日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

萩城の巻 関ヶ原で不戦敗、防長2国となった長州藩毛利家の城

2015-05-01 16:10:57 | 中国

萩城の二の丸南門にある長州藩の藩祖・毛利輝元の像。仙台城に伊達政宗の像があるのは何の違和感もありませんが、萩城の一番目立つところに輝元の像があるのは意外です。毛利輝元は毛利家を西日本の有数の戦国大名とした毛利元就の孫であり、豊臣政権では五大老の一人ですが、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となるも、大坂城に入城したまま出陣せず、関ヶ原に出陣した毛利秀元(輝元の従弟)・吉川広家(輝元の従弟)の軍も実戦には加わらず後方待機のまま西軍は敗北しました。
毛利秀元には「宰相の空弁当」という有名な言葉が残っています。毛利隆元は「総大将の昼寝」ですね。戦わずして不戦敗の責任は大きいと思います。関ヶ原の結果、毛利家は安芸・備後・出雲・周防・長門など120万石から周防・長門2国の30万国石へ大減封となり、居城は安芸・広島城から長門・萩城へ移されました。その毛利輝元の像が萩城の入口にあるのです。藩祖・輝元の屈辱、怨念が幕末の倒幕運動のエネルギーになったといえます。


萩城と背後の指月(しづき)山。萩城は別名、指月城ともいわれます。

本丸門

券売所





志都岐山(しづきさん)神社。もとは指月神社といわれ、毛利元就、隆元(元就の子)、輝元(元就の孫)の3人と幕末の藩主・敬親、元徳(敬親の子。最後の藩主)の5人を主神とし、長州藩の歴代藩主を祀っています。

「花燃ゆ」の主人公・ふみの夫・楫取素彦が寄進した井戸

神社の本殿

萩城址の碑。萩城は幕末、藩主・敬親のときに藩庁を山口に移し、順次萩城は取り壊されていきました。


天守閣跡


天守台から見る内濠

天守台から見る指月山

詰丸案内板。標高143メートルの指月山の上に萩城の詰丸があります。


指月山の山頂の詰丸への急な登り坂。20分から30分かかります。

詰丸の要害門跡

詰丸の絵図

詰丸二の丸の用水櫓



本丸虎口



貯水池

樹木の隙間から海が見えます。



詰丸の虎口


詰丸の狭間



天守跡付近の内濠

濠の外から見る天守台

矢倉跡


満開を過ぎた八重桜




旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

萩城の模型。本丸と指月山上の詰丸の位置関係がよくわかります。

萩史料館

萩博物館

城下町の山縣有朋像

久坂玄瑞像。大河ドラマにあわせて今年1月に完成しました。

東萩駅前の萩城模型。約6分の1の鉄製です。

松陰神社


松下村塾



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