健康が一層悪化したためだ。


 彼女は14日、王座から降りフレデリック皇太子に王冠を譲る。マルグレーテ2世は31日の演説でウクライナ戦争など世界問題について言及し、退位決定を突然発表した。


「もう王位の責任を次の世代に譲る時が来たのではないかと考えるようになった」として「長い間私を支持してくれた国民に感謝する」としながらだ。


女性のメッテ・フレデリクセン首相はこの日、「国民を代表して一生国のために献身し、絶えず努力を注いでくれた女王に心から感謝する」という立場を示した。


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最終更新:1/2(火) 13:51中央日報日本語版 













映画ニュース 2018/11/9 19:15






16日間のオセアニアツアーの最終日、ヘンリー王子夫妻はニュージーランド北島の都市、ロトルアを訪問。現地の人々からの歓迎を受け、沿道で握手や挨拶に応じたことが報じられた。


初の長期外遊の締めくくりの装いに、メーガン妃はウェディングドレスをあつらえたブランド、ジバンシィのアンサンブルを選択。ネイビーカラーの薄手の半袖セーターに同色のプリーツスカート、そして定番となったおくれ毛を垂らしたまとめ髪で、ファンとの交流に努めていた。


メーガン妃着用のスカートは、ライトブルー、ネイビー、黒の3色プリーツが美しいデザインだったが、メーガン妃の立ち姿でとんでもない欠点が発覚。

何と脚の形がくっきり確認でき、アンダーウェアのラインまで見えてしまっていたのだ。

あまりにもくっきりと見えるためネット上でも騒ぎになったが、スカート生地は厚手の織物とのことで、アンダーウェアまで見えてしまうのもおかしな話だ。


あるスタイリストいわく、メーガン妃が着用していたような織物素材は、光が当たると目の錯覚を引き起こすらしい。

テレビの画面でチェック柄やストライプ柄の服を見ると、まるで柄が変化しているように見えるのと同じ現象が、メーガン妃のスカートでも起こったというのだ。

つまり、人々の目に映ったメーガン妃のアンダーウェアは「目の錯覚」ということらしい。


しかし一般のネットユーザーからは、

「いや、透けてるから!」

「どんな理由にせよ、実際そう見えてしまってるんだから、公務にはふさわしくないでしょ」

「スタイリストを解雇すべき」

「その前は太ももが見えるスリットだし、王室を別の方向に導いてるみたいだね」と、呆れ声のコメントが続々。


前週の値札が付いたままのスカートと言い、事前のスタッフのチェックがかなりいい加減なようで、またもや要らぬ恥をかかされてしまったようだ。


UK在住/シャオ














ヘンリー2023/09/30/ 11:00



負傷兵士らのための国際スポーツ大会「インビクタスゲーム」の閉会式に出席したサセックス公爵ヘンリー王子(中)とメーガンさん=ドイツ・デュッセルドルフ、2023年9月16日(写真:picture alliance/アフロ)


 長期にわたって確執が続くヘンリー王子と英王室。チャールズ国王と9月17日に和解の会談をするとも報じられたが実現しなかった。英王室が徐々にヘンリー王子夫妻と距離を置き始めている。AERA 2023年10月2日号より。




*  *  *


 9月17日は父と子の会談に絶好の日取りだったはずだ。ロイヤルはそれぞれのスケジュールに合わせて公務に励むが、チャールズ国王(74)とカミラ王妃(76)はその日、スコットランド・バルモラル城での避暑を終えてロンドンに帰っていた。9月20日からのフランス訪問まで2、3日ほど余裕があったのだ。


 一方、ヘンリー王子(39)は、ドイツ・デュッセルドルフでのインビクタスゲームの閉会式を16日に終えた。米カリフォルニア州に戻る前に、ロンドンに立ち寄ることは可能である。父と兄との長年の確執を解消させる、またとないチャンスだった。王室スタッフらが会談の詳細を詰めているとの話も出ていた。



誕生日のお祝いもなし

 ウィリアム皇太子(41)は、夏休みを子どもたちとサンドリンガム宮殿で過ごし16日にロンドンに戻り、18日にはニューヨークに飛ぶ予定だった。彼が創設したアースショット賞は、環境保護を目的にしていて、優れた解決策を提案した5人の受賞者には賞金が与えられる。


今年11月の授賞式を前に皇太子は15組のファイナリストを発表した。今回は皇太子単独だが、シンガポールでの授賞式にはキャサリン皇太子妃(41)も同行する。ウィリアム皇太子も17日は時間が取れたのだ。しかし、話し合いの場が持たれたとのニュースは聞こえてこなかった。


 そもそも9月15日はヘンリー王子の39歳の誕生日だったが、英王室の公式SNSからも、ウィリアム皇太子夫妻のSNSからも、お祝いのメッセージは発表されなかった。


王族は誕生日にはメッセージを送り合うのが慣例だが、昨年はエリザベス女王が9月8日に亡くなって、誕生日どころではなくなった。しかし、その前年までは形式的ではあっても、ヘンリー王子にもメーガンさんにも届けられた。


しかし、今年は夫妻やまた子どもたちにもいっさいなかった。ウィリアム皇太子は、サンドリンガム宮殿に滞在していた15日に、通りかかった人から「今日はヘンリー王子の誕生日です。ご存じですか」と声をかけられた。


皇太子は「ええ、知っています。忘れていません」と答えている。しかし、それだけだった。皇太子はかねてより、「もし和解があるとすれば、それはヘンリー王子の謝罪からだ」と話している。一方、ヘンリー王子は、「王室はメーガンに謝ってほしい」と繰り返す。




 王室のサセックス公爵夫妻離れが鮮明だ。今年6月、国王の公式誕生日に招待状を送らなかった。


二人が暮らしていたフログモア・コテージのカギを返却させた。二人は、イギリスに来た時には、ホテルか友人の家などに泊まる選択肢しかなくなった。


ヘンリー王子が裁判などでロンドンに来ても、王室は警備費などを支払わない。少しずつ、しかし着実に距離を取っている。6月、ロンドンの王立肖像画美術館は、兄弟が一枚に納まった絵画を展示から外した。



良きママぶりを強調

 この度のインビクタスゲームは、ドイツのデュッセルドルフで行われた。20以上の国から500人ほどの競技者が集まり、車いすバスケットボールなどで競いあった。


ヘンリー王子は全行程に出席したが、メーガンさんは3日遅れて参加した。到着した夜のパーティーでマイクを握ると、「遅れてごめんなさい。子どもたちにミルクシェイクを用意していました」と言ったので、耳を疑う人が多かった。


近所にランチに行くなら、ミルクシェイクで遅れるかもしれないが、飛行機の時間に遅れるだろうか。彼女の目的は、家庭を大事にする良きママぶりを強調することだったのだろう。


それにしてはビヨンセのコンサートに子ども抜きで2回行ったし、子ども連れの食事など家族団らんの様子は一度も表に出していない。


メーガンさんの父親トーマスさんから懇願されても、孫に会わせようとしない。そのうえ、競技者には「今日はメイクもヘアも自分でやったのよ。1時間かからなかった」と明かしたそうだ。傷病兵が主役の競技大会なのに、話が自分の枠から出ていない。


 ただ、メーガンさんの出番はそこまでだった。閉会式では彼女の役目は消滅した。


当初は、閉会式で司会やスピーチをするとされていたのが、ヘンリー王子一人の役割になった。王子はスピーチで、前のように妻を絶賛し謝辞を述べると予想されたが、メーガンさんの名前は王子の口から出なかった。


参加した傷病軍人たちに「大会で身体的には疲れ切っただろうけれども、精神的には来た時よりも元気になっていることを望む」と声を詰まらせて結んだときは、イギリスのメディアも「感動的だ」と称賛した。




 閉会式で登壇の機会がないと知ったメーガンさんは、会場内の「キッズルーム」に行って、子どもたちに読み聞かせをした。


児童向け絵本『ロージー・リビア、エンジニア』(2013年)は、アメリカ人アンドレア・ビーティ氏の作品で、女の子ロージーがエンジニアを目指す。


ニューヨーク・タイムズの児童書部門でベストセラー入りをしたこともある。メーガンさんは読み聞かせが終わると、「この本から学んだことは?」と子どもたちに尋ねた。


一人が「1回失敗してもくじけてはいけないことです」と返事をすると、メーガンさんは満足そうにうなずいた。



八方塞がるもくじけず

 メーガンさんは、ネットフリックスの「パール」は制作に至らず、スポティファイを打ち切られ、ディオールのアンバサダー就任は全面否定され、「ボディガード2」のヒロイン役はいつの間にか立ち消えた。


大手芸能事務所と契約後、約4カ月がたつが、期待した大型契約話はいまだに聞こえてこない。この度のインビクタスゲームにおいても、友人などから祝福メッセージや花束は届かなかった。


 メーガンさんはこれらを吹き飛ばすように、競技者や参加者とハグし、一緒に写真におさまり、握手して、拍手して、犬を抱き上げ、と懸命に活動した。


ヘンリー王子との久しぶりのラブラブシーンも意識した。ただ、ファッションについては緑色のマーメイドドレスは830ポンド(約15万円)など価格ばかりを報じられた。


短いパンツ姿の生足で車いすの人の前を行き来するデリカシーのなさも指摘された。


揚げ句の果て、「メーガンさんは少しやせたのではないか」「ストレスだろうか、やつれている」とのコメントが目立った。


 ヘンリー王子とメーガンさんの二人での大きなイベントへの参加は、しばらく予定されていないようだ。次回のインビクタスゲームはカナダのバンクーバー・ウィスラーが会場で、2025年2月の開会とだいぶ先だ。


しかしメーガンさん個人としては、日記をもとに暴露本を書く、ブログを再開する、キム・カーダシアンやビヨンセとの親交を深める、などを計画中だ。


映画化権を購入したロマンス小説の出演者に、レオナルド・ディカプリオの名が挙がっているそうだ。メーガンさんは「失敗しても決してくじけてはいけない」のである。(ジャーナリスト・多賀幹子)


AERA 2023年10月2日号




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