オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

小石川の旅 エーザイ本社、慶喜屋敷跡、志ん生・志ん朝の墓

2021年06月09日 | 東京
今日は文京区小石川の旅です。小石川の範囲はどこからどこまでか。一番狭い範囲は小石川後楽園の近辺、次は現在の住居表示の小石川1丁目から5丁目、つまり春日通り、白山通り、湯立坂、千川通りに囲まれた一帯、もっとも広域なのは23区が成立した1947年以前の小石川区です。47年以前は現在の文京区のうち白山通りの東は本郷区、西は小石川区でした。本日の旅は広域の旧小石川区を歩きます。小石川東京病院。以前の日本通運健康保険組合病院です。医療法人大坪会が日通健保から病院を買収しました。しばらく休業してましたが最近精神科の病院として診療を再開しています。日通病院のころは地域住民の一般診療も行っていましたが、今は精神科病院なので外来診療は少ないようです。ちなみに文京区の集団ワクチン接種の会場になっています。病院1階の内村祐之像。この人は内村鑑三の息子で、精神科医としても野球界でも著名な人物です。東京帝国大学入学後、野球部で活躍、投手として早稲田、慶応に勝利。卒業後は東大病院に勤務、ドイツ留学を経て、北大医学部教授、東大医学部教授、都立松沢病院院長を歴任、自ら晴和病院を開設、精神科医の第一人者でした。野球では戦後プロ野球のコミッショナーにも就任しています。私がプロ野球を知ったころのコミッショナーでした。こんな人物の銅像がなぜ、どんな経緯で大坪会の病院に存在しているのか不思議でしたが、調べてみると内村が設立した神経研究所付属晴和病院(新宿区弁天町)が現在建て替え工事中のためここで診療をしているようです。内村と大坪会は無関係で、晴和病院は大坪会の病院の建物のテナントということです。新病院ができたら内村の銅像はもとの弁天町に戻るのでしょう。小石川東京病院の現在の実態は晴和病院というのが正しいのかも知れません。小石川消防署大塚出張所旧庁舎の望楼の一部は文京ふるさと歴史館に展示されています。三井住友銀行の大塚支店は解体されました。春日通りと不忍通りの交差点にあってランドマーク的存在でしたね。三井住友銀行の社員寮ができるようです。工事は銭高組が施工。銭高組は勝鬨橋、旧瀬田唐橋、アサヒビール博多工場、旧大阪市庁舎などを建設しました。古いそば店大黒湯「小走番外地」のポスター。文京浴場組合の企画制作です。お茶の水女子大学の国際交流留学生プラザ古書店というより古書店の倉庫です。丸ノ内線茗荷谷駅。東京メトロの保有の駅ビルです。桜の名所、播磨坂吹上坂エーザイ本社。本日の旅の一番の目的はこのエーザイ本社です。今週アルツハイマー治療薬開発のニュースが流れて株価は連日ストップ高です。別に私はエーザイ株を買う気はありませんが。
エーザイの創業者、内藤豊次像。福井県生まれ、神戸の貿易商に勤務、近衛師団に入隊、衛生兵となる。除隊後、田辺商店(現在の田辺三菱製薬)に勤務、自らの会社を設立し、ビタミンE剤を開発発売、現在のエーザイに発展します。エーザイとは栄養剤からきているのかと思ってましたが、エーザイとは衛材、衛生材料のことでした。エーザイは日本で第5位の製薬会社で、武田、アステラス、第一三共、大塚に次ぐ存在です。本社の別館、HCCはHuman Health Careの略です。あじさい「小石川をめぐる」展のポスター。文京ふるさと資料館にて開催。丸ノ内線の線路金網の隙間から電車を撮影。RX100はXF1よりモニターの表示時差が小さく、速い被写体にも対応できます。徳川慶喜終焉の地慶喜屋敷跡は現在は国際仏教学大学院大学になっています。称名寺滝亭鯉丈の墓。江戸時代の滑稽本の作者です。本法寺本堂夏目漱石の句碑「梅の花不肖なれども梅の花」。揮毫は早稲田大学総長・奥島孝康。日輪寺本堂善仁寺文京総合福祉センター神田上水白堀跡黒田小学校跡区立第五中学校跡アンパンマン還国寺古今亭志ん生・志ん朝親子の墓です。志ん生の奥さんの名前もあります。長男の金原亭馬生の墓はどこなんでしょうか。謎です。美濃部孝蔵は志ん生の本名です。一ツ橋書店文京江戸川橋体育館服部坂小日向神社本殿狛犬服部坂上の空き地マンション建設反対小日向台の地図豆腐店拓殖大学国際教育会館跡見女子大学新大塚公園筑波大学附属中学校高等学校講談社豆大福の群林堂日大豊山高校と天風会館オリンピック出場選手トヨタカローラ東京・小石川店改めトヨタモビリティ東京・文京護国寺店。都電線路の側道を整備工事中です。


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