オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

山陽道・古城の旅 「西の京」として栄えた山口の大内氏館

2018年03月13日 | 中国
新山口駅在来線改札口在来線と新幹線を結ぶコンコース。新山口は多くの路線が交差する鉄道の拠点駅です。そのため多くの線路をまたいで新幹線へ乗り換えます。新幹線改札口新山口駅。かつての小郡駅です。私は1970年ころ宇部の友人宅へいくため小郡駅で乗り換えて宇部新川へいきました。昔の小郡駅は田舎の小さな駅でした。小郡駅は山陽新幹線の開業で新山口駅へと大きく姿を変えました。新幹線の効果は絶大ですね。駅前の山頭火像駅舎内のサイクルステーション。輪行者のため自転車組み立てスペースを用意しています。新山口から津和野へSLやまぐち号が運行されています。宮脇俊三さんの分析では、観光SLを運行する路線の選択としてはこの山口線がベストだそうです。選択の条件としては東京・名古屋・大阪の大都市圏から離れていること、SLに乗るためにやってくる乗客が飛行機を使わず新幹線を利用すること、その範囲内でもっとも遠方であることです。つまり北海道や九州だと飛行機を利用するので除外。いろいろ考えると東北か中国となりますが、やまぐち号の運行開始は1979年、この時点で東北新幹線はまだ開通していないので、山陽新幹線の利用促進を狙って山口線ということに決まったというのが宮脇説です。大いに納得です。
飛行機の世界では、2011年に全日空が新鋭機ボーイング787を初就航させたのが羽田・広島間と羽田・岡山間。多くの人が迷わず飛行機を選択する羽田・札幌間や羽田・福岡間には導入せず、広島、岡山を優先させました。理由は新幹線との競争に打ち勝つためです。広島、岡山は新幹線との戦いでは旗色が悪いのです。現在どれくらい挽回効果があったかは私は調査できていません。山口駅サッカーJ2レノファ山口。元浦和の坪井が前列にいます。一の坂川大内氏26代大内盛見歌碑龍福寺西田幾多郎は山口出身です。1360年に大内氏24代大内弘世が居館を築き、1551年31代義隆が陶晴賢によって追われるまで大内氏の本拠として栄華を極めました。陶氏を滅ぼした毛利氏が大内氏の居館跡に大内義隆の菩提寺として龍福寺を建立しました。宝現霊社豊後岩
しあわせの鐘
大内義隆主従供養塔
31代大内義隆辞世本堂子育て・水子地蔵30代大内義興馬上展望像。作者は月形那比古。龍福寺資料館石組溝
西門枯山水庭園築山館跡
28代大内教弘以後の当主の居館です。築山神社箏曲組歌発祥の地盃状穴巨石
八坂神社本殿。大内弘世が京都の八坂神社を勧請し、大内義興が本殿を新築しました。祇園稲荷明治20年(1872年)頃の擬洋風建築、河村写真館。ゲンジボタルが生息する一の坂川


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