オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

山陰・古城の旅 「我に七難八苦‥」山中鹿介の月山富田城

2018年05月07日 | 中国
月山富田城です。山麓の歴史資料館
ジオラマ。中央は富田川。標高189mの月山山頂に富田城本丸があります。御子守口から山登りです。富田川太鼓壇公園桜内幸雄記念碑。地元出身の実業家・政治家、広瀬町名誉町民です。尼子神社
山中鹿介銅像。戦国時代尼子氏は月山富田城を本拠とし、経久の時に中国11カ国を制しましたが、経久の孫・晴久は毛利の謀略にあい尼子氏は滅亡します。尼子十勇士の一人山中鹿介は尼子氏再興を目指して挙兵したが悲願は果たせず殺害されました。鹿介は「願わくは我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという逸話は有名です。花の壇大井戸山中御殿跡菅谷口・櫓跡雑用井戸
山中御殿跡
堀尾河内守・掃部親子の墓七曲り山吹井戸三ノ丸本丸
本丸
本丸から富田川を見下ろす宿願成就祈願のスタンプ本丸の奥の二ノ丸本丸下の石垣二ノ丸から見た本丸二ノ丸山中鹿介幸盛記念碑二ノ丸の勝日高守神社神社裏側三ノ丸上の石垣
山麓の城安寺。江戸時代の広瀬藩松平家の菩提寺。
月山富田城の簡単な歴史です。
1441年 京極氏、出雲・隠岐・飛騨三国の守護となる
1486年 尼子経久、守護代・塩冶氏を滅ぼし富田城の城主となる
1521年 尼子経久、山陰・山陽11カ国の領主となる
1518年 尼子経久の嫡男・政久が戦死
1537年 経久、孫の晴久に家督を譲る
1543年 大内義隆が来攻するも敗走
1560年 尼子晴久死去、嫡男・義久が後継となる
1565年 毛利元就が来攻
1566年 毛利の謀略で富田城開城
1569年 山中鹿介ら尼子氏再興をはかって挙兵
1578年 尼子軍は敗北、鹿介は謀殺される
1591年 毛利家の吉川広家入城
1600年 堀尾吉晴が出雲隠岐24万石の大名となって入城
1611年 堀尾吉晴の子・忠晴は松江城を築城、松江へ移る。富田城は廃城となる





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